1994-12-07 第131回国会 参議院 厚生委員会 第10号
私は、一九四五年九月、東京帝国大学医学部医学科を卒業いたしまして、東京大学の第三内科、当時は坂口内科と言いましたが、に入りました。同年、学術研究会議医学科会の原爆被爆者の診療とともに、米国調査団と協力いたしまして原爆被害の調査に当たりまして、一九四五年の十月と十一月を広島市宇品にありました臨時陸軍病院で過ごした経験がございます。
私は、一九四五年九月、東京帝国大学医学部医学科を卒業いたしまして、東京大学の第三内科、当時は坂口内科と言いましたが、に入りました。同年、学術研究会議医学科会の原爆被爆者の診療とともに、米国調査団と協力いたしまして原爆被害の調査に当たりまして、一九四五年の十月と十一月を広島市宇品にありました臨時陸軍病院で過ごした経験がございます。