1980-03-04 第91回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号
昨年七月の二十三日、松原公使がソロブイヨフ第二極東部長を訪問いたしまして、ソ連に眠る軍人軍属の遺骨の収集について申し入れをいたしております。それから、墓参につきましては、ソ連側から二十六カ所あるという回答を受けておりまして、二十一カ所についてはすでに過去七回墓参をいたしております。残りの五カ所について昨年申し入れを外交ルートを通じていたしました。
昨年七月の二十三日、松原公使がソロブイヨフ第二極東部長を訪問いたしまして、ソ連に眠る軍人軍属の遺骨の収集について申し入れをいたしております。それから、墓参につきましては、ソ連側から二十六カ所あるという回答を受けておりまして、二十一カ所についてはすでに過去七回墓参をいたしております。残りの五カ所について昨年申し入れを外交ルートを通じていたしました。
ソ連に対しては特別弁解の使いなどをやるつもりはありませんけれども、しかし、これは友好関係を結んでいるわけでありますから、条約が締結されたときに直ちに本省において宮澤欧亜局長がソ連の臨時代理大使を呼んで内容を説明し、それから続いてモスクワで松原公使が外務省の次官に対して約一時間にわたって詳細内容は説明をしております。
第二番目には、こちらから正式にモスコーの松原公使からソ連の外務次官にこの文書の内容を説明した際に、いろいろ批判や抗議はありましたけれども、今後ソ連は、日本が本当にソ連との友好関係を進めるのかどうか、反ソ同盟ではないか今後の実績によって見る、こういうことでありますから、報復手段などということは考えられない、こう確信をしているわけであります。
○黒柳明君 済みません、最後に一言ですけれども、松原公使がソ連の外務省に一応説明した。非常にやっぱり批判的な返答が来ましたですね、外務次官から。
そこで、これにかわるものをつくろうではないかという鈴木・イシコフ会談の話し合いもありまして、昨年米交渉を進めておりましたが、本格的交渉はこの二月の十五日からモスクワにおいて、わが方は松原公使を団長とし、松浦部長等のメンバーによって話し合いを進めてまいりました。
そこで、政府と向こうのソビエト間において、新しい協定はどうするかというような話し合いは続けられておりましたが、いよいよ時期も迫りましたので、ことしの二月十五日、松原公使を団長とする政府交渉団、松浦部長も現地に参りまして交渉に入りました。この交渉団には、民間水産関係団体の川端さん等を初めとして代表も加わったのでございます。
○国務大臣(中川一郎君) 御指摘の点もわからないわけではございませんけれども、御承知のように、この交渉は四月から始まったわけでございませんで、二月の十三日には交渉団が訪ソいたしまして、ここにおります松浦部長も、二月十五日から向こうの松原公使を団長として真剣に交渉しておったわけでございます。
その後、ソ連側は、領土は解決済みだというキャンペーンを続け、とりわけ二月下旬にはソ連の国営タス通信が、ソ連政府がさきに日本に提示した、日ソ善隣協力条約草案の全文公開という外交的に非礼とも思われる措置があり、その後も在ソ日本大使館に対し、日本の領土返還要求に対する非難の口頭声明、しかし三月二十日には、日本の駐ソ松原公使がソ連外務省に対し、北方領土は日本の当然の領土であり、その解決の後平和条約の締結をという
しかし、わが国といたしましては、長い伝統的な、しかも開発をしてまいりましたこの沖合いにおけるサケ・マス漁業をやめるということは、わが国資源にとっても大事であるばかりでなく、長い間伝統的操業を続けてまいりました漁家に与える影響も大きいという観点から、粘り強く交渉して、過去の実績だけはどうしても基本線を外さない範囲内において権益を確保したい、こういうことで、目下政府代表松原公使を代表として、民間の方々も
さらに、ソ連の二百海里漁業専管水域の布告に伴う新事態に応ずべき暫定協定の交渉は、三月十五日からモスクワにおいて行われまして、日本側は在ソ大使館松原公使、それから東京から水産庁から行かれました松浦海洋漁業部長外を代表といたしまして今日まで交渉が続いております。