2007-04-06 第166回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
○石井(郁)委員 中国の漢時代のものだということになっておりますが、これも、昭和二年七月に、当時の東京美術学校が小場恒吉氏から購入した。昭和十六年に国所有の重要文化財に指定されております。
○石井(郁)委員 中国の漢時代のものだということになっておりますが、これも、昭和二年七月に、当時の東京美術学校が小場恒吉氏から購入した。昭和十六年に国所有の重要文化財に指定されております。
○国務大臣(小坂憲次君) ただいま委員が御指摘になりました国立大学法人東京芸術大学でございますけれども、明治二十年に東京美術学校、東京音楽学校として設立をされ、そして昭和二十四年に東京芸術大学、このようになって、平成十六年、国立大学法人というふうな歩みをしてきているわけでございまして、その歩みの経過から音楽と美術を中心としているわけでございまして、かつては舞踊などの舞台芸術分野について舞台運営や演出技術
私が毎年訪問する上田市の無言館には、戦死した東京美術学校、現芸大の画学生がかいた遺品の絵が展示されています。彼らが生きていたらどんなにすばらしい画家になっていたでしょうか。 俳優の三國連太郎さんは、戦前、日本にいなきゃ軍事教練もしなくていいし、戦争に行かなくて済むと思い、中国大陸と朝鮮半島を放浪したそうです。
矢代君は、大学卒業後、東京美術学校、第一高等学校等において、二十数年間にわたり教べんをとり、この間、美術研究所主任、美術研究所長等を歴任し、同二十五年八月、初代文化財の保護委員会委員に任命され、引き続き同二十八年十一月再任され、現在に至っているものでありまして、現に、国立近代美術館評議員会評議員の職にもあるものであります。
○吉田(賢)委員 私の聞きたかったのは、ある学校、つまり旧東京美術学校があって、それが東京芸術大学になり、財産の引き継ぎがあったという中に、金、銀、地金などが、金額の大小はともかくといたしまして、相当額あったのでありますから、これの引き継ぎについての会計上の事務はどういうふうにしてなすべきか、こういうのが質問の趣旨であったのであります。
○北岡政府委員 東京芸術大学は御承知の東京美術学校の後身であります。美術学校では日本画の方にも金粉を使いますし、それから塗りもの、金工、こういうような科がありまして、その製作に必要なこういうものが昔からあって、それを引き継いでおるという状態でございます。
矢代君は、大学卒業後、東京美術学校及び第一高等学校講師となりその後両校教授に任官し、大正八年十一月からはもつぱら東京美術学校教授として多年の間美術史に関する講師を担当し昭和十年六月美術研究所員兼東京美術学校教授となり翌十一年六月美術研究所長に補せられました。
次に、矢代君は、大正四年帝国大学文科大学を卒業し、東京美術学校、第一高等学校、東京高等師範学校等に教鞭をとり、又大正十年より同十四年に亘り、イギリス、フランス、ドイツ、イタリー、アメリカ合衆国に在留して、西洋美術史を研究し、昭和二年帝国美術院附属美術研究所設立に従事し、同研究所主任を経て、昭和十一年所長になり、十七年官を辞し、後に欧米各国博物館の調査に従い、現に国立博物館評議員の職にある者であります