2004-03-24 第159回国会 参議院 経済産業委員会 第4号
今年は、私、東京駅頭でそうした活動をさせていただきました。
今年は、私、東京駅頭でそうした活動をさせていただきました。
ところが、その選挙ではまさに金権選挙、そうしてその後、原敬内閣は政治的腐敗にまみれ、疑獄事件が続出し、その中で原敬首相は大正十年に東京駅頭で暗殺されたわけでありますが、このときに、私は非常に今も感銘を受けたやりとりなんですが、原首相がある人にこう言われた。政治の腐敗する原因は選挙に金がかかるからだ、金の要らない政治を建設する必要がありましょうと、ある人が言いました。今と似たような状況ですね。
この奥さんは、私の足もあなたと同じ大学の法学部で学んだ、その三年の秋、第一回の学徒出陣で出征し戦死いたしました、出征の際の東京駅頭のにぎわい、そしてまた戦死公報の悲しみを鮮やかに覚えているのでございますが、同じ大学に同じころ学んだあなたを大変身近に感じておるというふうなお立場で手紙をいただいたのです。
そこで私は外務大臣にお尋ねするわけですが、私が前段で申しましたように、濱口雄幸総理大臣が国会での最初の演説に外交というものを出してやったのだけれども、御承知のように濱口雄幸は東京駅頭で刺された。そうして刺された直後に濱口雄幸は、これは男子の本懐ですという話をされた。
政治は力だと言った原敬さんが中岡艮一に東京駅頭で刺されて死んでしまうとだれが思っていたでしょうか、絶対多数の上にあぐらをかいたときに往生してしまったじゃないですか。権謀術策の犬養毅が利口に立ち回って少数党から政友会の総裁になって多数党になったときに、話せばわかると言った途端に息を引き取ってしまったじゃないですか。万事こういうふうに政治が非情な状態で日本においては流れている。
昭和五年十一月、ロンドン条約に憤慨して浜口雄幸首相を東京駅頭で銃撃し、もって昭和維新の大道を切り開いた同会議元議長、故佐郷屋嘉昭氏、当時二十三歳の行動を賛美して、右翼陣営内部の今日の低迷を払いのけるには、佐郷屋のような青年が必要であることを強調しております。そして、同会議が今後積極的な攻勢に打って出ようとする意気込みを傘下各団体に徹底させたと右翼系の新聞報道でも述べております。
その当時は濱口民政党内閣でありましたけれども、濱口首相が東京駅頭に倒れまして、そのあと若槻内閣になり、続いて反対党である政友会の犬養内閣ができたのであります。しかしながら、この情勢の中においても国民の政治に対する不信は高まるばかり、その結果において、御存じのように五・一五事件が起こり二・二六事件が起こって、政党政治は崩壊して、軍閥ファッショの手に権力が握られたのであります。
あの昭和五年に軍縮の方向づけをした濱口首相が東京駅頭でピストルでやられ、昭和七年に井上準之助は二月九日に射殺され、続いて團琢磨が射殺され、次に犬養毅が首相官邸で射殺された、一連のファシズムの台頭期における不気味な形相が、いま日本にないと思えるかどうか。全体主義における、いわゆる共産主義国家に対する脅威を説く人もある。右と左からの危機が今日議会政治の、民主政治の根底をゆさぶろうとしている。
これは私は重大な問題で、午後これに対する質問をしますが、いまのようなコンニャク問答ならば意味がありませんから、途中で打ち切って、あらためて私は質問を展開しますけれども、私も長い間朝日新聞の社会部の第一線で働いて、昭和丘年、浜口雄幸が東京駅頭で暗殺されて以来、昭和一七年二月九日の井上準之助の血盟団による暗殺、五・一五事件、二・二六事件というものを経てまいりました。
