2020-05-22 第201回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第3号
旧動力炉・核燃料開発事業団や後継組織である日本原子力研究開発機構等に対し、旧科技庁、文科省が核燃料サイクルに関連するものとして予算計上した累計は、約六兆円となります。今後の見通しについては、まだきちんとした積算はございません。
旧動力炉・核燃料開発事業団や後継組織である日本原子力研究開発機構等に対し、旧科技庁、文科省が核燃料サイクルに関連するものとして予算計上した累計は、約六兆円となります。今後の見通しについては、まだきちんとした積算はございません。
○梶山国務大臣 先ほども申し上げましたように、私、五十四年から六十年まで動力炉・核燃料開発事業団、今の機構の前々身の会社に勤務をしておりました。私の同期もおります。いまだに年に数回同期会に呼ばれたりして旧交を温めているわけでありまして、そういった中で、梶山が政治に出ているのならということで、パーティー券を買ってくださる方もいるということであります。
そういった中で、私自身も、研究開発機構の前々身であります動力炉・核燃料開発事業団に勤務をしておりました。 個人的なおつき合いもございますし、支援者ということで、多分、私、ちょっと今、事前にお話がなかったので確認はできておりませんけれども、公職選挙法に基づいて、またほかの法律に基づいて、適切に処理をしているものだと思っております。
○政府参考人(増子宏君) 我が国におきましては、昭和五十二年に当時の動力炉・核燃料開発事業団の東海事業所で再処理試験を開始しまして、平成十八年までに一千百四十トンの使用済燃料を再処理しているところでございます。この施設で得られた技術開発の成果は、六ケ所再処理工場への技術移転をほぼ完了しておりまして、現在は施設の廃止措置に向けた準備を行っているところでございます。
この鉱床は、旧動力炉・核燃料開発事業団が実施した調査により把握されたものでございます。リニア中央新幹線のルートは把握されたウラン鉱床を回避して設定されておりますけれども、その沿線にはウラン鉱床があるということでございます。
旧動力炉・核燃料開発事業団は、国内のウラン資源調査の一環といたしまして、昭和三十八年から昭和六十三年の間、岐阜県の東濃地域におきましてウラン鉱床調査を実施しております。 その際、重量比において元素が比較的凝集している〇・〇一%以上の酸化ウランを含む場所をウラン鉱床としたところでございます。
御指摘のとおり、動力炉・核燃料開発事業団の東海再処理工場の一部施設における火災、爆発の発生、六ケ所再処理工場における竣工の延期や建設費等の大幅な増加は事実でございます。 再処理事業の推進に当たっては、このような問題を真摯に受けとめ、直面する課題を一つ一つ解決していくことが重要です。
○上野通子君 研究段階といいましても、様々な拡散実験などのデータによって検証されており、動力炉・核燃料開発事業団の火災爆発事故、一九九七年三月や、ジェー・シー・オー、ウラン加工工場臨界事故、一九九九年九月の解析で実績を上げています。様々な段階ですが、もう既に実績も上げて幾らでも生かせる段階に入ってきていると思いますから、是非とも防災マニュアルの中の活用の位置付けも考えてほしいと思います。
機構は旧動力炉・核燃料開発事業団、動燃と言われるところですね、旧核燃料サイクル機構の流れをくむ研究機関であったわけですよ。動燃は、「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故が平成七年十二月にありましたね。それから、アスファルト固化処理施設の火災爆発事故が平成九年三月にありました。事故の虚偽報告や不十分な連絡通報などの事故後の不適切な対応が問題となって国民の原子力に対する信頼を大きく失墜させたわけですよ。
その後、原子燃料公社につきましては、先ほど御説明をしました高速増殖炉、こういった新型の原子炉の実験炉とか原型炉の建設、運転、それからそういった分野での研究開発を一元的に推進するために原子燃料公社に動力炉部門を設置をしまして、動力炉・核燃料開発事業団というのに改組がされたわけでございます。これが昭和四十二年でございます。
まず、昭和三十一年からのすべての総事業費についてお答えを申し上げたいと思いますけれども、旧動力炉・核燃料開発事業団及びその後継組織でございます核燃料サイクル開発機構におきます累積予算額というのは、昭和四十二年度から平成十七年九月までで、総予算約五兆五千五百三十五億円でございまして、そのうち政府支出は約四兆八百七十六億円でございます。
