1982-09-16 第96回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号
というのは、この一つ一つの本の題の中には、六十五巻大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯とか、その他にもあと四つぐらい大東亜戦争という副題をつけたのがございます。だけれども、それ見ますと、その当時はこういう呼び名だったんですよという感じには全然なってなくて、いまだにこういう呼び方をわれわれはしておりますという受け取り方しかできないんですね。
というのは、この一つ一つの本の題の中には、六十五巻大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯とか、その他にもあと四つぐらい大東亜戦争という副題をつけたのがございます。だけれども、それ見ますと、その当時はこういう呼び名だったんですよという感じには全然なってなくて、いまだにこういう呼び方をわれわれはしておりますという受け取り方しかできないんですね。
岸総理は、大東亜戦争開戦当時の閣僚であり、戦争遂行のために産業行政上重要な役割を果されたことについて、徹底的に自己批判をして、民主政治家として生き抜きたいと、こうしばしば言明せられて参りました。
あなたは、思いまするに、昭和十六年十二月八日、大東亜戦争開戦の詔書に署名された結果、二百万に近い英霊ができ、三百五十万の海外発展の同胞が祖国に裸一つで帰られ、八十万の夫なき人を作り、三十万の身体障害者ができ、十三万の孤児が街頭にさまようていた終戦直後を御記憶であろうと思います。