1967-08-06 第56回国会 衆議院 本会議 第8号
歯どめでありますところの高橋さんがなくなりました後には、国債発行は坂を下る車のように加速度的に増加して、ついに大東亜戦争、敗戦という悲劇になりましたことは、皆さま御承知のとおりであります。
歯どめでありますところの高橋さんがなくなりました後には、国債発行は坂を下る車のように加速度的に増加して、ついに大東亜戦争、敗戦という悲劇になりましたことは、皆さま御承知のとおりであります。
自来大東亜戦争敗戦に至るまでの十年間は、交渉団体にも達せぬ小会派たる社会大衆党議員の一人として、勤労階級の立場に立って、国民健康保険法、育英会法、小作法等社会立法の制定に努力しましたが、戦争そのものを防ぎ得なかったことには深い責任を感じているものであります。
○福田(篤)委員 私はまず先般の、世界大戦、上海事変、支那事変また大東亜戦争、敗戦後の幾多の日本の困難な外交に、身を挺して当られて来られました新大臣に対しまして、深く敬意を表します。本日は、野党である自由党の立場から、今御説明をいただきました外交基本政策の問題、同時にまた本月の十一日に正式に外務大臣声明として所信を発表された点につきまして、所信をお伺いいたしたいと存じます。