運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
56件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2012-03-28 第180回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号

昨日も申し上げましたとおり、核抜き本土並み返還をその公約として頑張られたのは佐藤栄作総理であったと、こういうことを申し上げましたね。日米間の大きな問題であった普天間を解決したのは実に玄葉外務大臣、その当時の首相野田総理であったと国民に言わすように頑張ってくださいよ。その逆であったら、その逆を想像したら、もう大変ですよ。

山内徳信

2011-11-14 第179回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

そして、佐藤総理は、核抜き本土並み返還を目指しますとおっしゃったんです。当時、沖縄には核があったという証拠なんです。そして、沖縄基地実態本土並みに持っていきますよというのが総理の目指していた沖縄返還であったわけです。そして、当時の沖縄県民は、復帰することによって沖縄基地のない平和で豊かな沖縄が実現するんだと、それを目指して復帰運動を闘ったわけです。

山内徳信

2010-03-17 第174回国会 衆議院 外務委員会 第5号

この時代は、七二年の沖縄返還を前にして大変な国民的な議論が続いていた時代だったわけですけれども、沖縄核抜き本土並み返還ということを信じて、当時、多くの人たちがいろいろな行動に参加をした、私もその後からついていった一人なわけですけれども、これが今度の密約によって物の見事に裏切られていたのだなという思いをするわけです。  

服部良一

2009-06-02 第171回国会 参議院 外交防衛委員会 第15号

沖縄返還のときの密約、そして佐藤総理沖縄県民に対して、沖縄返還核抜き本土並み返還とおっしゃって沖縄県民を喜ばせておりました。  そして、今日は、ここで私も井上議員と質問はほぼ一致いたしますが、これから順次進めてまいります。北米局長にあらかじめお伺いいたします。  中曽根現外務大臣を尊敬し、信頼しておりますか、お伺いいたします。(発言する者あり)笑い事じゃないですよ、これは。

山内徳信

2007-05-18 第166回国会 衆議院 外務委員会 第13号

沖縄本土復帰に当たって、基地核抜き本土並み返還が言われました。復帰三十五年が経過して、本土並みになっていないことは明々白々であります。  核抜きについても、嘉手納弾薬庫やキャンプ・シュワブなどにはいまだに核兵器が貯蔵されているのではないかと多くの県民は疑念を抱いております。麻生大臣は、沖縄核抜き本土並み返還は実現していると思いますか。思うなら、その根拠をお示しください。

照屋寛徳

1990-11-05 第119回国会 衆議院 国際連合平和協力に関する特別委員会 第8号

一九七二年には、政府の言う核抜き本土並み返還が約束され、いよいよ平和憲法のもとへの復帰が実現するものと喜んで迎えた祖国復帰であったわけでありますけれども、米軍基地はほとんど残されたまま、そういう復帰県民は大変失望いたしました。  もちろん、復帰して道路、港湾、学校等公共施設は、本土政府の特段の配慮によってかなり改善されたということを認めるにやぶさかではありません。

佐久川政一

1989-11-30 第116回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

復帰のときには、核抜き本土並み返還という形で沖縄米軍基地日米安保体制制度的枠組みの中に法形式的には組み込まれました。しかし、基地そのものは、核兵器ガス兵器が撤去されたほかは、ほとんどそのままの状態で復帰後に引き継がれたわけであります。したがいまして、沖縄米軍基地は、そのそもそもの成り立ちから、地域住民の生活と平和のうちに共存できるようにはなっていないのであります。  

宮里松正

1988-04-15 第112回国会 衆議院 外務委員会 第7号

そしてこういう方向でいわゆる核抜き本土並み返還ということで復帰をしたわけですが、復帰後、四十八年の第十四回、昭和四十九年の第十五回、それから五十一年の第十六回、各日米安全保障協議委員会において沖縄米軍基地返還について合意を見ております。  しかし、その合意されたところの基地返還実態を見てみますと、何と返還率はわずかに三五%にすぎない。まことに遺憾のきわみですね。

上原康助

1985-06-20 第102回国会 参議院 内閣委員会 第17号

矢田部理君 核問題はあなたとやり合っても、もう少し外務大臣とかしかるべき責任者とやらなければならぬと思うんでありますが、かつて沖縄国会のときです、佐藤総理答弁で何回か確認をされているわけでありますが、沖縄核抜き本土並み返還ということになっている。核抜きということの意味内容は、核弾頭だけを抜けばいいということではない。

矢田部理

1985-04-09 第102回国会 参議院 外務委員会 第6号

私から申し上げることは、先般申し上げたことと全く同様でございまして、当時佐藤総理を含めまして日本政府としてアメリカ側に求めたものは、事前協議の対象となるような核ミサイルの発射基地、それを全部撤去してほしいということをアメリカに要望をして、結果としてそういうことが達成されて、沖縄核抜き本土並み返還というものが実現した、こういうことであろうと思います。  

栗山尚一

1985-03-26 第102回国会 衆議院 外務委員会 第3号

といいますのは、沖縄返還されたとき、核抜き本土並み返還ということで、ところが現時点においてもいろいろな小型な戦術核だとか、そういう核が沖縄には存在しているんじゃないかという疑惑が常につきまとっているわけですね。私たちもこの前アンケートしたときに、七〇%くらいの方々がやはり核のある疑いはあるという、そういう回答もあるわけですね。

玉城栄一

1982-03-02 第96回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

ところが、復帰十年目の今日、政府国会も、日本国民に対し、極東最大軍事基地である沖縄は、核抜き・本土並み返還でありましたと自信を持って言える方がおるでありましょうか。  昭和四十六年に復帰特別措置法案国会に提案されましたとき、政府提案理由の要旨の中に、次のようなすばらしい文章があります。

山内徳信

1982-03-02 第96回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

核抜き本土並み返還、基地縮小復帰時に約束されながら、依然として米軍基地全国の五三%を負担し、しかもその機能は強化され、特に最近は、世界情勢関係もあるでしょうけれども、演習なども以前より激化し、本土並みになるには制約を受けておりまして、振興開発にブレーキとなり、沖縄振興開発計画の目標である格差是正自立的発展基礎条件整備も、いまだ遠しというところでございます。  

安里政芳