2013-10-21 第185回国会 衆議院 予算委員会 第2号
海防も大事でありますが、農民の救済も大事でありまして、私ども公明党は、まさに村田清風が心した庶民の暮らしといいましょうか、そこに思いをいたしながらしっかり働いてまいりたい、こう思っているわけであります。 私は、総理、今のこの国会を見ておりまして、政党政治が改めて大事だなと。しっかり政党が国民の声を聞き、その声を総理に届ける。どうも総理は一人で走っておられるような感じがいささかするわけであります。
海防も大事でありますが、農民の救済も大事でありまして、私ども公明党は、まさに村田清風が心した庶民の暮らしといいましょうか、そこに思いをいたしながらしっかり働いてまいりたい、こう思っているわけであります。 私は、総理、今のこの国会を見ておりまして、政党政治が改めて大事だなと。しっかり政党が国民の声を聞き、その声を総理に届ける。どうも総理は一人で走っておられるような感じがいささかするわけであります。
私は、毛利重就の改革も確かに重要と考えますが、後の村田清風が行った天保の改革に、実はそれがつながったのではないかと思っております。
○安倍内閣総理大臣 村田清風は、残念ながら全国的には余り知られていないわけでありますが、大体、山口県人は全部知っておりますし、旧大津郡三隅町でございまして、私の選挙区でございまして、詳しく知りたい方はぜひ行っていただければ、記念館がございますので、そこで見ていただきたいと思うわけであります。 今御指摘のように、当時、長州藩は危機的な状況に直面をしていました。
先ほど、先生が例として私の言葉を引用されたわけでありますが、村田清風もまた吉田松陰も孟子の言葉をよく引用されたわけでありますが、自らかえりみてなおくんば、一千万人といえどもわれゆかんと、この自分がやっていることは間違いないだろうかと、このように何回も自省しながら、間違いないという確信を得たら、これはもう断固として信念を持って前に進んでいく、そのことが今こそ私は求められているのではないかと、このように
議事録からちょっと引用させていただきますが、安倍長官が長州藩家老村田清風の名前を引き合いに出して、私の地元にも幕末の前に村田清風という家老がいまして、言わば藩内において改革を断行したわけでありますが、当時も大変批判が強く、彼は結果として必ずしも幸せな人生を送ったとは言えないわけでありますが、彼のライバルの家老はむしろ財政出動を進めたということであって、当時からどちらが当たっていたのかということが言われてきたわけでありますが
○国務大臣(安倍晋三君) ただいま小泉総理が感想を述べられたわけでありますが、私の地元にも幕末の前に村田清風という家老がいまして、言わば藩内において改革を断行したわけでありますが、当時も大変な批判が強く、彼は結果として必ずしも幸せな人生を送ったとは言えないわけでありますが、彼のライバルの家老はむしろ財政出動を進めたということであって、当時からどちらが当たっていたのかということが言われてきたわけでありますが
また村田清風という人がたしかおったはずでありますが、その当時毛利藩は数十万両の借金を持っておった。ところが毛利藩をいかにして発展させるか、長州をいかにして発展させるかということは、教育以外にはないというので、当時数十万両あった上にまた三十数万両の借金をして、あらゆる教育施設、文化施設にこれを投じた。人物の養成をしてこそ初めて毛利藩の発展があるのだという決意のもとにやられた。
古い例を出しまして非常に失礼でありますが、かつて長州の毛利藩に村田清風という学者がおられました。一番年の若い末席家老であつて、当時の長州藩が数十万両の借財を負うて四苦八苦をしておる、そのさ中に、いわゆる家老会議でもつて借財に借財を重ねて、新しく数十万両の借財を背負つて、それを全部教育施設へほうり込んだ。