1967-05-19 第55回国会 参議院 予算委員会 第16号
○政府委員(天城勲君) 株式会社松下電器産業東京研究所でございますが、赤外線可視装置、一九六五年で、これは向こうの資料でございますので、十万六千ドルでございます。それから東海電極製造、これが強力高率炭素フィラメント、そういうテーマでございますが、三万二千ドル、一九六六年でございます。
○政府委員(天城勲君) 株式会社松下電器産業東京研究所でございますが、赤外線可視装置、一九六五年で、これは向こうの資料でございますので、十万六千ドルでございます。それから東海電極製造、これが強力高率炭素フィラメント、そういうテーマでございますが、三万二千ドル、一九六六年でございます。
○政府委員(天城勲君) この六件の中には病院が三カ所ございますが、そのほか民間会社といたしまして、先ほど申したような、確認はいたしておりませんが、株式会社松下電器産業東京研究所と東海電極が入っております。
その後、昭和二十七年七月日本電信電話公社総裁に任ぜられるまでの間は、株式会社住友本社、日本電気株式会社、東北金属工業株式会社、日電工業株式会社、松下電器産業株式会社、日本放送協会、沖電気株式会社等の役員を歴任し、あるいは東海大学学長として活躍いたしました。昭和三十三年九月、日本電信電話公社総裁を辞任し、現在に至っております。