2019-03-01 第198回国会 衆議院 本会議 第8号
森友、加計問題における柳瀬秘書官、そして、恐らく現在彼ら全てを統括しているであろう今井政務秘書官、こうした官邸、総理周りの人物は、全て法的な職務権限を持たない人たちばかりです。しかし、実際にその権力と影響力は絶大です。その職責はひとえに総理を補佐することにあるにもかかわらず、霞が関に向かっては、総理の威をかさに着て、事実上、絶大な権力を行使しているのです。
森友、加計問題における柳瀬秘書官、そして、恐らく現在彼ら全てを統括しているであろう今井政務秘書官、こうした官邸、総理周りの人物は、全て法的な職務権限を持たない人たちばかりです。しかし、実際にその権力と影響力は絶大です。その職責はひとえに総理を補佐することにあるにもかかわらず、霞が関に向かっては、総理の威をかさに着て、事実上、絶大な権力を行使しているのです。
柳瀬秘書官、会っていない会っていないと言いながら、四月に、後から記憶を思い起こしたら、加計学園の皆さんと会っていたと。そこからいろいろなものが動き出して、その六月には、いわゆる石破条件が示されて、獣医学部を新設する道が開かれた年、そういうことが行われた。事象的にはそういうことが行われた二〇一五年。 さっき言ったように、前年の二〇一四年には内閣人事局が立ち上がっているんです。
○中江参考人 済みません、お答えしますが、柳瀬秘書官は私より先にかわられましたので、二〇一五年の九月は柳瀬秘書官がおられたか、その後任の方がおられたか、ちょっと済みません、にわかには思い出せないので、申しわけありません。
加計学園問題でも、柳瀬さん、総理に言わずにですよ、総理の親友の業者と三回も首相官邸で会って加計学園問題のことをやっていて、それを、記憶にない、記憶にないと言って、やっと私たちが呼んで出てきて、三回も首相官邸で柳瀬秘書官は会っていたことが明らかになったじゃないですか。
柳瀬秘書官と同じじゃないですか、総理。 それで、姉崎部長がこの話をしているわけですから、残念ながら、姉崎部長は、きょう来てくださいとお願いしたんですが、お越しいただけないので、姉崎部長、そしてその下の課長と、その下の課長補佐、三人そろっての参考人を要求したいと思います。
そして、次の文書で、資料提出指示を受けて、柳瀬秘書官と加計学園が協議の日程を調整しているとの加計学園からの報告内容が記載をされていて、実際にこの流れの中で、いわゆる問題となっている柳瀬秘書官との面談が実現をされているわけでありまして、総理と加計理事長との面談からこの一連の流れが進んでいるということは記録上はっきりとしているんじゃないでしょうか。
愛媛県文書によりますと、この面会は、総理と加計氏が会食した際に地元の動きが鈍いとの話が出て、加計学園から柳瀬秘書官に説明したいので県と今治市にも同行願いたいとの要請を受けて行われたものでした。ここでも事を前に進めるために総理の名が使われていたのであります。 その結果、補助金がどうなったか。五十億円が限界と言っていた今治市の補助金は六十二億円になりました。
すなわち、二〇一五年三月二十四日、首相官邸において柳瀬首相秘書官らと加計学園の関係者が会って協議が行われ、四月二日には、愛媛県と今治市の職員、加計学園幹部が首相官邸を訪れて柳瀬首相秘書官と面会した際、柳瀬秘書官からは、本件は首相案件であるとの発言があったと県職員がメモに書き、それを受けて、六月四日に加計学園が、新しく法制化された国家戦略特区に獣医学部新設を申請したことは、京都府と京都産業大学の申請が
ただ、その前後につきまして改めて確認をしておりますけれども、柳瀬元秘書官が加計学園の方に対して藤原元次長や内閣府が担当であるということを紹介したことはあっても、説明したことはあっても、柳瀬元秘書官から藤原元次長に連絡をしたことはないということでございますし、藤原元次長の方も、柳瀬秘書官から連絡を受けたことはないと。
三月二十四日に加計学園から柳瀬秘書官にお話があったわけですよね。そのお話の内容を藤原さんは何らかのルートで総理官邸から事前に聞いていたんじゃないですか、四月二日の前に聞いていたんじゃないですかということを聞いているんです。
柳瀬首相秘書官か柳瀬首相秘書官のおつきの方か、どちらかわからないですけれども、四月二日の面談に先立って、三月二十四日の加計学園から柳瀬総理秘書官への要請の内容を、柳瀬秘書官から聞いたのか、あるいは柳瀬秘書官のおつきの方かわからないですけれども、聞いているんじゃないですか、四月二日の面談に先立って、三月二十四日の加計学園の話の内容を。違いますか。
