2004-03-01 第159回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第1号
私が地元で住んでいる、三富新田という、いわゆる柳沢吉保の時代から開発を進めた三富の開発というのがありまして、くぬぎ山も含めて、今、くぬぎ山はいろいろ対応していただいておりますけれども、やはり同じような、再生モデルにふさわしいと思われる地域がたくさんありますので、ぜひさまざまに検討していただきたいというふうに思います。これは、要望だけで結構です。
私が地元で住んでいる、三富新田という、いわゆる柳沢吉保の時代から開発を進めた三富の開発というのがありまして、くぬぎ山も含めて、今、くぬぎ山はいろいろ対応していただいておりますけれども、やはり同じような、再生モデルにふさわしいと思われる地域がたくさんありますので、ぜひさまざまに検討していただきたいというふうに思います。これは、要望だけで結構です。
そこを開拓したのが、今農水大臣がお話しになったとおり、三百年前の川越藩主の柳沢吉保でした。六間道路をまずつくらせて、その両側に屋敷地を確保させて四十間、奥行き三百七十五間、つまりおよそ五ヘクタールの開拓をさせて、一番奥に森をつくらせたんです。人工林です。自然の植生でいいますとヤブツバキといって常緑樹の地域に入るんだそうですけれども、ここには落葉樹が植えられているんです。
この三富新田は、一六〇〇年代の末に柳沢吉保、当時のお殿様の時代につくられたわけでございますけれども、近くの狭山市の堀兼地区にも似たようなものがあると聞いておりますが、いずれにしましても、五ヘクタール規模のこういう農法の農地というのは現在では極めて珍しいというふうに認識しております。
まず第一は銀行券、今言いました一万円札あるいは千円札、これは言ってみれば無限に刷れるのかなという気もするんですけれども、昔、江戸時代に柳沢吉保が改鋳を進めてどんどん金をつくり出したというふうな話とか、あるいは戦時中の十七年、現行銀行法のもとかもしれませんけれども、戦時国債を乱発して日本銀行が引き受けて超インフレになったというふうなこととか、という記憶をみんな持っておるわけですね。
まるで江戸時代の柳沢吉保の時代に返ったような感じがするのです。菓子箱の中にお金が入っておった。全くやり切れない思いがするわけでございますけれども、それほどの金銭に対する無感覚さというのはどこから出てきたのかということが一つ。
とにかくこのごろは進歩が早い時代でございまして、あるアメリカの学者の計算によりますと、柳沢吉保時代の知識を約一〇〇としますと現在は一六〇〇ぐらいの指数になるんだそうでございます。きのうの知識がきょうはもう古いというようなことさえもちろん起こります。
たとえば私が柳沢騒動を書こうとしまして、柳沢吉保について調べる、あるいは千姫について書こうと思って千姫について調べたって、それがどうも自分の気に入らなければ自分でキャンセルなんです。まず自分の選定に合わないんです。それだからこれは本屋がどうこうというんじゃないんですね。自分でだめだという場合もあるんです。その場合の必要経費は全然認めてくれないのです。