2006-10-20 第165回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号
資料の五番目を見ていただくと、これは高等学校における学習指導要領における社会科の推移を、これは戦後の動きをまとめたものになっていますけれども、昭和二十二年に告示をされ、二十三年に実施をされて、いわゆる社会科がスタートし、そのときには東洋史、西洋史、人文地理、時事問題という選択履修からスタートして、日本史が必修であったころがいっときあるんですよね。
資料の五番目を見ていただくと、これは高等学校における学習指導要領における社会科の推移を、これは戦後の動きをまとめたものになっていますけれども、昭和二十二年に告示をされ、二十三年に実施をされて、いわゆる社会科がスタートし、そのときには東洋史、西洋史、人文地理、時事問題という選択履修からスタートして、日本史が必修であったころがいっときあるんですよね。
剣道を教え、勉強したり、遊んだりの山の子供たちや村人たちとの心の通い合う多感な一年間を過ごされた先生は、早稲田大学専門部政治経済科に学び、その後同大学文学部東洋史科に進まれました。 早稲田では、先輩である中野正剛、緒方竹虎両氏の指導を仰ぎ、幾度か中国を旅し、卒業論文のテーマを「孫文」として、中国の偉大さを書かれました。
例えば昭和二十四年の高校社会科出発時に、昭和二十二年の指導要領では、日本史が欠落し、東洋史、西洋史、人文地理となっていたのに対しまして、東洋史と西洋史を統合して世界史を新設し、日本史も新たに加えて、世界史、日本史、人文地理として始まっておりますが、その世界史重視・専門性重視の立場は今日まで続いておると考えております。
例えば東洋史の古代の先生が非常にそろっている大学では古代を中心に出したり、あるところでは近代史を出したりする。それぞれの大学の独自性が確保されていたのじゃないか。受験生もそれに向かって、自分は古代史をやりたいとか近代史をやりたいといってそこに行けた。ところが今度、共通一次、また新テストになりますとそれが不可能なんですね。
世界史にしたって東洋史にしたって、全部これは政治史です。政治史を抜きにした歴史というものは成り立たたないわけであります。したがいまして、そういう点について御検討をしていただきたいわけですが、従来ほとんど面倒を見ていただけなかったんですが、今後はどういうことになりましょうか、お尋ねいたします。
そこで、こういう問題について、正確な研究と記述を国史の中でしていただかないと、世界史、東洋史、日本史を通じたものとしてやっていただかないと少数民族のことはわからないし、また差別をなくすることはできないんです。その点についていかがでしょうか。
結局、日本史というものを考える場合に、東洋史とか西洋史とかあるいは世界史というものとの関連で日本史は考えなきゃならぬのですが、とかく日本史だけが浮き上がってしもうておるという感じを受けるわけですね。 特にまた日本の歴史を見る場合でも、年表を見ますと、最近の年表ではもう奈良朝以前のことは書いていないんです。白紙ですわ、ほとんど。
私自身も学生時代を振り返ってみて、小学校時代は皇紀、元号で教育をされ、しかし、西洋史あるいは東洋史を勉強するようになって西暦を併用して教えていただいたわけであります。そういう経過を考えてみると、やっぱり日本人の歴史意識が大変お粗末であったということはそうした点にも原因があるような気がするわけであります。
実は、その内容を申し上げますと、本来東洋史の方では、特殊講義は十講座開講されなければならない、そうして、そのうちで五教科を選択するようになっておりますが、実際には七教科しか開講されていない。
○参考人(岡澤文一君) 東洋史に関しまして、新しい専任の先生が二名ございませんと講義が行われない、そのために来年卒業できなくなるというおそれが出まして、学生が必死になってまず嘆願書を出したと思います。
そしてかつては哲学とか文学とか東洋史とか、いろんなところで世界的な学者が出られている。これは事実上、大部分、これらの方々の研究というのは敗戦以前の段階ですね。それに対して豊かな社会と自由とパンと満ちあふれたこの戦後三十三年間、この期間は案外大学というのは、一流の世界に通用するような、そういう学者が果たしてどれだけ出ているんだろうか、私は自責の念を込めてそういうことを実は考えております。
東洋史教室では助教授が一人いるだけで、この一人も来年は筑波へ移転する。こういう状態で、これでまともな大学としての研究教育条件が保障されておるのかどうか。もうなくなるものだからしょうがないといってほかっておるんじゃないか、こういう疑惑がきわめて強く出るわけでございまして、こういう点に対する措置はどのように考えておられるのかということが第二点。
まず一般教育の科目ですと、人文系列、哲学、倫理学、宗教学、日本史、東洋史、西洋史、国語学、国文学、外国文学、漢文学音楽、美術、これだけの講座がございます。社会系列で申しますと、法学、政治学、経済学、社会学、地理学、心理学、教育学、これだけがございます。自然系列を見ますと、数学、物理学、化学、生物学、地学、統計学、これだけがあるわけです。
