1954-02-01 第19回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第4号
以来法政大学教授、東京帝国大学講師、上智大学講師、日本大学講師、立教大学講師等を歴任しまして、その間に東京株式取引所の顧問とか、日本証券取引所の顧問をいたしました。終戦のときにその職をやめまして、日本ステンレス株式会社の顧問になりました。そういうのを全部申し上げますか。
以来法政大学教授、東京帝国大学講師、上智大学講師、日本大学講師、立教大学講師等を歴任しまして、その間に東京株式取引所の顧問とか、日本証券取引所の顧問をいたしました。終戦のときにその職をやめまして、日本ステンレス株式会社の顧問になりました。そういうのを全部申し上げますか。
又團君は、東京帝国大学文科大学哲学科において美術史を専攻の後、同大学文科大学副手を嘱託されましたが、やがて東京帝国大学講師、同大学助教授として、美術史学講座を約十年間担当し、昭和八年七月退官して後は、国際文化振興会常務理事、帝室博物館顧問に就任、更に昭和二十一年五月より約一年間、貴族院議員に在職し、続いて参議院議員に当選しておりますが、現に日本美術協会副会長、ブリジストン美術館運営委員長等の職にあるものであつて
東浦君は明治三十一年四月、三重県度会郡城田村に生れられ、大正十二年東京帝国大学経済学部を卒業、帝国農会に職を奉ぜられてより二十有五年の間、帝国農会幹事長、農地開発営団監事、中央農業会理事、全国農業会常任理事等、終始農業団体に一身を托され、この間、企画院委員、実業教育将興委員会幹事、食糧品物価專門委員会委員、東京農業大学講師、東京帝国大学講師、地方制度調査会委員、警察制度審議会、中央農地委員会、肥料審議会