私からも、柳瀬秘書官からも、何の問合せも、あるいは指示も受けていないという趣旨の話をしておられるわけでございます。また、他にも、前川前次官も含めて、私から指示を受けたりあるいは依頼を受けた人は一人もいないということは明らかになっているわけでございます。
本人は、四月の面談前に柳瀬秘書官に、獣医師の需給状況について、手元にあった資料を基にして説明したと、これ以外の記憶は残っていないと、大変不思議な答弁をされました。なぜ手元にこの獣医師の資料があったのか不思議なんですけれども、四月の面談前というのはいつなんでしょうか。
これはそのときのお話でありますが、面談に先立って、先ほどありましたけど、獣医師の需給状況などを柳瀬秘書官から聞かれたので、手元にあった資料を基礎に、農林水産省にも客観的な見方を問い合わせたことは記憶をしていると。
○政府参考人(池田一樹君) ただいま申し上げましたように、この常にという部分につきましては、愛媛県側の文書でございますので私どもの方からコメントをするということはできませんが、ただ、この件につきまして、本省に連絡をしたということでありますれば、この件につきまして、事前に柳瀬秘書官の方から求めに応じまして需給状況等についてレクをしたということを記憶が残っているということでございます。
柳瀬秘書官はこの会合に同席をしたんじゃないか、平成二十七年二月二十五日ですね。同席をして、そして資料の提出を求めたんじゃないかなというふうに思うんですが、内閣官房に、柳瀬さんに御確認をいただいて御回答くださいというふうにお願いをしてございます。聞き取った結果を御報告いただきたいと思います。
その結果、まず第一に、日にちは記憶が定かではないということですが、平成二十七年四月の官邸での会合については、当時の柳瀬秘書官からの求めに応じ自分も同席したと記憶しておりますが、その他の面会につきましては同席した記憶はないとのことでございました。
○川内委員 この面会、協議の際の愛媛県文書によれば、柳瀬首相秘書官のコメントとして、県や今治市と一緒に内閣府の藤原地方創生推進室次長に相談されたいと発言が書かれておりますが、柳瀬秘書官は、この三月二十四日の会合において、藤原さんに相談するといいよというふうにアドバイスをされたという記憶はあるのでしょうか。
そんな状況の中で、結局こういった作り話でもってこの獣医学部新設の働きかけを今治市や愛媛県に持ちかけて、その結果、柳瀬秘書官もこういう作り話に乗っかった形になっているわけですけれども、これって詐欺じゃないんですか。大臣、いかがですか。
その結果ですが、平成二十七年四月の面談の前に柳瀬秘書官から獣医師の需給状況について聞かれたので、手元にあった資料を基に秘書官に説明を行ったという記憶はあるが、これ以外の当該面談前のことについては三年も前のことであるから具体的には記憶に残っていないということでございました。
そもそも国家戦略特区は自治体が提案するものが、官邸で柳瀬秘書官と会った三月二十四日の仕切り、あるいは四月二日に行われた、特区を直接担当している藤原次長との内閣府での面会、自治体が出席した柳瀬秘書官との再度の四月二日の面会も、これ全て、全て加計学園がもたらしています。 この三月二十四日と四月二日のために事前に県と市と加計学園が数回打合せを行っています。
で、私が聞いたこと、例えば、三月二十四日に柳瀬秘書官が会った。何で会ったのか。電話掛けて、上京しましたから会ってくださいと言って会いますかと、みんな疑問に思うわけですよ。でも、これは事前にやっぱり面談していて、そこで資料提出という話があったから、だから面談したんじゃないですかと言っても、全く今答えないじゃないですか。
それを受けて柳瀬秘書官から資料提出の指示があって、そして、三月二十四日に柳瀬秘書官が首相官邸で加計学園関係者と協議しているんです。 柳瀬さんは、この間の証人喚問で何でこのとき面会したのかと聞かれて、上京されて会いたいというので会ったという訳の分からないことを言っているんですね。これ全く説明になっていなかったわけですよ。
これ延々と柳瀬秘書官は参考人でも言われていたんですが、三月にも会って、四月の二日にも会って、六月か何かにも会っているんですが、この度重なる会合、会食について加計学園から報告があったことについて全く違和感なく受け止めているんですよ。逆に言うと、会食でのいろんな総理の懸念みたいなものに対しても柳瀬さんは誠意持って答えているんですね。
