1956-05-31 第24回国会 衆議院 外務委員会 第54号
それじゃいかぬということを私は言ったのですけれども、さっきも申した通り、益谷先生も、緒方君も言われていることだから、こうしてやれ、こういうふうにおっしゃったので、伊関局長も確信がある、これくらいに言い切っておられたのでありますし、ことに柴野知事もおられたのだし、南先生を初め選挙区の代議士たちもおられたのであるから、これだけは文書を取りかわすのは見合せたのであります。
それじゃいかぬということを私は言ったのですけれども、さっきも申した通り、益谷先生も、緒方君も言われていることだから、こうしてやれ、こういうふうにおっしゃったので、伊関局長も確信がある、これくらいに言い切っておられたのでありますし、ことに柴野知事もおられたのだし、南先生を初め選挙区の代議士たちもおられたのであるから、これだけは文書を取りかわすのは見合せたのであります。
私は九時にそこをたちまして、地元の人の、助けてください、お願いしますという涙声を聞きながら、まず金沢に行つて柴野知事に会つて現場の状況を詳しく申し上げ、善処をお願いしまして、開院式の朝東京に帰つて参りました。外務大臣の秘書官を通じてただちに現場の切迫した状況をお伝えしようとしましたところ、今日に至るまであなたから私はまだ回答を受取つておらぬのであります。あなたは現場に行かれない。
○青山正一君 本来ならば岡田委員が劈頭に御質問なさるはずでありますが、お譲り願いまして、私から先ず最初に柴野知事に対する質問をいたしたいと存じます。内灘問題処理のために政府は解決に多少なりとも誠意を示しているようでありますが、問題は現在もなお紛糾を続けているような状態であります。
○岡田宗司君 青山委員の御質問は大分林屋さんなり、政府の立場を擁護する観点からなされたもので、かなり柴野知事の主観と言いますか、そういうものを引出そうとされておつたようでありますが、私はそうではなくて、事実を確める問題で二、三御質問をしたいと思います。
○加藤(充)委員 それから検事正の名越さんが金沢の検事正をおやめになつた理由なり原因を私どもが聞いているのには、柴野知事が相当猛運動をやつた。その名越さんという人は大物を扱い過ぎる。