2007-05-11 第166回国会 参議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第12号
ちょうどあのマイクの辺りに立っているのがこの写真の中心にいらっしゃる東条首相です。この部屋です。 ところが、実は、私なぜこのことを申し上げたいかといいますと、真珠湾の戦いが始まったのが昭和十六年、そしてアメリカを目指して戦いをもう既に始めておりながら、この戦争の意義というようなものが大東亜共栄圏の確立にあるということを宣言したのがこの大東亜会議の昭和十八年なんですよ。
ちょうどあのマイクの辺りに立っているのがこの写真の中心にいらっしゃる東条首相です。この部屋です。 ところが、実は、私なぜこのことを申し上げたいかといいますと、真珠湾の戦いが始まったのが昭和十六年、そしてアメリカを目指して戦いをもう既に始めておりながら、この戦争の意義というようなものが大東亜共栄圏の確立にあるということを宣言したのがこの大東亜会議の昭和十八年なんですよ。
ここまで真剣なる答弁が当時の政府で行われながら、今言いましたように大東亜戦争遂行のためにということで東条首相自身が提案理由を説明した法律が残っていて、それが、動機、目的はどうあれ法律上は有効だったということはやっぱりまずかったことだといういうふうにもう一度確認していただきたいなと思います。
そうしますと、この法律というのは、先ほども言いましたけれども、東条首相の当時の提案説明によれば「大東亜戦争ノ完遂、大東亜建設ノ完成ノ為ニハ」行政の簡素化が必要だということで、行政の簡素化も何のためにやるかという目的は、大東亜戦争完遂のためにやるんだという目的があるわけですね。その簡素化に役立つから戦後も四十何年そこの部分だけを使っていたということではやっぱりまずい。
あるいは外務省関係の要求されたところの内容を見ても「大東亜会議録音盤アルバム、第一から第六まで」とか「東条首相野村大使間電信綴」とか「在満文本邦警察統計及び管内状況報告」あるいは「赤色支那誌」 「欧州戦争勃発以後のコミンテルン解消までの状況」など、日本の政府が当時どのように日本の治安を見ておったのか、日本の思想弾圧をやっておったかという問題についても、ほんとうに日本の新しい国家建設にとって重要なものがそこには
はっきりそういうことを言われ、ことに東条首相を引き合いに出されて、そして当時のまっ暗やみな世の中だったことをお話しでございました。
、こういう本文に対して、「遺児を励ます東条首相」というのは、どういうことですか、つながりがないじゃありませんか。これは政府委員に説明を求めましょう、文部大臣がしろうとなら。どうしてこの写真をここに入れなければならない理由がありますか。
○加瀬完君 ある教科書には、新しくさし絵として、学徒動員、集団疎開、徐州へ進む陸軍部隊、女子学生の軍事教練、東条首相と宣戦布告、遺児を励ます東条首相、真珠湾攻撃といったものが新しく掲げられました。これが徐州へ進む、それから学徒動員の写真でございます。これ新しく入れられたんですよ。これは戦争肯定ですか、否定ですか、どっちです。
私はいま、昭和十二年から十九年までの国会の議事録から、東条首相の戦争指導を研究していますが、いちばん困るのは議事録の削除が行なわれていることです。たとえば斎藤隆夫の昭和十五年の演説は、軍部のいちばん痛いところをついた重要なものですが、それが削除されている。国会の議事録から、ものを研究しようとする人間にとって、ひじょうに困る。
今度の事件というものは、われわれの仄聞するところでは、軍部を中心にいたしまして、たまたま十一月の大統領選挙を前にして、反対党の野党である共和党からは東条首相以上の反動的危険きわまるゴールドウォーターが圧倒的支持を得て出てきておる、そこで、これに対抗するために、あたかもジョンソンが、実は、ケネディ路線を云々と言いながら、すなわち平和の政治家であるかのような粉飾を示しながら、どんどんと危険な軍部の政策を
太平洋戦争については東条首相に、また、警職法については河野総務会長にそれぞれ詰め腹を切らしておいて、みずからは何らの責めを負うことなく今日まできておるじゃないか。警職法であのがたがたが起こって、三閣僚の辞任によって内閣が危機に瀕した際に河野一郎氏に助けを請い……。 〔発言する者あり〕
その人々は、何ゆえにあんな不毛の地のシベリアなんかに出兵するのか、それよりは南方の資源のある所に行く方がよくて、またアジア民族解放という大義名文にも沿うじゃないか、こういうふうに論じて、ついに東条首相はこれに動かされて南方作戦をきめたという記事があります。しかも、この人々は、南方作戦を鼓吹した人々は、一人も追放にかかっておりません。
その中に「東条首相は終日自ら議事の指導にあたられ、その間、企業整備、食糧増産対策をはじめ諸問題につき、熱心なしかも隔意のない態度でわれわれ長官と親しく懇談され、われわれ一同深い感銘を与えられたが、なかでも総理の訓示には、この非常時局を突破せんとする熱意気魄が脈々と波打ち大いに心強く感じた」こういうようなことを言つておられる。これでもあなたは東条に同調しなかつたということになるのでありましようか。
もう明らかに十六年は日本の経済的な危機を示しておつたわけでありますが、これに対して十六年の十二月東条首相が最後の御前会議で述べておりますのは、今や国力は支那事変前に数倍すということを言つております。こういうような観応的に政治をやられだからこそ、国民は非常な悲惨な目に遭つたと思います。戦略物的国力を比較して見ますと、太平洋戦争勃発前後においては、戦略物的国力はアメリカの実に七十分の一です。
(拍手)私たちは、このような姿を見るにつけまして、かの東条首相が、同時に陸軍大臣と内務大臣を兼務して権力行使をほしいままにした、あの戦争中の暗黒時代を想起して、慄然たらざるを得ないのであります。