1977-11-16 第82回国会 衆議院 文教委員会 第3号 三日後、東電平岩常務(当時総務部長)から、お願いした以上の東電と関電工振り出しの小切手を頂戴し更に感激した。忘れてはならぬことである。」これが十年史の中に残っておりまして、さらにこういう状態の中で指導しておりますのが私大審なんです。「これはほんの一例であるが、他にも実に多くの方々が北里の医学部設置の理念を理解し、物心両面の強い支持を惜しまれなかった。 山原健二郎