ただしそのクラスを日本文学であるとか、東洋史であるというふうに編制するのか、もう少し別のつくり方のクラスにするのか、そこがまだきまっておりませんが、要するに、クラス編制を母体として組織された全学的な学生の集団と、大学の責任ある機関とが何らかの形で話し合いをするということについては相当程度まで詰まってきておるということを申し上げます。
そこで一番ひどいのが東洋史、東洋史は四人教授がおります。これみんな学問の内容が違うわけですね、古代とか中世とか。そのうちでたった一人の教授。したがって、東洋史の学生の不満は大きい。それからもう一つひどいのは独文学、独語、独文学は一般教養を含めまして五人の教授のところたった一人、したがって、この部屋を中心にして文学部全体の学生の不満というものは非常に大きい。これは大学院生もおりますからね。
○説明員(太田和彦君) 初めの方のお尋ねですけれども、文部省へ入るまでは、調査官はおのおの、ある者は日本史を専攻して参りますし、ある者は東洋史を専攻して参りますし、分かれておりますが、入ってからのわれわれの仕事というものは、社会科の調査官と、こういうことでありまして、特に小学校の場合には、これが地理、歴史というように分かれては困ると、分かれないようにお互いに注意してやっておるわけであります。
一般中小学校の先生のような方々が調査官になっておられるなら別としても、歴史の専門家として、東洋史のだれ、西洋史のだれ、日本史のだれとして専門に選ばれておる人が、それぞれ専門でもって見るということは、あたりまえじゃありませんか。それが一つ。それから、一次検定というものが、どういう構成で一次検定の結論というものを出すのか。
○小野公述人 今度の戦争が終ってから、紀元節をやらせなくなったアメリカの責任の衝にあられたのがバンス博士でありますが、ハンスが日本にああいうような態度をとりました根底には、アメリカが二百年に満たない歴史しか持たない新しい国である、その国に育った東洋史の研究家としての感覚があると思うのであります。その感覚というものをそのまま日本人の頭に当てはめるわけにはいかない。
やはりこれはあまり東京、京都ばかり……、人口が東京に集中するのはどうかと思われるのと同じようにやはり学問があまりそう東京と京都だけに集中するということも、私はもう少し地方へ分散して……、まあドイツなんかの例をよく聞かされますけれども、たとえば医学はどこ、医学の中でもガンの研究は金沢なら金沢とか、肺結核はどことか、あるいは哲学はどこ、国史はどこ、東洋史はどこという、何か地方の大学にそういう特色を持った
この方が支那から見た東洋史を説明しながら、学生諸君と接しておつた。ただその一つのことが、いかにインドが当時支那に同情を持つたかということは、これはよく御存じのことだと思います。それが日本の方はどうかというと、なくなられましたけれども、ヨネ野口とタゴールとのけんかになつた。
ところが現在になりますと、一方においては哲学であれば東洋思想の純粋なものをやるところがちやんとできておるのですし、それから又東洋史のこともちやんとできておるのでありまして、漢文だけをやるということが徳川時代におけるような漢文のあれとは大分意味が違つて来ております。
それには私は逆に高等学校で漢文が低いから、東洋史、東洋学、支那語をやり漢文をやる、生徒を教えられる場合に大学でお困りじやないか、ということを質問したところが、ちつとも困らないというのです。大学に来てから十分やれるというのです。それだから現在の程度でちつとも差支えないと言う、吉川幸次郎という人はその方面の権威者でありますが、そういうふうに意見を持つておられる教官があるのです。而もこの専門のかたです。
それで私考まるのに、こういうきわめて微妙な問題に触れることは、心理的に考えても、人の心の動きから考えましても、三人ということは、これは政治上、たとえば西洋史をひもとき、東洋史をひもといてみても、独裁制に至つたところの問題であります。三人では、必ずこれはけんかになる。それだから、こういう政治的の問題は、五奉行とかいうふうに、五という数字が必ずいる。
東洋史学の大家である有高巖氏が請願者の中におる、漢文の理解なくしては東洋史の勉強はゼロである。かかる信念を持つて請願者一万三千人の中の一人に加わられたのはそのゆえんであると考えます。漢文は人間形成の基盤的要素として、古人或いは先人先哲が身を以て綴つた尊い人生体験の記録として、漢文はこの上もないこよなき指針である。
國史、西洋吏、東洋史、これが相当の研究者がおるわけでございます。また文学と申しましても、これは國文学、英文学、ドイツ文学、フランス文学、イタリア文学、ロシア文学というふうに文学の中にもたくさんあります。
○織田委員 ただいまの史学の方が東洋史、西洋史、國史と、たくさんある。文学の方にも國文学、英文学、イタリヤ文学、いろいろおつしやいましたが、哲学の、たとえば社会学なら社会学だけ、心理学なら心理学だけ、教育学だけをとつてみても、東洋のものを研究する、あるいは西洋のものを研究する、いろいろあるじやないかと思うのですが、この点について、もう少し詳しく説明していただきたいと思います。