2018-11-29 第197回国会 衆議院 原子力問題調査特別委員会 第2号
報道されておりますドラム缶の漏えいでございますが、これは、昭和六十二年度から平成三年度にかけて、当時の日本原子力研究所の東海研究所、現在の原子力機構の原子力科学研究所でございますが、ここにおきまして、放射性廃棄物の貯蔵ピットに保管していたドラム缶の健全性確認を行った結果、ドラム缶に腐食が確認されました。
報道されておりますドラム缶の漏えいでございますが、これは、昭和六十二年度から平成三年度にかけて、当時の日本原子力研究所の東海研究所、現在の原子力機構の原子力科学研究所でございますが、ここにおきまして、放射性廃棄物の貯蔵ピットに保管していたドラム缶の健全性確認を行った結果、ドラム缶に腐食が確認されました。
といいますのは、田中委員長は、前身は、合併前の日本原子力研究所の研究者として、東海研究所の副所長をお務めになったというふうに私も承知しているところでございます。 なぜこういうことをお聞きしたかと申しますと、現在、田中委員長は、原子力規制委員会の委員長、三条委員会の委員長として、非常に強い権限のもとでさまざまな厳格な審査を行っていらっしゃる。いわば権力側に立たれたわけでございます。
東海研究所視察の折にも、ベルギーが中心となって行っていますミラー計画についてもお話を伺いました。ベルギーほか関係各国と調整しながら、日本としても適切にかかわっていくべきだというふうに考えております。
この間、私も、東海研究所の副所長、所長という経験をさせていただきまして、副所長時代には、一九九九年にジェー・シー・オー事故を目の当たりに経験しております。 そういったことで、原子力全体として見れば、地域の方に非常に大きな御心配と御迷惑をかけたということもございます。
そのときに、原研の、当時は東海研究所長でいらっしゃったんでしょうか。(田中政府特別補佐人「副所長」と呼ぶ)副所長でいらっしゃったんでしょうか、まさにこのジェー・シー・オー事故の収束に向けて、本当に先頭に立って原子力安全委員会の住田委員長代理とともに奮闘されていた田中さんを見て、そこでも大変お世話になったわけでございます。
東海研究所では、副所長、所長として研究経営の立場から、多種多様な原子力施設の建設から運転管理、人材の育成など、安全確保に係る業務を指導してまいりました。 この難局にあって、新たに発足する原子力規制委員会が果たすべき役割は非常に大きいと承知しています。
ジェー・シー・オー事故のときも、私は東海研究所、地元の研究所の副所長をしておりましたけれども、やはりそこにそういった規制の抜けというか、それから科学的な判断というのが少し抜けていたというふうに思いまして、そのときの事故調査委員会でもそういったことが指摘されたというふうに記憶しております。
東海研究所では、副所長、所長として、研究、経営の立場から、多種多様な原子力施設の建設、運転管理、人材の育成など、安全確保にかかわる業務を指導してまいりました。 この難局にあって、新たに発足する原子力規制委員会が果たすべき役割は極めて大きいと承知しております。
私自身は、一九九九年にジェー・シー・オー事故が起こったときに、東海研究所の副所長としてたまたま東海研究所におりましたので、全職員の能力を結集しまして、臨界防止のための方策を検討して、また、私も、その日に現場に赴いて事故収拾に当たりました。
十一月九日にこの委員会、茨城県東海村にある日本原子力研究所の東海研究所と核燃料サイクル開発機構の東海事業所、核融合研究開発の拠点である那珂町の日本原子力研究所那珂研究所の三か所を視察させていただきました。
一時十分には東海研究所が対策本部を立ち上げています。この委員会の調査のときに、原研の方にお伺いいたしますと、一時十分に対策本部を立ち上げて五十人が集まって指示を待っていたんだ、住民避難の権限は自分たちにはなかったんだ、こういうことでじりじり待っていたということをおっしゃっているわけです。
したがいまして、私、こちらを七時過ぎに出発いたしまして九時過ぎに東海村へ着いて、とりあえず現場の周りを車でぐるっと回って様子を見て対策本部へ到着いたしまして、そのときには既に稲葉先生が本部長としてそこにいらしてくださったのですが、その状態のときには、私、行きまして、本当に一番ほっといたしましたのは、稲葉本部長の前に、原研側、これは齋藤東海研究所長以下ずらっと並んでおられる、それからサイクル機構の方は
