1965-04-27 第48回国会 参議院 法務委員会 第18号
そういうことで、あいさつに行ったときに、近いうちに、お祝として、二人のための栄転祝として大きな預金を短い期間ではあるが預けてやろう、こういうふうな話があった。こういう話は、そうでなくても予告みたいなことがあって、実際になかったという例も金融界には間々あるようでございますが、この場合には、どうもほんとうらしいというふうに思い込ませたわけでございます。
そういうことで、あいさつに行ったときに、近いうちに、お祝として、二人のための栄転祝として大きな預金を短い期間ではあるが預けてやろう、こういうふうな話があった。こういう話は、そうでなくても予告みたいなことがあって、実際になかったという例も金融界には間々あるようでございますが、この場合には、どうもほんとうらしいというふうに思い込ませたわけでございます。
○証人(吉武辰雄君) これは確か昭和二十三年の三月頃だつたと思いますが、日野の紹介で細田君の栄転祝かなんかで、小石川のもみぢというところで会合をしたときに、初めて紹介を受けたと思つております。
細田氏の栄転祝ですか。
○委員長(伊藤修君) それから、もみぢは細田係長の栄転祝というので、細田、あなた、吉武、上田こういうような人がお寄りになつたのですか。
それで確か最初は二十三年の五月でしたか、日野さんの下におられた細田さんという方が、捜査二課の第三係長になつて栄転されたので、栄転祝ということで、吉武さんと細田さんと上田さんと日野さんと私と五人で会合しだ時が最初だと思います。
○証人(佐藤昇君) 「もみぢ」の場合は細田係長の栄転祝ということで私を入れて五人程集つてやつております。そこから「八百松」の場合は絹川さんがこつちに来られたので、お祝に一緒にやつたらどうかというので私が御招待したのです。