2021-04-07 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第9号
柳田国男氏や渋沢敬三氏、折口信夫氏などの民俗学者の考える民俗をベースに、その中から行政が保護対象としたのが民俗文化財なのであります。 私が思うに、民俗文化財は、定義すれば、各地域の人々が上の世代から受け継いできた生活文化、民俗のうち、行政が保護対象としたもので、中でも無形の民俗文化財は、今を生きる人々の行為や言葉、感情などの形のない部分ということになると考えていますが、御見解をお伺いします。
柳田国男氏や渋沢敬三氏、折口信夫氏などの民俗学者の考える民俗をベースに、その中から行政が保護対象としたのが民俗文化財なのであります。 私が思うに、民俗文化財は、定義すれば、各地域の人々が上の世代から受け継いできた生活文化、民俗のうち、行政が保護対象としたもので、中でも無形の民俗文化財は、今を生きる人々の行為や言葉、感情などの形のない部分ということになると考えていますが、御見解をお伺いします。
つまり、柳田国男が兼業農家がふえるというのはまさしく国の病だと言い、そこは強烈な言葉なんですけれども、やはり本当に農家の所得、農業所得を維持しようとするのであれば、五十万の所得を得ている人に対して、農業所得が五十万の人に対して所得を安定したとしても、その人は、ほとんど、実際の五百万とか六百万のトータルの農家所得の安定には寄与しないということから、やはり農業所得を安定するのなら、本当に農家らしい農家に
それから、十五、十六ページなんですけれども、柳田国男の議論はちょっと省かせていただきますが、いわゆる兼業農家がふえるというのは、まさしく彼は国の病だというふうに批判しております。 そういう観点からしますと、この制度が第二の食管みたいになって、零細な農家の農業所得を補償してしまう、第二の高米価政策になってしまう。
○山下参考人 石黒忠篤という人は、実は、柳田国男という人が一九〇〇年に農商務省に入りました。農商務省に二年ぐらいして法制局に行ったんですけれども、その後、柳田国男と一緒に、新渡戸稲造とかそういう人たちと郷土会というサロンをつくって一緒に活動していた人です。柳田国男、石黒忠篤、それから戦後農地改革をやった和田博雄、それから小倉武一、東畑精一、その間に河上肇という人も実は農政学というのを書いています。
次に、次のスライドなんですけれども、何で柳田国男が突然出てくるんだというふうに思われるかもしれませんが、実は、柳田国男は一九〇〇年に東京大学の法学部を卒業して、当時の農商務省、今の農林省に入りました。当時、法学士がいなかったものですから、法律をつくろうとすると、内閣法制局にお願いして法律をつくっていたんですね。
柳田国男も言ったように、小農をして大農の利益を得さしむる、これが産業組合、農協の趣旨だったわけです。ただ、残念なことに、今のJAという農協は、その目的とか趣旨から相当大きく離れた存在になってしまったのじゃないかなというのが私の認識でございます。
○山下参考人 私のスライドの十八ページに柳田国男の構造改革論というのがありますけれども、これはまさに、日本の農業、農村が貧困にあえいできたときの柳田国男の主張なんですね。 そのときに、彼が言うには、アメリカの農業と競争できないというのはよく耳にすることだと。これを書いたのはもう百年以上前です。つまり、日本の農業界は百年間ずうっと同じ主張をやっているわけです。
民俗学者の柳田国男という人がいます。方言の研究が有名であります。京都から生まれた言葉が同心円のように周囲にどんどんどんどん広がっていくので、都から遠く離れたところでは、例えば東北と九州で同じ言葉が残っている、方言周圏論というのを彼は研究して日本の民俗学を打ち立てていった人でありますけれども、沖縄でも全く同じような言語があるんです。
戦後の民法親族法の改正のときも、いろいろな議論はあったんですが、あのとき、例えば柳田国男というような方は、どうも事実をよく踏まえないで議論だけが先行しているんじゃないかということを非常に心配されまして、「婚姻の話」という本をお書きになりました。もちろん、どういう立場から事実を見るか、事実の見方も人さまざまでございますけれども。
全く、百年前にこれは柳田国男が書いた本の一節です。柳田国男というのは、実は大学を卒業して最初に入ったのが農商務省だったわけです。農林省の法学士第一号だったわけです。日本の農業は到底土地の広いアメリカと競争することはできないということはよく耳にすることだと、だけど、これに対して関税の保護のほか何も対策がないのかというふうに考えるのは誤りだというわけですね。じゃ、何が必要なのか。
ただし、先ほど申し上げましたように、当時はやはり柳田国男以降の農政思想が生きていまして、農地改革の後は農業改革をやるんだと、これから構造改革に移るんだというふうなことを考えてきたわけです。したがって、実は当時の農林省は、農地法の制定には極めて抵抗したわけです。
日本民俗学の父として名高い、あの柳田国男氏は、戦前の農商務省に入って、農政官僚の仕事に従事したことがありました。そのとき、柳田国男氏は、日本は農国なりという語をして農業の繁栄する国という意味ならしめよと主張しました。 一世紀以上も前の言葉ですが、この柳田国男氏の言葉は、現在もそのまま当てはまります。ぜひ、日本を、農業の繁栄する国にしようではありませんか。