かつて、二十年前に、東海研究所でございますか、ここのドクターが図らずもこういうものを書き残したというか、著書として出しているんですね。私これを見まして、なるほどそうであるかなという感じ、またその感慨でいっぱいでございます。 それはこのようなことを言っているんですね。
まず、日本原子力研究所東海研究所内に設置された政府の現地対策本部におきまして、斉藤科学技術政務次官から、政府が小渕内閣総理大臣のもとに各省庁連絡の上対策に全力で取り組んでいる状況について説明を受けた後、科学技術庁から現地対策本部の設置経緯、運営状況等について、また、日本原子力研究所から、臨界の継続を認識するに至った経緯、臨界を収束させるためにとられた措置、転換試験棟から放出される放射線を遮へいするために
我々、今、委員触れられましたとおり、直接ナトリウム漏えいの原因になりました破損した温度計、テレビ等でも報道されておりますが、これを日本原子力研究所東海研究所に運び、また明日からは金属材料技術研究所、つくばに運びましてクロスチェックをして調査をする。
その温度計部分を十二日月曜日にはもんじゅ建設所から搬出をいたしまして、火曜日の朝に日本原子力研究所東海研究所に搬入をし、その研究所と金属材料技術研究所等の協力によりまして、電子顕微鏡等による破面調査、破れた面の観察調査、詳細調査を行うことといたしております。
次に、同東海研究所におきましては、研究用原子炉三号炉、JRR3については、性能向上のための改造工事を終了し、昨年三月、高性能汎用研究炉として再度臨界に到達し、十一月から最大熱出力二十メガワットで運転が開始され、熱・冷中性子を用いたビーム実験等に利用されております。
さらに具体的には、今先生から御指摘のありましたアメリカのサンディア国立研究所に既に設置されておりますセンサーの発する信号を原子力研究所の東海研究所内のトランシーバーシステム地上制御センターで受信するということになっておりまして、こういうことをやることによってこのシステムの信頼性をテストするということになっております。
○政府委員(村上健一君) 結論から申し上げますと、現在、東海研究所の中に本件の調査検討委員会を設けて検討が進められておりますので、その結果が出るまでは正確なことを申し上げられませんが、実は私どもからいいますと非常に恥ずかしい事故でございまして、天然ウラン、金属ウランくずは普通処理がうまくないと発熱するというのは実は古くからわかっていることでございまして、相当な期間、空気を導入しまして徐々に酸化させれば
まず最初に、さきの五月三十日なんですが、原研東海研究所でウランが自然発火したという事故が報じられております。それについて、事故の内容、どういうものであったか、御説明をいただきたいと思います。
原研東海研究所におきまして、本年五月三十日午後七時二十三分ごろ、東海研究所ウラン濃縮研究棟で火災報知機が発報いたしました。直ちに所員が調査いたしましたところ、同研究棟内の核燃料貯蔵庫において天然ウランのくずが入っておりますポリエチレンのびんから発煙しているのが発見されました。
それから自衛隊の航空機の問題につきましては、昭和四十三年八月十二日に、これまた放射性災害をもたらすおそれがあることにかんがみ、原子力研究所東海研究所上空については飛んではまずいよと、それ以外のところもこれに準じてやりなさい、こういうことが明らかになっておりますので、よもやそういう不祥事態はないと思います。
○松井政府委員 先生に御視察いただきました原研の施設についてちょっと簡単に御説明させていただきますと、そういったガードの警備体制につきまして、まず東海研究所全体、サイト全体については、正門に警備詰所がございまして、そこは職員が常時二十四時間張りつけです。もちろん職員は当然交代勤務になるわけでございます。それから施設、例えばFCAという高速臨界実験装置の施設がございます。
○佐藤昭夫君 科学技術庁長官お願いをしておりますので、一問お尋ねをしておきますが、明年の一月行われます茨城県の東海村の議員選挙、これに日本原子力研究所の原子炉安全工学部次長、同時にこの方は自民党茨城県連の東海支部の会計監査をなさっている方でもありますが、石井敏雄さんという人が三期目の出馬をするということで、その後援会東海原子力同友会、その会長はこの原研の東海研究所の副所長、この原子力同友会が活動を始
今回先生御指摘のネームプレートをつけて出入管理をしようとしているものは、東海研究所のFCAという施設についてでございまして、職員全員についてこのネームプレートを着用させようというものではございません。