1972-03-10 第68回国会 参議院 決算委員会 第4号
先ほど千葉局長からも申されましたように、気象庁といたしましては、世界的な計画もございますけれども、日本の気象を把握いたします面から申しましても、GARP計画に合わせまして一個、東径百二十度の赤道上に上げたいと考えておるわけでございます。そういう点で現在――昨年度からでございますけれども、衛星の本体でございましょうか、そのほうの研究にかかっているわけでございます。
先ほど千葉局長からも申されましたように、気象庁といたしましては、世界的な計画もございますけれども、日本の気象を把握いたします面から申しましても、GARP計画に合わせまして一個、東径百二十度の赤道上に上げたいと考えておるわけでございます。そういう点で現在――昨年度からでございますけれども、衛星の本体でございましょうか、そのほうの研究にかかっているわけでございます。
ところがその後またぞろ、御承知の通り、ごく最近の問題としましては、二月の十二日午前四時十五分ということになっておりますが、緯度からいきますと北緯三十二度五十五分、東径百二十七度五十五分、その位置におきましてまたぞろ第五八幡丸が、五十七トンでありますが、これが向こうの不当な追撃によってついに接舷された。その接舷のときの大きな損傷といいましょうか、それがためにまた沈没した。
一番東のほうにあります百三十度の線というのは従来ずつと長い間以東と以西の操業区域の境目として規定しておりました東径百二十度の線でございます。
それからこのほかに各船の従来の操業の実績を調査いたしまして、東径百二十七度三十分から東の方の漁場にその操業の主力を求めておるものを選び出したのでございます。そうして百八隻が中間漁区船としての資格を与えられたのであります。これらの船が百二十七度三十分以西に出漁するということは、建前としては認められておらないわけでございます。
「自認書第十一、第十二徳広丸は、一九五〇年一月九日午後一時二十分、東径百二十度、北緯三十二度五十五分の地点において、大韓民国海軍三〇九艇に拿捕せられたと共にマツクアーサー線を越境したることを自認す。」