平成八年度当時は、日本原子力研究所の職員数は二千四百十人、それから核燃料サイクル開発機構の前身でございます動力炉・核燃料開発事業団の職員数は二千八百九人ということで、二法人合わせますと、平成八年度は五千二百十九人ということでございました。一方、平成十九年度の日本原子力研究開発機構の職員数は四千百五十七人というふうなことになっております。
委員から御指摘ございました平成七年の「もんじゅ」の事故でございますとか、それから平成九年のアスファルト固化処理施設の事故などへの、当時、動力炉・核燃料開発事業団でございましたが、動燃事業団の対応につきましては、反省すべき点があったことは事実でございます。
これらにつきましては、旧動力炉・核燃料開発事業団の抜本的改革、いわゆる動燃改革におきまして、動燃みずからが業務品質の向上、それから、全施設設備の安全性の向上ということを目指して総点検を実施してきているものでございます。
正に今御質問ありましたように、この「もんじゅ」事故とか、あるいはアスファルト固化処理施設での火災爆発事故等を背景にいたしまして、旧動力炉・核燃料開発事業団の抜本的な改革を通じまして国民の信頼を回復するという、そういう必要性から動燃改革を行うことになったものでございます。
お尋ねの高レベル放射性廃棄物の処分の研究開発につきましてでございますが、旧動力炉・核燃料開発事業団が中核となりまして昭和五十年代より関係機関と協力しながら取り組んでまいりました。平成十一年には核燃料サイクル開発機構がそれまでの成果を報告書に取りまとめ、我が国での地層処分概念の成立性を概括的に示したところでございます。
一方、核燃料サイクル開発機構は、その前身でございます動力炉・核燃料開発事業団が設立されて以来、高速増殖炉や新型転換炉の開発、ウラン濃縮技術の開発、再処理技術の開発など、国のプロジェクトでございます核燃料サイクルを支える技術開発を実施する役割を担ってまいりました。
ところが、一方、動力炉・核燃料開発事業団のたび重なる事故に際して同事業団の隠ぺい工作が厳しく批判されたことは記憶に新しいわけでございますが、原子力業界全体の隠ぺい体質を、このことで広く国民の不信を招いてしまった。 ところが、この本法案十五条では秘密保持義務、二十九条では刑事罰まで新たに加わっている。現在の原研法及びサイクル機構法にはこれはありませんね。それが加わった。
昭和四十二年の十月に、現在の核燃料サイクル開発機構の前身であります動力炉・核燃料開発事業団、いわゆる動燃事業団は、核燃料の安定供給と有効利用を図るため、新しい動力炉として高速増殖炉及び新型転換炉を国のプロジェクトとして自主開発することを目的に、昭和三十一年に発足をしておりました原子燃料公社の業務の継承、並びに、原研の業務でありました高速増殖炉さらには新型転換炉業務を継承して設立をされたものだと承知をしております
政府は、平成十年十月の動力炉・核燃料開発事業団から同機構への改組後も、これらの不適正な経理が引き続き行われていたことを厳しく反省し、予算執行に係る内部統制及び指導監督の充実強化を図る等により、同種事案の再発防止に万全を期すべきである。
政府は、平成十年十月の動力炉・核燃料開発事業団から同機構への改組後も、これらの不適正な経理が引き続き行われていたことを厳しく反省し、予算執行に係る内部統制及び指導監督の充実強化を図る等により、同種事案の再発防止に万全を期すべきである。
○石原(健)委員 九五年十二月に起こった動力炉・核燃料開発事業団「もんじゅ」のナトリウム漏れの際は、地元住民らが動燃と理事長、職員計四人を原子炉等規制法違反で福井地検に告発、動燃と職員二人に罰金の略式命令が下っているようです。
スタートをした一つの契機は、従来、動力炉・核燃料開発事業団、これがその業務、任務を担っていたわけですが、そこで様々な情報隠しも含めて問題がるる指摘をされました。
同年の八月十七日に、当時の動力炉・核燃料開発事業団から瑞浪市に、昭和五十五年に取得している十四ヘクタールの用地において超深地層研究所を設置、地下千メートルに至る地層科学研究を行いたいとの申し入れがありました。
この臨界事故は、九五年の「もんじゅ」のナトリウム漏れによる事故、それから九七年の動力炉・核燃料開発事業団の処理施設の火災事故など、近年大変この問題がクローズアップされてきた重大な事故の記憶がまだ新しい中での出来事だというふうに思います。 私たち日本共産党は、今回の事故を防げなかった大変大きな理由の一つに安全確保の体制の問題がある、こういうことを繰り返し指摘してまいりました。
動力炉・核燃料開発事業団における事故の再発防止と動燃改革につきましては、一連の事故等により原子力行政に対する国民の信頼を大きく損なったことを厳しく受けとめ、同事業団の経営、組織等を抜本的に改革し、平成十年十月一日、核燃料サイクル開発機構に改組したところであります。