2018-06-01 第196回国会 衆議院 厚生労働委員会 第25号
○串田委員 確かに、治療に直接関係があるというものとないものということを分類された中には、松葉づえだとか車椅子だとか、これは基本的には保険適用がない、装具の中で。
○串田委員 確かに、治療に直接関係があるというものとないものということを分類された中には、松葉づえだとか車椅子だとか、これは基本的には保険適用がない、装具の中で。
糖尿病足病変の予防や治療につきましては、糖尿病診療ガイドライン二〇一六におきましては、足の形状に合わせて作製された靴や足底板等を使用することで局所に掛かる圧を分散又は低減し、潰瘍等の糖尿病足病変の予防が期待できること、それから、足の潰瘍部分への荷重が治癒を阻害いたしますので、糖尿病足病変を管理する上で足底板や松葉づえ等を用いた免荷が必要であることが示されております。
果たして、この共謀罪、テロ等準備罪というものが、私は、まだ健常で、風邪を引いたり、ちょっとお酒に弱くなったとか、いろいろあるかもしれないですけれども、例えば健常でしっかりと歩ける人に松葉づえを持たせるようなことになるのではないか。
パラリンピックの大会のボランティア一万五千人のうち、車椅子や義足、松葉づえなどを必要とする障害者は二百七十八人もいらっしゃったそうです。 先日、銀座でもパラリンピック、オリンピック合同のパレードが行われました。あれこそ私は次の東京大会を象徴するものだと考えております。次の東京パラリンピックは、実は同一都市で初めて二回目を開催する。だからこそ東京は試されていると思います。
中学校は家から遠くて松葉づえで通うことはできなかった。なぜ自分は助かったのか、死んでしまった方がよかったと何度も何度も同じ思いにとらわれてきた。けがの治療も十分に受けていなかったので、義足と擦れる部分が痛くて痛くて歩くこともできなくなってきていると。 また、東京大空襲で片腕を失った方、残った手の指もケロイドで関節が曲がってしまっています。
実は、私自身、子供のときに、町中に松葉づえをついて傷痍軍人の方がいろいろな形でお立ちいただいていた風景を覚えているわけでございまして、こういったものを風化させないで是非引き続き継承し続けていただきたいというふうに思います。
本日の委員会にも松葉づえをついて参加をされていただいておる委員もおられますけれども、大変不便を感じておられるんではないかと思います。たまたま地元を回っておりまして、やはり特に企業の方から障害者の雇用についていろいろお話をお伺いをいたしました。今日はこのことについて質問をしたいというふうに思っております。
特に、おととし私、足を骨折したときに、松葉づえで電車で国会に来るのは大変難しかったのと、初めて実感をしたのは、例えば永田町の駅でいえば、エスカレーターはなかなか怖かったのでエレベーターで上がろうと調べていきますと、国会側ではなく都道府県会館側まで行かないとエレベーターに乗って地上に出られない。そして、そこからタクシーに乗ろう、自動車に乗ろうとすると乗る場所がない。
被災地はどこでも、病気で例えれば、大けがをして又は大病を患って、何とか一命を取り留め、徐々に回復して、車椅子生活であったり松葉づえをついている状態であります。そこにリハビリを施し、日常に戻っていくには、目標を示して、そこにみんなで全力で向かっていく、それが最も今の被災地に必要であるとチーム・イレブンを通して実感しております。 その考えの下に、チーム・イレブンのテーマに自立を入れました。
この若者は、届いた薬を手持ちの薬とともに一度に服用して、翌朝父親に発見されて病院に担ぎ込まれたんですが、何か不自然な体勢で昏睡したことで下肢が壊死をしてしまって、三回手術をしたんだけれども、いまだに松葉づえでようやく歩行ができるという状態だということなんですね。
