運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

1986-03-06 第104回国会 衆議院 予算委員会第七分科会 第1号

空港東京南部を結ぶ大量輸送機関がもしできなければ、川崎からは川崎港線経由湾岸道路空港乗降客が流れ、一方浜松町からはモノレール空港へ直接客が流れ込むということになります。そして、東京南部からの客は直接空港へ行けず、迂回してモノレールを利用する以外にないという格好になってしまいます。  

鈴切康雄

1984-03-10 第101回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第1号

岡崎分科員 東京都の長期基本計画によりましても、地域中小企業振興センターの設置ということにして、南部地域に一カ所設けるという案もあるわけでございますが、もちろん南部のどこというふうに具体的に決まっているわけではございませんが、いずれにせよ、東京南部産業地域中小企業の密集した日本産業の底辺を支える非常に重要な地域中小企業振興のための技術情報センターをつくるということは、極めて重要だろうというふうに

岡崎万寿秀

1980-10-16 第93回国会 衆議院 逓信委員会 第2号

はございますけれども、効率的な事業運営を図るため、これまでにも、これももう先生方御案内のところでございますが、郵便番号制を採用する、あるいは郵便番号自動読み取り区分機の導入をやる、こういったことを初めといたしまして、局内作業機械化、それによる省力化を図るということでございますが、それから大型通常郵便物小包郵便物専門的に処理する集中処理局の建設、たとえば東京には小包を集中的に処理する局として、東京南部小包集中処理局

魚津茂晴

1980-03-06 第91回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第3号

それに比較して郵政省東京南部小包集中局土地というものは一万二千平方メートル、これだけのものを用意しておっていまだ空き地もかなり豊かであるわけです。  こういう観点からも、大蔵省は電総研究所跡地地元中央区民の意見を大いに反映してその利用を決定すべきではないだろうか、このように思いますが、大臣のこういうことに対する所感といいますか、また御決意のほどを伺いたいと思います。

中川嘉美

1980-03-06 第91回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第3号

その一つは、郵政省東京南部小包集中局としての郵袋継送センターをつくる規模拡張のため土地を拡大したいと言っていること。それからもう一つは、通産省が総合グラウンド及び体育館の用地として大蔵省に申し出ているという情報なんですが、こういったことは事実であるのかどうか。もし働きかけがあったとするならば、申請はどことどこから出ているか、実情をお聞かせいただければと思います。

中川嘉美

1975-06-17 第75回国会 参議院 逓信委員会 第9号

政府委員(石井多加三君) ただいまのお尋ねの東京南部、北部、それから大阪の三つの小包集中郵便局があるわけでございますが、こういった郵便局で、機械処理等のために昭和四十七年度から四十九年度までの間三集中局合わせまして一日平均約二十一万八千個の小包を処理いたしておるわけでございますが、その中で一日平均約二十二個の小包が破損しておるわけでございます。

石井多加三

1975-05-30 第75回国会 参議院 災害対策特別委員会 第4号

特に川崎横浜東京南部におきましては、いま御指摘の南関東地域におきます地震危険という問題がございますので、コンビナート地域の施設、装置につきまして、各市町村の消防当局におきまして、耐震性を含めました保安点検をいま鋭意実施をし、川崎市等におきましてはもう相当の進捗を見まして、必要な是正指示もいたしておるといったような段階でございます。

森岡敞

1975-03-14 第75回国会 衆議院 建設委員会 第7号

それから、震度五の範囲川崎市でございますけれども、それ以前の地震、あの付近に有史以来幾つか地震が起こっておりますが、大体マグニチュード六から六・二か三の地震が起こっておりますけれども、その範囲で言いますと、大体世田谷から南あたり東京南部それから横浜市の北部あたり、このあたりを含めまして、大体マグニチュード程度であれば震度程度範囲になる、それから外部が震度程度となる、そういうことでございます

井上英二

1975-02-25 第75回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第2号

初めに消防庁にお聞きしますけれども、関東地方の大震災が六十九年周期説で一九七八年、昭和五十三年ごろから危険期に入る、また地震予知連絡会が、川崎市を中心に東京南部、横浜市にかけて直下型地震マグニチュード六、震度五ないし六が起こる危険が、今後四、五年の間にあって、特にことしが大変危険性があるというふうに警告しています。  

紺野与次郎

1955-07-04 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第8号

芳根証人 住所、東京都品川区平塚六丁目九百八十二番地、芳根次朗、明治三十年七月二十九日生、五十八才、大正二年三月府立延実業学校卒業大正九年五月茨城県霞ケ浦において緬羊牧場経営大正十三年四月現住所において大平堂書店創設昭和二十三年五月文部省教科用図書第三専門委員に嘱託、昭和二十四年七月日本教科図書販売株式会社監査役就任昭和二十五年三月東京南部教科書供給株式会社社長就任昭和二十七年五月教科書供給協議会全国連合会幹事就任

芳根次朗

  • 1