1976-05-19 第77回国会 衆議院 文教委員会 第7号
このことについて文部省は、ここに木田さんもいらっしゃいますけれども、当時私が聞きましたところ、この文書の配られたことは奇異に感じ、東京教育大学の関係者に真意をただし、お考え直しいただくように申し上げた、東京教育大学長と東京医科歯科大学長とが協力し、他の医学関係者の協力を得て、いい医科大学をつくるよう再三お願いをいたし、両学長とも意見を交換した、その結果、東京教育大学はその文書を渡したことの非礼を認め
このことについて文部省は、ここに木田さんもいらっしゃいますけれども、当時私が聞きましたところ、この文書の配られたことは奇異に感じ、東京教育大学の関係者に真意をただし、お考え直しいただくように申し上げた、東京教育大学長と東京医科歯科大学長とが協力し、他の医学関係者の協力を得て、いい医科大学をつくるよう再三お願いをいたし、両学長とも意見を交換した、その結果、東京教育大学はその文書を渡したことの非礼を認め
なお、初中・大学高専部会の共通の委員としまして日本クラウン社長の有田さん、それから立正女子大学長の小尾さん、産業労働調査所附属日本賃金センター所長の金子さん、前の東京新聞論説委員で都市エネルギー協力会専務理事・事務局長の木屋さん、元東京教育大学長の三輪さん、それからさらにオブザーバーと申しますか御列席をいただいている方としまして人事院の給与局長の尾崎さん、そういう構成でございます。
文部省が東京教育大学長にも医科歯科大学長にも頼んで、そして宮島学長も入って、最初によろしく頼むと言って、そして得た結論が落合教授が副学長に適当であるということになった。
○木田政府委員 現在の東京教育大学長の任期は、来年の二月までだというふうに承知をしております。
その後、東京教育大学長もお考え直しをされたと私も聞いております。
四、以上の趣旨から、東京教育大学長および準備室長は、本「医学部長会」へは今後参画しないが、必要に応じて本学の連絡員が陪席するのはよいと思う。」これではあなたの、過去の経緯を尊重するということと、法律ができてからの、あるいは原案ができてからの、いまそういう形式とおっしゃるなら、たいへん変わってきておるということとの、この変化の原因は一体どこにあるのであろうかと、私は実は勘ぐりたくなるのであります。
○木島委員 昭和四十八年四月二十日、東京教育大学長の名でもって「筑波大学における医学部門の人事について」という書類と、同じ日に東京教育大学長の名のもとに、「「医学部長会」の皆様へ」、すなわち五大学の——私が先ほど協力と申しましたが、協力ということばが当たっているかどうかは別といたしまして、この「皆様へ」という二つの文書が学長の名で出ております。