1996-02-22 第136回国会 衆議院 交通安全対策特別委員会 第4号
ですから、十三日に駐在のために東京出発というふうに我々は聞いておりますが、その後いつまで現地におられて、どのような活動内容を政務次官がされてこられたのか、ぜひともお聞かせをいただきたいと存じます。
ですから、十三日に駐在のために東京出発というふうに我々は聞いておりますが、その後いつまで現地におられて、どのような活動内容を政務次官がされてこられたのか、ぜひともお聞かせをいただきたいと存じます。
それで青森の場合はどうかというと、東京出発七時五十分、同じく気象庁の職員出勤は現地八時半。ですから、パイロットの皆さんは現地の気象状況を、そのデータを持たずに出発するという格好になるんですね。それで、じゃ、その間全くデータがないのかというと、決してそうではないけれども、航空会社の支店だとか代理店なんかが、全くの素人が飛べそうだとかどうのこうのと、そういうものしかなくて飛び立っていくというんですね。
つまり、三十日東京出発、そして七日に帰国、こういうことでありまして、立ち寄り先はワシントンそれからニューヨーク、その他一、二カ所かと思いますけれども、まだその辺は詰まっておりません。
これは休養のためでございますが、アメリカ政府では、大統領御夫妻が、わざわざ遠路アンカレジまで見えまして、しかも、夜中にあそこで御歓迎申し上げたいというようなことがあって、そのために、当初の計画の東京出発も早めたりいたしまして、そういうことが行なわれたわけでございますが、そのときにも、ニクソン大統領から、両陛下に、ぜひ一度公式においでいただきたいということがあったと伺っております。
東京出発以前に函館における状況というのは一応運航管理者のほうにわかっております。その結果、パイロットと東京における運航管理者とが協議をいたしまして、飛行させるかさせないかの決定をする、こういうことに相なっております。
そのときのUPの記事を申し上げますと、核弾頭装備のロケット砲、オネスト・ジョンの日本持ち込み問題は、今春私が東京出発前に取りきめたものである、私はこのロケット砲が日本の防衛に特に有効だと考えたので、これを日本に配備するようにワシントンに要請した、私はアメリカの新兵器に関して重光外相と話しく合ったが、オネスト・ジョンの核弾頭装備の有無と、それをいかに発射するか、それと原子弾頭をつけているかどうかの問題
この視察につきましては、東京出発前、本庁の岩佐監察官並びに名古屋の中部管区監察局長から一般的な事項をあらかじめ聞き取ることができましたので、視察上はなはだ好都合でありました。 現地におきましては、松尾局長から業績の概況を聞きました。特に当方から希望いたしまして、先般法律改正になりました苦情申し立ての業務について説明を受けたのであります。
すなわち、辻議員は、東京出発後、サイゴン、プノンペン、バンコックを経て、四月十四日、ラオスのヴィエンチャンに到着、ここで同地在住の知人で赤坂氏という人物と連絡、パテト・ラオ政権発行の通行手形「安導券」の入手に努めておりましたが、これがうまく参りませんので、ヴィエンチャンよりルアンプラパンへの道を、公道を避け、間道を行くことを決意、赤坂氏の世話で僧形となり、日本の高僧青木と称して、同地のクンタ寺院に手
第三班もまた野党側の委員一人も参加がありませんので、私一人、調査室の松川調査員を伴いまして、去る二日東京出発、翌三日から、近畿地方で最も被害甚大であった三重、和歌山雨県下の災害の実情を調査いたしたのであります。 三重県では県庁を訪れ、知事、副知事その他土木関係者及び尾鷲、三重工事事務所長等から、詳細なる被害状況並びに応急措置等について聞いたのであります。
ところが今岐阜へ回れば十五分、百億ということをおっしゃいますが、それなら中央にわれわれが予定しております線に、これは直線ですから、なぜそこへ引かなかったのか、初めから岐阜へ行ってから曲がる、十五分云々とおっしゃいますが、すでに東京出発から曲がりくねって名古屋まで行っておるじゃないですか。そこをわれわれは言うのです。