当時、農商務省という役所に入った柳田国男という人物がいます。彼が言っているのは、まさに同じことだ。 つまり、規模が小さいからアメリカと競争できない、だから関税が必要だというわけですね。だけれども、これに対して、関税の保護のほか何も対策はないのか、そういうふうに考えるのは誤りだというわけですね。
○山下公述人 先ほど柳田国男のことを御紹介しましたけれども、あれが美しきよき農政本流の思想でございます。それから、いろいろな人がいらっしゃいました。最後に農政思想が本当に具体化したのが、一九六一年に、シュンペーターのお弟子さんの東畑精一という東大の教授と、我が先輩の小倉武一、政府の税調会長を十六年もやった、この人たちが、二人がつくった農業基本法だったということでございます。
それを一生懸命おやりになったのは、あの民俗学者柳田国男先生で、やはり主権者としての教育が足らなかったんだという反省をされたようです。それで、柳田国男先生自身が小学校の一年生から六年生までの社会科の教科書を一生懸命、ちょっと古いことですから間違いがあるかもしれませんが、そういうふうに私は記憶しております。
それから、もう一つ例を挙げますと、いろいろ御本をお挙げになりますので、私も挙げますと、例えば柳田国男先生の「家閑談」とか、婚姻の話を読みますと、要するに、民法に規定した婚姻のあり方と違う、もっと昔の日本の婚姻のあり方がいろいろ記述してございます。
実は、遠野市と申しますのは、柳田国男さんなどのいろいろな書かれたものでも有名ですし、民話の里とも言われておりますし、岩手県においては、三陸海岸部と内陸部をちょうど結ぶ、クロスする物流の中心でございました。
それはともあれ、当然にずっと地域で生きてきたいわゆるコミュニティーの核としてのそうした神社を失う、そのことによってコミュニティーが崩壊してくると、こういうことを非常に強烈に訴えて、柳田国男さんなんかも非常に賛同されましたが。 当時ですから大変な政府に対する、神社合祀と言いますが、神社合祀に対する反対をやって、最後はこれ認められました。
○渡部(篤)委員 柳田国男は、昭和四年に、結いあるいは手間がえであるとか、あるいは集落の共同体で内発的に農村を活性化したいということを言っています。 私は、やはりこの法案でも、そういうみずからの地域がみずからのコミュニティーを通じて農山漁村の活性化をするということも考えていただきたいと思います。
これで最後にしますが、お手元に、これまで女性の、産む産まないの差別についての、これは民俗学の柳田国男さん、その記述をここに載せています。言葉にしません。どれほど多くの抑圧や差別が、産む産まないの権利についての、女性に対してあったかというのを、これは、総理、ごらんになればおわかりになると思います。議事録に残すのも不吉な言葉なので、皆さん、目で追っていただきたいんですが。
私の知る限りでは、農協も消費生活協同組合も、もともとは、例の大変有名になりました民俗学者の柳田国男さんが、昔、農商務省にいたときに産業組合というのをつくって、その産業組合が戦後農協と消費生活協同組合に分かれたはずなんですよね。ですから、考え方はどっちも同じなはずなんですよ。
標高三百から七百メートルの山々が周囲を囲んでございまして、寒暖の差も激しく四季の推移もはっきりしておるということでございまして、豊かな自然環境、あるいは先人たちが長年培ってまいりました生活や文化が、柳田国男先生の「遠野物語」といったようなもの、あるいはグリーンツーリズムといったような今日的な課題の中での一つの地域資源という形で位置づけられるのじゃないかなというように思っているところでもございます。
柳田国男が「百年の後の人こそゆかしけれ今のこの世を何と見るらん」、こう言っておりますけれども、今我々に課されているのは、現にこの五年間にわたる憲法調査会の議論を現実のものとして憲法改正につなげていけるかどうか、その責任を我々が担っているという自覚を深く持つべきであると考えます。 以上でございます。 〔枝野会長代理退席、会長着席〕
今の若者に日本人としての自覚がないと私、前にも言いましたけれども、柳田国男さんの言葉に、人はただの荒野に生まれたのではない、人はその地域、文化、歴史、民族の力の中に生まれたのだ、こういう言葉がありますけれども、その感覚が今の教育にもないし、今の若い人たちの自覚にもない。私は、こういったようなことを通して、国際社会にやはりもっともっと格調高い日本人を打ち出していくべきだろうと思っているんです。
○国務大臣(金子一義君) 岩手県の遠野市というのがありまして、ここは柳田国男の民話のふるさと。正直言って、本当に資源はやっぱり山、中山間地、それから比較的三陸沖が近いと、この地域でありますが、この遠野物語という民話を生かしましてどぶろく特区という、今度初めて申請をいたしました。
正に民俗学の柳田国男さんの世界であり、またこれまで自然を守ることをしっかり貢献してきた、自然保護行政と相通ずるところがあるのではないか。また、マタギ道という、マタギ道というんでしょうか、非常に何というんでしょうか、独特のもう文化。 ただ、残念なことに、それを承継なさる方がもう今は激減しているというようなことなど、学ばせていただいております。