2012-03-28 第180回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号
昨日も申し上げましたとおり、核抜き本土並み返還をその公約として頑張られたのは佐藤栄作総理であったと、こういうことを申し上げましたね。日米間の大きな問題であった普天間を解決したのは実に玄葉外務大臣、その当時の首相は野田総理であったと国民に言わすように頑張ってくださいよ。その逆であったら、その逆を想像したら、もう大変ですよ。
昨日も申し上げましたとおり、核抜き本土並み返還をその公約として頑張られたのは佐藤栄作総理であったと、こういうことを申し上げましたね。日米間の大きな問題であった普天間を解決したのは実に玄葉外務大臣、その当時の首相は野田総理であったと国民に言わすように頑張ってくださいよ。その逆であったら、その逆を想像したら、もう大変ですよ。
この核抜き本土並み返還についても、大臣の、四十年目のこの節目に当たって、総括あるいは検証のお言葉をこの時期に承っておきたいと思います。
そして、佐藤総理は、核抜き本土並み返還を目指しますとおっしゃったんです。当時、沖縄には核があったという証拠なんです。そして、沖縄の基地の実態は本土並みに持っていきますよというのが総理の目指していた沖縄返還であったわけです。そして、当時の沖縄県民は、復帰することによって沖縄は基地のない平和で豊かな沖縄が実現するんだと、それを目指して復帰運動を闘ったわけです。
私は、佐藤栄作総理が、沖縄の返還は核抜き本土並み返還であるとおっしゃったんです。沖縄の返還は核を抜く、そして本土並みにするとおっしゃった。
この時代は、七二年の沖縄の返還を前にして大変な国民的な議論が続いていた時代だったわけですけれども、沖縄の核抜き本土並み返還ということを信じて、当時、多くの人たちがいろいろな行動に参加をした、私もその後からついていった一人なわけですけれども、これが今度の密約によって物の見事に裏切られていたのだなという思いをするわけです。
七二年五月十五日の沖縄返還に際して、佐藤総理は核抜き本土並み返還であると言われましたが、沖縄におけるこの核抜きは本当に実現したのか否か。もし今日までその事実の検証が行われていないとすれば、これからも検証する必要があると思いますが、外務大臣、どういう御認識でございますか。
佐藤総理のこの核抜き本土並み返還という言葉に異民族統治下にあった当時の県民はどれほど喜びを感じたか、そういう思いを私は今も忘れておりませんが、両大臣に質問いたしますのは、本当に核抜きになっておるのか、本土並みになっておるのか、基地問題に限ってお答えいただきたいと思います。
沖縄返還のときの密約、そして佐藤総理は沖縄県民に対して、沖縄の返還は核抜き本土並み返還とおっしゃって沖縄県民を喜ばせておりました。 そして、今日は、ここで私も井上議員と質問はほぼ一致いたしますが、これから順次進めてまいります。北米局長にあらかじめお伺いいたします。 中曽根現外務大臣を尊敬し、信頼しておりますか、お伺いいたします。(発言する者あり)笑い事じゃないですよ、これは。
沖縄の本土復帰に当たって、基地の核抜き本土並み返還が言われました。復帰三十五年が経過して、本土並みになっていないことは明々白々であります。 核抜きについても、嘉手納弾薬庫やキャンプ・シュワブなどにはいまだに核兵器が貯蔵されているのではないかと多くの県民は疑念を抱いております。麻生大臣は、沖縄の核抜き本土並み返還は実現していると思いますか。思うなら、その根拠をお示しください。
そして、復帰前の首相は、核抜き本土並み返還と県民に対して華々しくいいことをおっしゃったのに、本当に核抜き本土並み基地になっているかというと、なっていないわけですね。全国の七五%の基地が沖縄にあるということは、本土並みにさえなっていない、こういうふうなこと。
