1983-05-13 第98回国会 衆議院 文教委員会 第8号
○伊賀委員 局長さんあたりは実際現場の経験がありませんから、文部省の机の上で、頭の中で考えておるわけですけれども、私も現場経験の一人でありますが、少々そういう事務的な困難がありましても、やはり高校生活の受ける側の生徒の立場、それから直接生徒のそこら辺をよく知っておる高校の校長あたり、ここら辺の気持ちというか立場というものも十分に考える必要があるわけでありまして、いま局長は文部省の都合ばかり言うておるわけでしょう
○伊賀委員 局長さんあたりは実際現場の経験がありませんから、文部省の机の上で、頭の中で考えておるわけですけれども、私も現場経験の一人でありますが、少々そういう事務的な困難がありましても、やはり高校生活の受ける側の生徒の立場、それから直接生徒のそこら辺をよく知っておる高校の校長あたり、ここら辺の気持ちというか立場というものも十分に考える必要があるわけでありまして、いま局長は文部省の都合ばかり言うておるわけでしょう
まあ、大臣はあちらは御視察の御経験がございますんでしょうが、設備等は非常にすばらしくて、小学校でこんな設備がほかにあるかと思うような、りっぱな設備がしてございますんですが、そういうことでお母さん方もみんな四年制の大学を出ておる方がほとんどだということで、茨大ぐらいではちょっとどうも、うちの子供の先生には足りませんよというようなことを、校長あたりがそれとなしに言われるということで非常に校長が、実は私お
先ほど言ったとおりたった十回ぐらいしか、十二、三回かの会合を持っただけでもありますし、それから、そんな結論を出すなんというあれでもありませんけれども、ただ、しかし非常に現場が要請している、しかも年とった人、校長あたりがそういうことを要請しますね。
○岩間政府委員 先ほども申し上げましたが、大体各県におきましては学科試験等をやっておるようでございまして、面接試験までやっているかどうかは私承知しておりませんけれども、大体学科試験で採用候補者名簿の中に入れまして、具体的には各学校におきまして、さらに校長あたりが面接をするというふうな方法をとっておるようなところもあるようでございます。
さらに、高専の校長あたり、あるいは高専の先生あたりがどういうふうに考えているかということを調べてみましたところが、非常に乗り気でございます。乗り気ではございますが、現在の高専の中には、そういうものに対処するところのいわゆる機械器具が全然ない、こういうところに頭を打っているのが実情でございます。
学校の校長あたりが全部入っている。あるいは自衛隊も入っている。この実行委員会で決定をした項目というものがそれぞれ実行委員長名、あるときは体連の会長ですか、そういった名で直接学校はこうきまりました、こうやれと、こういう仕組みにほとんどなっているようなんですよ。
養護学校の校長あたりには、養護教諭のやっぱり現場の経験を積んだ、行き届いた者がなるということはもう適任ではなかろうかということを私いつも考えているんですけれども、そういう点なんかについてもひとつ伺わしていただきたい。以上です。
私はまあ古くさい頭の校長あたり、と言ったらこれはしかられるかもしれませんが、人間の中には、いまの若い者などと言う人もあるかとも思いますけれども、しかし、公平にものを考える人間は、いわゆる学士の資格を持って出てきた教員というのは、絶対とにかく戦前の教師よりも優位だということは言っておる、この点。これは皆、学芸学部を卒業した者です。私はそうだと思う。
それについて、これだけはやはり文部省として問題を集めて、そうしてまあ小学校長あたりがだんだん騒いできているわけですが、騒いでいるというか、問題視してきているのでしょうが、小学校の校長さんたちが問題視する前に、やはり文部省の方で教科書の面だとか、そういったことを指導していく建前上、これを何とかして平常に復帰させなければならぬと私は思うわけです。
良識をもって教師が判断をし、また友人や校長あたりと話をしてみて、まことに穏当なものであり、これがほんとうの子供を愛するがゆえに、子供の能力を進展させるがためにこれがよいと判断されるものがあったならば、どしどしこれを活用していく、そういう自由の裁量の範囲は、当然教材扱い、届出認可という点においても考慮されて、地方の教育委員会が規則を作る際にしなければならぬと考えます。
○雨森常夫君 今の問題に関連してですが、給与ベースに比例して出すように考えておる、変えるように考えておるというお話しなんですが、どういうふうな御研究の結果か存じませんが、私ちょっと考えつくことは、校長あたりになれば非常にまあけつこうだと思いますが、そういうことになると、今度少壮有為な教員が僻地へ行くことをいやがる、給与の関係で。
その程度で、余り詳しく御説明になりませんが、それから厚生省の社会局長の通達、並びに文部省の局長からの通達に基きましては、我我としましてはこの学校給食の完全な実施といいますか、そういうことを目指して学校給食の立場からは生活の要保護の立場の人に対しましては、十分に家庭に学校の校長あたりを通じまして保護を受けるように積極的に働きかけるということが第一でありますから、そういう問題につきましては学校長を通じて
なかんずく山梨県下の七名の婦人校長あたりは、七名全部に降職勧告が来ているというような一つの例があるわけでありますが、これはまあ辞職勧告とはちよつと性格が違うかも知れませんが、非常に教員の身分に今不安定を来している。これは誠に由々しい問題でございます。この教員の身分の不安定と、或いは教職員の養成という問題とを、どういうふうに関連づけておられるものか、これが一点。
この臨時免許状をもらつた人たちの実情を考えてみますると、戰争最中あるいは戰後に、教職につくというようなことに対して一般が非常に無関心であつたころ、地方の校長あたりが、むりやりに、疎開者だとか、あるいは戰災者だとかいうような人たちが地方に流れ込んで来たので、これらの人たちに嘆願し、むりを言つて、そうして学校に奉職してもらつたような実例がたくさんあるのでありますが、そういう人たちが多く臨時免許状を持つておられます
むしろ館長というのはそういつたいわゆる專任の職員よりはむしろボランタリーな人を置いた方がよりいい運営が、望まれるのではないか、何故館長はそういう人を置いた方がいいか、公務員でない方がいいかというと、現在でも多少こういう弊害はあると思うのですが、例えば中学校或いは小学校長あたりのもう現役を去つた非常に年を取つた人を姥捨山みたいに置くというような危險が感ぜられるのではないか、或いは館長がそういう公務員であつては