1974-03-11 第72回国会 衆議院 予算委員会 第30号
ところが、二十八年たって帰ってきてみたら、捕虜になるな、捕虜になるなと言っていた東條大将以下が、みんなマッカーサーの捕虜になって、そしてぬくぬくとして戦争後の豊かな生活を送っている。われわれ下士官、兵だけは、教えのとおり捕虜にならないために逃げたら、逃亡罪でやられたり併合罪でやられたりして、いまなお遺族はその名誉も復活しない状態で泣きぬれている人たちが、いま申し上げました数字のごとくある。
ところが、二十八年たって帰ってきてみたら、捕虜になるな、捕虜になるなと言っていた東條大将以下が、みんなマッカーサーの捕虜になって、そしてぬくぬくとして戦争後の豊かな生活を送っている。われわれ下士官、兵だけは、教えのとおり捕虜にならないために逃げたら、逃亡罪でやられたり併合罪でやられたりして、いまなお遺族はその名誉も復活しない状態で泣きぬれている人たちが、いま申し上げました数字のごとくある。
そしてまた、戦死をしたあとの戦没者に対する弔慰金は、われわれのところは四千円もらったけれども、東條大将や何かは何万円という、弔慰金の大きな差もある。こういうこともございますが、そういう二人の男の子を、二人とも戦争でなくした。そして、戦争に召集されたのは、天皇のお名前で召集されたと考えておるだけに、戦争責任という問題について、しりのしりまで言っておりました。
同時に、そういった責任者が、戦後においてはむしろ優雅に暮らしておるというのは、非常に語弊がございますけれども、一々それを——いつか小林さんが言われましたように、やれ東條大将の遺族が百万円もらっておるそうだ、そういうことはずいぶんけしからぬ話だということにしても、それを一々取り上げるということもおとなげないわけでございますけれども、しかし一方で戦時中のそういう犯罪で泣いておる。
およそ、李承晩政府に批判的な者には、すべて共産党とか共産主義のスパイという烙印を押しているのでありますが、これはあたかも東條内閣が、およそ東條大将に批判的な者にことごとく赤のレッテルを張ったあの例をほうふつたらしめるのであります。
これは、かつて東條大将が内務大臣を兼ねまして内務省警保局を通じて全警察組織を掌握し、治安維持法を利用いたしまして全人民を断圧し、日本をあの恐るべき侵略戰争に追い込んだ以上の売国的、植民地的陰謀といわざるを得ないのであります。(拍手) 破壞活動防止法案は、治安維持法を上まわる未曽有の彈圧法案であることは明瞭であります。
ある高名なる紳士は、隣組の会の席上で東條大将の頭が少しおかしいぞ、敵はB二九という最新式の武器で空からガソリンに火を放つてまいてよこすのに、バケツと竹槍でこれに向えということを訓練するのは、ちとどうかしているということを申したために、憲兵隊に拉致せられて、これまた懲役一年、いずれも私が親しく関與した問題であります。
私は吉田首相が自分の経験から再び東條大将のような道をたどられる人とは私は信じません。併しながら閣僚の中には頭がよ過ぎて、賢明過ぎてややもすれば首相をこの道に誘い込もうとするところの手引きをしておる人を私は指しております。(拍手)これに対してどうか吉田首相自己の経験からして、この警戒を怠らないようにして頂きたいと私は思うのであります。
○国務大臣(天野貞祐君) 今の御質問は御意見が私は非常に多いように思つておるのですが、私のやつておることが、東條大将のやることと比較するというのでは、何をか言わんやと言つた自分は気持であります。
それくらいのものが、又アンテナまで付けよう、特別ヒツトラーか何かが命令すれば、或いは東條大将でも命令したならば、あの時代にはやつたかもしれませんが、今の民主主義の日本において、そういうことをやらして、そうして広告放送を是非聽けということは、実に無理な話であつて、聽きません。従つて広告放送というものは成立つて行かない。民間放送は繁栄しないという結論が出るて思います。
そこで今の東條大将がかりにあそこで釋放されるというお話は少し假定論がすぎると思いますが、もしそういうことがあつたといたしましても、直ちに亡國罪という今規定なき罪名をもつてやるわけにはまいりませんが、日本國民はおそらく憤然として立ち上つて、何らの態度に出ると思うのでありまして、刑法何條によつてやるというようなことは申し上げられませんが、刑法以上のものがそのときは発動いたすであろうということを、私は期待