1954-08-12 第19回国会 衆議院 建設委員会 第40号
最後に、四国中央産業開発道路は、愛媛県西條市を中心とし、東西に新居浜市と今治市とを控えた東愛媛の工業地帯と高知市を中心とする一帯を連ねるいわゆる四国中腹部の最短ルートを横断せんとするものであります。本路線は、昭和二十年愛媛、高知両県をあげて突貫工事を進あて参つたのでありますが、わずか四十一キロを残して終戦となり、中止のやむなきに至つたのであります。
最後に、四国中央産業開発道路は、愛媛県西條市を中心とし、東西に新居浜市と今治市とを控えた東愛媛の工業地帯と高知市を中心とする一帯を連ねるいわゆる四国中腹部の最短ルートを横断せんとするものであります。本路線は、昭和二十年愛媛、高知両県をあげて突貫工事を進あて参つたのでありますが、わずか四十一キロを残して終戦となり、中止のやむなきに至つたのであります。
本路線は愛媛県西條市を中心とし、その東西に新居浜市と今治市とを控えた東愛媛の工業地帯と、高知県高知市を中心とする一帶、すなわち四国中央狭部を縦貫する延長百十二キロの道路でありまして、戰時中の突貫工事により、そのほとんどを改修いたしたのでありますが、終戰とともに愛媛県加茂村より高知県本川村に至る延長二十六キロの未改修部分を残して工事は中止となり、ために本路線は、その大部分の改修を完了いたしておるにもかかわらず