これは物すごい負担でございますし、また市町村も県も被災を受けて、やっと今リハビリ、つえをつきながらリハビリをしている間で、これはその松葉づえを取り上げてしまうようなことなんではないかなと、私は強い懸念を申し上げさせていただきます。 この医療費の全額負担、私は何も今までどおり全員にあまねく人にあげなさいということは決して申し上げない、また被災地も被災者もそのようには思っていないと思います。
ただ、申し上げますけれども、来られた皆さん方は選ばれてきた方々だけではありませんから、具体的には、赤ちゃんからお年寄りの方から、松葉づえをついている方もおりましたし、車いすの方もおりましたし、泣いている赤ちゃんもおりました。妊婦の方もおりました。ですが、同じ条件でこういう広いところにいるきりないんですね。
六週間ほど入院して、松葉づえがとれたときにこの被災がありました。
○福岡委員 私も、いきなりルールをつくって罰則を設けろというようなことまで言うつもりはありませんが、現時点で、漠然と皆さん認識は共有していても、どういう車両がとめていいのかということの規定が全くないわけですから、先ほど申し上げたように、例えば、一時的に大けがをしていて、松葉づえとか車いすがないと歩けない人はとめていいのかどうかとか、妊婦の方はどうなのか、その共通の前提のルールが全く決まっていないということは
狭隘な地形がゆえに、ホームと隣接する市街地との市街地開発をあわせて整備したいということで、計画自身は相当進めてくれているようでありますけれども、あれだけの乗降客がありながら、これだけの病院に通う、例えば松葉づえをついた方々がおりながらできていないといったような、まだでき上がっていない。これは今一生懸命進めてくれていますけれども。
赤十字が提供する義足は、靴でいえば既製品のようなもので、足にぴったり合っていないので松葉づえを手放せないそうです。それに対して、日本の義足は完全に松葉づえなしで二足歩行まで持っていくことができる、それだけの技術を持っているそうです。
私、東京駅で、一人の障害者が自分の車いすを持ってきて、後ろのトランクに、もちろんトランクをあけてもらって、その後は松葉づえをついて車に乗るんですけれども、自分で一生懸命車いすを畳んで後ろのトランクに入れようとしているわけですね。運転手さんは乗ったままなんですね。相当な時間がかかりましたよ。相当といっても五分ぐらいだと思いますけれども。 なぜおりてきて手伝わないのか。
実は、お互いに歩み寄りの余りなかった質問取りの結果、十時半ごろ宿舎に帰ったんですけれども、しかし、幸いというか偶然ですけれども、身長が一メートルぐらいしかない男性のサラリーマンが、両方とも松葉づえをついて、松葉づえをわきに抱えながらかばんを提げて、駅におりられて、私と同じ方向に歩んでいる。まだ三十五、六歳ではないでしょうか。
中学校でも、特に肢体不自由児でしたら、見たらわかるわけですけれども、松葉づえをついて、運動会でもやはり参加するんですね。マラソンがあって、それには参加するのかしないのかといったら、やはり本人は参加したい、非常に前向きな子でしたから、みんなと一緒にスタートするわけです。 ところが、松葉づえをついてのマラソンですから、なかなか帰ってこない。
また、学校でのいろいろな教育の場に私たちを呼んでくださって、障害者はどういうことをやっているんだよ、障害者も社会の一員であるんだよということを私は常日ごろから言っているんですけれども、子供のうちから、ああ、自分たちだけ、健常者だけが社会をつくっているんじゃないんだな、いろいろな、車いすの人もいるし、松葉づえをついている人もいるし、私みたいに全然見えなくても歩けるんだみたいな感じで、それでその子たちが
ほんのちょっとした段差が、まあ松葉づえでもそうですけれども。そういう意味では、自分の親族を含めて、いつかはなる可能性もあるんです。 そういう意味で、この部分についてもうちょっと温かい回答をいただきたいというふうに思いますし、コンビニ、このままでいいのかな、東京都を含めてほかの自治体はやっているぞと。これをちょっと御意見いただきたいと思います。