2001-11-29 第153回国会 衆議院 憲法調査会 第4号
○武者小路参考人 まさに私が言いたいことをおっしゃってくださったので、松本治一郎先生の言われたことは全く正しいと思います。
○武者小路参考人 まさに私が言いたいことをおっしゃってくださったので、松本治一郎先生の言われたことは全く正しいと思います。
私自身、昭和三十七年からその松本治一郎先生の書生を務めた者として、感無量の思いがありました。 今後の問題は、この法律をいかに実効ならしめるかが問われていくことになると思います。そのために、解放同盟各都道府県連と自治体との折衝も始まっています。
これは、御存じのとおり、例の板付の裁判で私の尊敬する松本治一郎先生が、期限が切れたから返還せよといって、松本先生の土地だったのでございますが、返還要求の裁判に出たのですね。だけれども、確かに期限は切れているんだけれども、これをもって直ちに返還要求をするということは公共の福祉から見て権利乱用であるということで、松本先生の方が負けたのですね。
我が党は賛成をする、こういう決定、あわせて党議拘束だ、こういうことでございますが、私はまあまさに法律家の端くれといたしまして、私自身が、実はあの板付飛行場のあの裁判、私も多分代理人だったろうと思うのです、松本治一郎先生がやった裁判、権利濫用で負けたわけだ、明け渡し請求の。
そういうことの延長線上で、一九四六年、今の部落解放同盟の前身の組織が結成されて今日まで継承発展されて、部落差別解放のために私たちの参議院の大先輩である松本治一郎先生を先頭にして今日まで人権闘争として闘って大きな成果を上げたことは、これも何回もお互いが理解できることだし、確認できると思います。
私の大先輩の松本治一郎先生は、これは我々の仲間の間でちょっと勝手なこと言うとると思われるかもしれませんけれどもね、君らは絶対に将来一対一の選挙をすなよと。被差別部落、部落を体に背負うとって一対一の選挙はすなよ、こう言って戒められたということがあるんです。それは、いみじくも私は小選挙区の弊害というものをぴたりと言い当てておると思うんですね。
昭和二十年十月、日本社会党の結成に参画され、政治への第一歩をしるされるとともに、解放の父と言われた御尊父、初代参議院副議長故松本治一郎先生の秘書としてともに部落解放運動に身をささげられました。常に日の当たらぬところに光を当てようとされるその真摯な魂の叫びは、差別をなくし基本的人権の確立を目指した世界のさまざまな運動にも大きな影響を与えたのです。
このとき加藤さんは、私はそのとき松本治一郎先生の秘書をしておったから傍聴に行っておった。それをちゃんと聞いておったのですよ。そして、こういうことですよ。 その衆議院の本会議で加藤勘十さんは、不況のもとで中小企業はどんどん倒れていく、そのために五、六人自殺が出てきた、どう思うかという、こういう質問ですよ。これに対して池田さんは何と答弁されたか。ここにちゃんとあります、議事録が。
松本先生は、本日は欠席されておられますが、初代参議院副議長の松本治一郎先生のおいに当たり、養子でもあられます。 先生は、これまで、周りから何度推されても、常任委員長や党の役職につくことを固辞されたと伺っております。その半生は、尊敬する治一郎先生の遺志である「反差別・反権力」の思想と行動を受け継いだ、一筋の政治行動をとってこられたのであります。
最後でございますが、冒頭に大臣から、差別に対する認識、あるいは松本治一郎先生等にもお触れになりまして、福岡ということで深い認識をお持ちになっておるということも私もよく承知いたしました。ただ、残念ながら、大臣、最近そういう地区へ入られたことがございますか。
ただ、先生がたまたまお名前をお挙げになりましたが、私の郷土福岡県の出身の政治家といたしましては、例えば保守では緒方竹虎先生等々非常に著名な方がいらっしゃいますが、革新側といたしましては松本治一郎先生は郷土を代表する政界の巨魁であるというふうに私ども誇りに感じているのでございます。
○谷村分科員 松本治一郎先生についてお触れになりましたけれども、私がお尋ねしておるのは、差別というものが現存をしておる、これはもう御承知のとおりでありますが、これから展開をいたします解放行政について大臣の差別の認識といいますか、差別とは何なんだということについて御見解を承りたいというのが実は主眼なんでございますが、その点、いかがでしょう。