もしこれが事実とすれば、核抜き本土並み返還が欺瞞とならざるを得ないのであります。そして、我が国の非核三原則にも反する重大な問題だと思いますが、この点の事実関係について、総理並びに外務大臣から御説明をいただきたいと思います。
一九七二年には、政府の言う核抜き本土並み返還が約束され、いよいよ平和憲法のもとへの復帰が実現するものと喜んで迎えた祖国復帰であったわけでありますけれども、米軍基地はほとんど残されたまま、そういう復帰に県民は大変失望いたしました。 もちろん、復帰して道路、港湾、学校等の公共施設は、本土政府の特段の配慮によってかなり改善されたということを認めるにやぶさかではありません。
復帰のときには、核抜き本土並み返還という形で沖縄の米軍基地も日米安保体制の制度的枠組みの中に法形式的には組み込まれました。しかし、基地そのものは、核兵器やガス兵器が撤去されたほかは、ほとんどそのままの状態で復帰後に引き継がれたわけであります。したがいまして、沖縄の米軍基地は、そのそもそもの成り立ちから、地域住民の生活と平和のうちに共存できるようにはなっていないのであります。
そしてこういう方向でいわゆる核抜き本土並み返還ということで復帰をしたわけですが、復帰後、四十八年の第十四回、昭和四十九年の第十五回、それから五十一年の第十六回、各日米安全保障協議委員会において沖縄の米軍基地の返還について合意を見ております。 しかし、その合意されたところの基地返還の実態を見てみますと、何と返還率はわずかに三五%にすぎない。まことに遺憾のきわみですね。
○矢田部理君 核問題はあなたとやり合っても、もう少し外務大臣とかしかるべき責任者とやらなければならぬと思うんでありますが、かつて沖縄国会のときです、佐藤総理の答弁で何回か確認をされているわけでありますが、沖縄が核抜き本土並み返還ということになっている。核抜きということの意味内容は、核弾頭だけを抜けばいいということではない。
私から申し上げることは、先般申し上げたことと全く同様でございまして、当時佐藤総理を含めまして日本政府としてアメリカ側に求めたものは、事前協議の対象となるような核ミサイルの発射基地、それを全部撤去してほしいということをアメリカに要望をして、結果としてそういうことが達成されて、沖縄の核抜き本土並み返還というものが実現した、こういうことであろうと思います。
全体を見ていただければ非常にはっきりしておると思いますが、御指摘のいろいろな政府側の答弁というものは、返還前の沖縄に核兵器が配備されていると一般的に言われておりました状況のもとで核抜き本土並み返還というものを達成する。
といいますのは、沖縄が返還されたとき、核抜き本土並み返還ということで、ところが現時点においてもいろいろな小型な戦術核だとか、そういう核が沖縄には存在しているんじゃないかという疑惑が常につきまとっているわけですね。私たちもこの前アンケートしたときに、七〇%くらいの方々がやはり核のある疑いはあるという、そういう回答もあるわけですね。
そして、核抜き本土並み返還、基地整理縮小のこの公約がほごにされておるとあえて断言したいほど、私は不信感を持たざるを得ません。しかも、返還基地はいまだに戦後一一・五四%でしょう、返されたパーセントが。しかも、細切れ返還でしょう、跡地利用の計画も立たないような細切れ返還。
ところが、復帰十年目の今日、政府も国会も、日本全国民に対し、極東最大の軍事基地である沖縄は、核抜き・本土並み返還でありましたと自信を持って言える方がおるでありましょうか。 昭和四十六年に復帰特別措置法案が国会に提案されましたとき、政府の提案理由の要旨の中に、次のようなすばらしい文章があります。
核抜き・本土並み返還、基地縮小が復帰時に約束されながら、依然として米軍基地は全国の五三%を負担し、しかもその機能は強化され、特に最近は、世界情勢の関係もあるでしょうけれども、演習なども以前より激化し、本土並みになるには制約を受けておりまして、振興開発にブレーキとなり、沖縄振興開発計画の目標である格差是正と自立的発展の基礎条件整備も、いまだ遠しというところでございます。