それから第二点の、昨日東京駅頭で起こりました事案でございますが、これは私は、浅間山荘の事件が起こりまして、あれを一応終結しました時点で、今後いろいろ国民の中に、左右両派の争いというようなものが不測の事態を起こすことのないように、特別に警察当局としては全国に指令を出して、用心をするようにという指導をしておったのでございますが、昨日はああいう事件が起こりまして、非常に遺憾に存じておる次第でございます。
原敬がウェリントンのように、日本の普通選挙断行の運動を阻止して立ち上がったときに、原を殺せというような声がどこからか出てきて、十九才の中岡艮一が、お父さんか、おじいさんかの血を受けて、東京駅頭で原敬を倒しているのであります。
さらに、労農党が政府によって解散を命ぜられ、当時山陰地方に遊説中でございました党首大山郁夫、水谷長三郎君が急遽帰京をいたしまして、東京駅頭において右翼団体の鉄心会の壮年に襲撃をせられた事件でございます。そのとき警察は、ホームに党員一人入ることを許しません。
先ほど田中代議士が言われた東京駅頭の大丸ですが、鉄道の言い分を聞きますと、橋が落ちる、もう少したつと列車もこわれるかもしれないから、乗客の安全を保障することができないので、今度ここを改良するといっていながら、ああいった大きな建物を建てまして、金がどこから出るのだか知りませんが、結局やはり国鉄の信用から出た金でありますから、あすでも橋の落ちる国鉄が、デパートなどあってもなくてもいいのです、あれくらい東京
そしてなお東京駅頭の国鉄ビル等にも論及いたしまして、要するにこの国鉄ビルは、国鉄の必要量をはるかに越えてこれをデパートに賃貸しをしておる、いわば国鉄の間接出資になっておるのではないであろうか。根源は国鉄の信用を利用したもので、内容は国鉄の出資と同一でないであろうか、こういう観察の仕方ですね。私はこれは一つの見方だと思うのです。
だから、今の河野一郎に渡した百万円は、東京駅頭において渡したということを情報として聞いておる。これは検察庁でもなければ、本人に聞いたわけでもないから、真偽のほどは私はわかりません。私の聞いた情報としてそれを聞いておるから、船旧長官にそういうことまで調べがついておるのかどうかということをお尋ねしたわけなんであります。
そうして一般的な売春事犯につきましては、多くの人が特に迷惑するというふうに行われる場合、東京で申しますと過般警視総監が説明いたしましたごとく、東京駅頭とか有楽町とか、ああいった人込みで大へん人が迷惑するような事犯を中心に行なって参る。
そこで私はお聞きしたいが、それほど国民の声を知りたいというお考えでいられますならば、御就任になりましてから後に、一夜でも東京駅頭に立たれて、あの乗客の実情をごらんになりましたか、これを一つお聞きしたい。
もとに返りまして、東京の例を申しますると、先日開店しておりまするところの大阪大丸の東京駅頭進出、これが営業の方式といいまするか、やり方が、俗に関西弁で言いますると、えげつないと言いまするか、なかなか営業ぶりがえげつない。たとえて言いますると、資本力にものを言わせて、問屋筋に非常に出血的安値の商品の提供を強要する。
この危局に面し私たちの追憶に浮んで来るのは、東京駅頭でピストルを射込まれた浜口首相のことであります。浜口首相は、体内に幾つかの弾丸を留めたまま、命旦夕に迫りながらも、国会の権威を保つために、又総理大臣としての重責を果すために、最後まで国会の予算討議に臨んだのであります。浜口雄幸氏と吉田氏とは、共に土佐の生んだ宰相でありますが、その責任感に至つては雲泥の差があるのでございます。
これらが中心になつて東京駅頭におけるトラブルの原因になつた。あるいは時刻表については、組合側は当日遵法闘争を併用しておりましたので、成規の機関士としての諸条件を整えておらないという点を指摘いたし、乗務する機関士に対しても、成規の運行表を所持しろという要求をいたしたわけであります。