一九四六年に参議院の大先輩の松本治一郎先生が組織された都落解放同盟というのがあるわけなんですが、いろんなことをお話し申し上げる時間はありませんから簡単に一つだけお話しします。言いたかったことはこういうことなんです。中央では全国大会があります。それから、埼玉県だと県がありますね。地域分会があるんです。町に全部小さな集落がありますから、そのたびごとにいろんな小さな集会がある。
松永安立衛門、福沢桃介、そうした大先輩が、池田さんやら松本治一郎先生やらいろいろ相談されて、そして両翁が西日本鉄道あるいはまた九州電力、西部瓦斯までつくられたという話を私は実は初めて聞きまして、先輩のそういう偉業に対して改めて認識をさせられまして、これは初めて私聞かせていただいてありがとうございました。
しかし、亡くなりました松本治一郎先生を初め水平社以来の伝統を継いでいる指導者たちは、私は入ったばかりですが、一緒にやったわけですけれども、そうではない、たとえ安保条約が大きな政治課題になっておっても、この部落差別の問題は政党政派だけの問題ではない、国民的な課題であるから、どういう政府であっても新しい憲法のもとでこの差別を解消するということはやらなければならないし、やらさなければならない、国民的な課題
○国務大臣(中山太郎君) この差別問題というものは、日本の社会における長い歴史の中で相当長期にわたった、まことに残念なことでございますけれども、われわれの過去の社会に存在をし続けてきたと、それに対して松本治一郎先生を中心にされたいろいろないわゆる解放運動というものが行われてき、今日もなおこの差別撤廃のためにいろいろな方々が御苦労いただいておる。
しかも歴史的にながめていきますと、亡くなられました松本治一郎先生も、三十年代半ばには入られまして、そしていろいろと問題の解決に当たられた、こういう事実関係もございます。 そういう立場を踏まえまして、いま大臣は、地区指定がないと言う。いま地区指定がなければ、そこにおきますいわゆる同対事業としての推進は何もない、こういうことに相なりますね。私はこれは大変なことではないかと思う。
また松本治一郎先生以下、日本の部落解放闘争の多くの方々の御努力というものが、今日のいわゆる同和対策になって行政の中でもその地位を占めてきたと私はよく認識しております。 また、いまお話のございましたいわゆる同和の方との結婚式のお話も、先生のお話のとおりだと思います。私は、法律で、この国民的な考え方というものが一挙に解決できるとは考えておりません、はっきり申し上げて。
そうでないと、象徴という名のもとで何か別な、そこにとうとい人間というものがもしかありとするならば、私は本会議の代表質問で申し上げたわけでありますが、亡くなられた先輩の松本治一郎先生がおっしゃったように、「貴族あれば賎族あり」というように、人間の上に人間があるならば人間の下に人間があるというような形で、部落問題もそうでございますが、やはりそういう構造の中で、人間の中でもとうとばれる人間と卑しめられる人間
いま私は、わが党の大先輩、故松本治一郎先生の不朽の言葉「貴族あれば賤族あり」を思い起こしておるのであります。華族制度の廃止を勧告し、福岡連隊の差別事件と闘い、カニの横ばいのような天皇拝謁を拒否して、こうした闘いを通じて追求した人間平等の民主主義の潮流は、いまや動かしがたいものであります。
○楢崎委員 私は、冒頭に、個人的なことですけれども、昭和三十一年に松本治一郎先生のお供をして初めて訪中して以来、小さな力ではありましたが、正常化なりあるいは平和友好条約の締結に努力をしてきた一人であります。きょう、この平和友好条約の賛否採決に賛成の立場で参加し得ることを大変光栄に思い、また感無量であります。 それで、鄧小平副首相も二十二日来られますが、もし招待があれば福田首相は訪中をされますか。
私どもの心の中には、やはりこの解放同盟がいままで長く松本治一郎先生以来闘ってきた成果であると受けとめておりますので、いろいろ問題は言いたいが時間がありませんから、総務長官もそういう腹をちゃんと持っておいていただきたいと思います。これは希望です。 それから第四は、厚生大臣にスモン病です。