七月二十日東京出発、同夜鳥取着、翌二十一日県庁に向い、県下の農林水産事情一般について説明を聞きました。鳥取県の県民所得総額は、国民所得総額の〇・五%余りで、全国の都道府県の最下位にあり、昭和三十二年の産業別所得構成は、第一次産業四一%、第三次産業四〇%で、第二次産業最も低く、わずか一九%にすぎません。
○柴谷要君 それでは遭難機は東京出発する前の運航は仙台から千歳、千歳から東京となっているけれども、大体仙台から千歳へ行ってどのくらい向うで地上におって、それから飛び立ってきて東京へ来て、地上にどうくらいいて、次の運航に入られたか。そこをちょっと聞かしてもらいたい。
○森元治郎君 北海道班は、笹森先生と私と二人が、山本調査員と三名の編成になって去る十五日東京出発、二十三日終了という日程で行動してきました。主たる目的は、一つは千歳における領空侵犯に対する措置、いわゆるスクランブルというものの実態を調べるごとと、昨年外務委員会が根室へ行ったときに回り切れなかった稚内方面の漁業の状態を調べる二つの目的でありました。
七日の夜東京出発、翌八日下関に着き、稲浦理事は三名を代表して、関門国道隧道の工事犠牲者の慰霊祭に出席いたし、竹下委員長及び私は、時間の関係上、直ちに当地方の道路の視察をいたしました。 まず、長府道路に参りました。長府道路と申しますのは、関門国道を長府において国道二号線に結ぶ道路でありまして、道路公団の施行による有料道路であります。
○国務大臣(岸信介君) 私は、来たる五月二十日東京を出発、ビルマ、インド、パキスタン、セイロン、タイ及び中華民国の諸国を歴訪し、六月四日帰国の後、さらに六月十六日東京出発、七月一日帰国の予定をもって、米国を訪問することとなりましたが、これら諸国歴訪の途につくに当りまして、本日ここに所懐の一端を申し述べたいと存じます。
○国務大臣(岸信介君) 私は、来たる五月二十日東京を出発、ビルマ、インド、パキスタン、セイロン、タイ、中華民国の諸国を歴訪し、六月四日帰国の後、さらに六月十六日東京出発、七月一日帰国の予定をもって米国を訪問することとなりましたが、これら諸国歴訪の途につくに当りまして、本日ここに所懐の一端を申し述べたいと存じます。
以下、日程の順序に従って申し上げますと、十一日東京出発、十二日朝、東舞鶴に到着、直ちに第八管区海上保安本部を訪れ、本部長よりその業務内容、警備救難作業の実情等詳細な説明を聴取した後、港内艇にて舞鶴港内を視察、船内にて府及び市当局、第三港湾建設局、近畿海運同等出先機関関係者から本港の現況、整備状況等につき説明を受け、西舞鶴港に上陸し、港湾施設、荷役設備等を視察いたしました。
そこでその点をもう一ぺんお尋ねをいたしますが、これはその当時オネスト・ジョンを持ち込みます際に、ハル元国連軍司令官がAP通信の記者に会見して話をされたところでは、原子弾頭をつけて発射できるロケット砲、オネスト・ジョンを日本に持ち込む問題は、今春私の東京出発前に取りきめられたもので――このロケット砲がというのですから、原子弾頭をつけて発射できるロケット砲を日本の防衛に特に必要だと考えて、日本に送るように
この班は、加藤、山本、西村、横路の四委員が丸山調査員を伴い、それに自治庁の武岡財政部長の同行を得まして一行六名となりまして、八月二十八日東京出発、九月一日東京帰還まで往復五日間をもつて、北海道を一巡し、及び山形県西部地方を視察調査いたしました。調査の結果につきましては、資料を整理した上、いずれお目にかけたいと存じますので、ここには、ただその概要を御報告いたすにとどめたいと存じます。
本派遣委員は自由党田渕光一、改進党田中久雄君、社会党(左)原茂君、社会党(右)伊瀬幸太郎君の各派代表四名をもつて、今次水害による被害並びにその復旧状況調査のため、八月十三日東京出発、翌十三日より五日間にわたり、北海道各地の水害地を延べ行程約三百二十里に及び実地を調査し、北海道庁、北海道議会、北海道開発局、保安隊北部総監部、札幌管区気象台等、各機関における総括的調査のほか、空知支庁、上川支庁、胆振支庁及