そのときに秘書官が同席していたとすれば、加計孝太郎さんが総理と秘書官の分を払ったというようなこともあり得るというような御答弁というふうに理解いたしましたけれども、そうすると、この柳瀬秘書官が完全に理解した後、利害関係人と一緒に、しかも、利害関係人が代金を払って食事とかしていいんでしょうか。総理自身もいいんでしょうか。
○安倍内閣総理大臣 先ほどの答弁でつけ加えさせていただきたいんですが、四月二日の後は、その後はもう、しばらくして柳瀬秘書官は退任をしておりますので、私と加計氏の食事には同席はしていないということはつけ加えさせていただきたい、このように思います。
ただ、それは柳瀬秘書官ではありません。それは、いわばそのときのことは覚えておりますので。 なぜ覚えているかというと、お酒をどんどんつごうとして、しかし、飲めないからといって断って、そのやりとりがちょっとあったものでありますから、それがあったので覚えているわけであります。
三月二十四日につきましても確認をしてございますけれども、これにつきましては、後藤茂之先生や蓮舫先生からのお尋ねに対してお答えしたとおりでございまして、四月二日の前に、二月から三月ごろだったか、加計学園の方と柳瀬秘書官本人がお会いをしたことはあるだろう、ただし、その日付については正確にはわからないということで、それが三月二十四日であるかどうかについては自分自身は確認する手段を持ち合わせていないという趣旨
愛媛県と、安倍総理、柳瀬秘書官との主張は真っ向からぶつかり合っています。前川前文部科学事務次官は、総理が御自身の名前を出してみずからの正当性を主張することに異議を唱えています。ここに至っては、愛媛県の中村知事、前川前次官を始め関係者の皆さんを国会に招致し、真実をお話しいただくことが必要不可欠だと私は思います。
それから、今新しく出された文書も、愛媛県から出た文書もあるわけでありますが、その前に、既に、出向している内閣参事官から私どもヒアリングをしておりまして、直接確認をして、その結果、日にちの記憶は定かではないけれども、平成二十七年四月の官邸での会合については、当時の柳瀬秘書官からの求めに応じて自分も同席したという記憶がある、ただ、具体的なやりとりまでは自分としては記憶をしていない、そういう調査結果も報告
それ以降、当時の柳瀬秘書官の動きが急激に始まる。その起点としての二〇一五年のその十五分の話合いというのが、まあ官邸の出入り記録はもう破棄されていると、調べたけれども分からない。だけど、これはもう皆さん十分御承知でしょうけれども、私の知人なんかも、安倍総理に会っていても総理動静欄には出ていないですよ。何度会っても出ていない。道がある。だけど、そういうことは記録にないという話になっている。
○金子(恵)委員 文書の中では柳瀬秘書官は総理案件だというふうに明確に言っているわけですから、総理と加計学園との関係についてしっかりとチェックをしていかなくてはいけないということでありますから、そこの部分についても、もちろん、獣医学部設置所管の省庁、文科省のトップとして、やはり知るべきことはしっかりと調査をしていかなくてはいけないということだというふうに思うんです。
○齋藤国務大臣 正確に申し上げますと、繰り返しになって恐縮なんですが、まず、出向していた職員に関しては、日にちは記憶が定かではないけれども、当時の柳瀬秘書官からの求めに応じ、自分も同席していたと記憶している、これは確認をしていますし、ただ、三年も前のことであり、具体的なやりとりについては記憶に残っておらず、面談の際のやりとりについてメモ類は一切作成していないということであったということです。
愛媛県が提出した加計学園に関する文書の中で、平成二十七年四月二日の内閣府藤原地方創生推進室次長と柳瀬総理秘書官との面談についての概要メモの報告の文書も含まれていますが、当時農水省から出向していた青山内閣参事官が柳瀬秘書官との面談の折に同席しており、状況は常に本省にも説明している、企画書ができれば農水省にも説明をと発言したという報告があります。
○齋藤国務大臣 この件は、五月十日に、予算委員会における参考人質疑等を踏まえて、これは内閣官房出向時の出来事でありますので、内閣官房から指示がありまして、この平成二十七年四月の面談について、当時農林水産省から官邸に出向した職員に直接確認をしたところでは、日にちは記憶が定かではないが、当時の柳瀬秘書官からの求めに応じ、自分も同席したと記憶しているが、三年も前のことであるから具体的なやりとりについて記憶