1991-04-25 第120回国会 衆議院 外務委員会 第12号
これに対しまして、海上保安庁といたしましては、四月六日に第二繁好丸が襲撃される事件が発生いたしましたので、現場海域に大型巡視船一隻を配備し、水産庁の監視船と連携の上、我が国漁船の保護に努めておりましたところが、四月二十一日になりまして、第二十一東海丸が強行接舷される事件が発生したことにかんがみまして、四月二十三日から新たに大型巡視船一隻を増強配備いたしまして、二隻による連携パトロールを実施し、現場での
これに対しまして、海上保安庁といたしましては、四月六日に第二繁好丸が襲撃される事件が発生いたしましたので、現場海域に大型巡視船一隻を配備し、水産庁の監視船と連携の上、我が国漁船の保護に努めておりましたところが、四月二十一日になりまして、第二十一東海丸が強行接舷される事件が発生したことにかんがみまして、四月二十三日から新たに大型巡視船一隻を増強配備いたしまして、二隻による連携パトロールを実施し、現場での
五月三日午前十一時三十五分ごろ、付近操業中の日本漁船第三東海丸は、三十一度五十一分N、百二十五度十分Eの地点にて、躍進号のものと思われるボート一隻を発見した。巡視船「こしき」が現場に急行して確認の後、曳航に努力するも、ボートは水船となり、曳航困難のため、曳航を断念した。この件につき上海海岸局に対し打電したところ、同局は了承した。
○説明員(松野清秀君) 今回東海丸が救助しました韓国人につきましては、私ども、もちろん当時新聞でいわゆる定州号事件については知っておりましたので、その定州号事件に関係のある韓国人ではないかということは考えておりました。それから東海丸が三十六名を救助いたしましたときに、それらの人々が、われわれは中共ないし北鮮に行きたいという希望を表明されておった。
○説明員(松野清秀君) 外務省に連絡いたしましたときは、韓国側に引き渡したい、そうして私どもの意向としては、もよりの場所ということで、当時は、東海丸の位置と当時の天候等から見まして、済州島周辺が適当だろう、こういうふうに考えておりました。そういう点は連絡はいたしております。
○説明員(松野清秀君) ただいま高田委員から仰せになりました、東海丸が、遭難して救助を求めております韓国人を救助した件につきまして、まず経過の概略を申し上げたいと思います。
○説明員(宇山厚君) 十二月十七日の正午過ぎに大洋漁業の第七十六東海丸及び第七十七東海丸が、北緯三十四度三十四分、東経百二十三度三十一分の地点――これは大黒山群島の西方約九十五海里のところでございますが――ここで韓国人四十二名を乗せて漂流中の韓国漁船(約三十トン)を発見いたしまして、救助を依頼されました。
○細田政府委員 釜山におりました東海丸が、十二日の十八時に出港した旨の電報が入っております。
特に一月二十八日、農林漁区五百三十一区、これはずつと舟山列島の近所でございますが、におきまして拿捕されました第十六、十七東海丸の場合は、相手は中共の軍艦四隻であつたと伝えられております。これらあの付近では艦艇の出動があるということは注目を要するところであります。
それから九月二日に、終戦になりまして以後に災害を受けました船が、興東丸、那須丸、山菱丸、室戸丸、南砧丸、梅丸、東海丸、千光丸、華城丸、珠丸、遼河丸、三弘丸、蓬莱丸、金山丸、真岡丸、これだけであります。