1994-05-31 第129回国会 衆議院 予算委員会 第13号
これは、松田甚次郎さんという篤農家といいますか、「土に叫ぶ」という羽田書店の発行したものでございます。羽田総理のお父上が、議員になられた後、同時に世の中のために活動としてやらなきゃいかぬ、こういうふうに思われてこの書店をおつくりになり、これがその一番真っ先の出版であったように私伺っております。
これは、松田甚次郎さんという篤農家といいますか、「土に叫ぶ」という羽田書店の発行したものでございます。羽田総理のお父上が、議員になられた後、同時に世の中のために活動としてやらなきゃいかぬ、こういうふうに思われてこの書店をおつくりになり、これがその一番真っ先の出版であったように私伺っております。
たとえば山形県の松田甚次郎というかつてのすばらしい篤農家がございますが、この方は盛岡高等農林をお出になってから、みずからこの高等の農学を修めながら農業にはだしで飛び込んで作業をしたと、こういう方がおるからいままでの日本農業というのは私は支えられてきたと思うんですよ。
私がかつて非常に尊敬しております宮沢賢治、松田甚次郎、この方々は、かつての盛岡高等農林学校をお出になった方々でございますが、お二人とも短い人生をあの東北の零細な、しかも凶作に見舞われる農業に生涯をささげたんですね。私は、こういう人が出てこなければいかぬ。
そこで、私は東北の出身でございますので、岩手県盛岡出身の宮沢賢治、山形県出身の松田甚次郎、この二人、特に宮沢賢治は短い人生をあの東北の冷害あるいは貧困の農村に生涯を打ち込んだ方でございますし、また松田甚次郎さんは、農政に思い切った情熱を燃やしていた方でございます。