総理は、さきの大戦に対する痛切な反省を表明しましたが、村山内閣総理大臣談話にある「心からのお詫び」には触れませんでした。この点については、比較的穏当な論調で知られるフィナンシャル・タイムズ紙ですら、四月三十日付で、安倍、議会でおわびに言及せずという見出しで記事を掲載しており、国際社会の注目度を物語っていると思います。
やはり、紆余曲折ありましたけれども、そうした認識をみんながしっかりと持って、そしてそれを集大成させたのが、終戦五十周年の節目に発出された村山内閣総理大臣談話であるというふうに思っておりますので、前段、安倍総理の演説も披露させていただきながら、今回こういう形で議論させていただきました。 これで質問を終わります。ありがとうございました。
そして、こうした認識を集大成したものが、村山内閣総理大臣談話でありました。この談話は、平成七年八月十五日、終戦五十周年の機会に閣議決定されています。 ところが、去る二月二十一日、文部科学委員会における私の質問に対し、下村文部科学大臣は、村山談話は閣議決定を経ておらず、政府の統一的な見解に当たらないと答弁しました。三月二十六日には、同じく文部科学委員会の質疑の中で、再び同じ答弁をされました。
最初に、村山内閣総理大臣談話の閣議決定に関する答弁についてのお尋ねがありました。 本年二月二十一日及び三月二十六日の衆議院文部科学委員会において、教科書検定基準において規定する「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解」に関し、村山内閣総理大臣談話は閣議決定されていない旨の発言をいたしましたが、これは事実誤認でありました。
○下村国務大臣 当委員会における二月二十一日の菊田真紀子委員の御質問及び三月二十六日の宮本岳志委員の御質問に対する答弁において、教科書検定基準において規定する「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解」に関し、村山内閣総理大臣談話は閣議決定されていない旨の発言をしましたが、同談話は、平成七年八月十五日に閣議決定の上、発表されたものでした。
次に、文科大臣、大変お待たせをいたしまして、時間がなくなってきて全部は聞けないんですが、まず一つ、通告していないんですが、先般、大臣は衆議院の文部科学委員会で、教科書検定基準に関する質疑で、村山内閣総理大臣談話は閣議決定されたものではありませんというふうにお答えになっているんですが、これは事実誤認だろうと思うんですが、閣議決定されている、この点は御確認いただけますか。
村山内閣総理大臣談話、河野官房長官談話自体は閣議決定されたものではありません。検定基準における「政府の統一的な見解」には当たらないものであります。
村山内閣総理大臣談話、河野官房長官談話自体は、これは閣議決定されたものではありません。検定基準における「政府の統一的な見解」には当たりません。 ただし、それらに示されている基本的な立場については、安倍内閣においても継承している旨、質問主意書の答弁により閣議決定されております。
歴代内閣が継承してきた村山内閣総理大臣談話は、ここで言う「政府の統一的な見解」に該当するのでしょうか。いわゆる従軍慰安婦問題に関する河野官房長官談話はどうでしょうか。
戦後五十年に当たる一九九五年十月十三日の衆議院の予算委員会、それから十月十七日の参議院の予算委員会で、当時の村山内閣総理大臣が日韓併合条約についてこのように答弁されております。この条約は、締結に当たって双方の立場が平等であったというふうには考えておりませんと、繰り返しこういう趣旨の答弁を村山首相はされました。
ただ、ここで申し上げたいと思いますのは、さきの大戦に関する政府としての認識、これはもうこれまで答弁させていただいたとおりでございますが、村山内閣総理大臣の談話及び小泉総理大臣談話等によって示されてきているとおりであるということでございます。
○国務大臣(河村建夫君) さきの大戦に関する政府としての認識については、既に平成七年の村山内閣総理大臣の談話、あるいは平成十七年の小泉内閣総理大臣の談話等で示されておるところでございますが、このさきの大戦に関してはやっぱり様々な議論がある。
先ほど申し上げましたけれども、政府としての認識は、さきの大戦に関する認識は、平成七年八月十五日の村山内閣総理大臣談話、それから平成十七年八月十五日の小泉内閣総理大臣談話等において示されてきているとおりでございます。
いずれにいたしましても、さきの大戦に関する政府としての認識は、平成十七年の村山内閣、平成七年です、失礼いたしました、村山内閣総理大臣の談話、それから平成十七年の小泉内閣総理大臣談話等において示されてきているとおりでございます。
○国務大臣(塩谷立君) 政府としては、平成七年に村山内閣総理大臣の談話、十七年に小泉総理大臣の談話ということで、私自身もそのような談話、考え方を踏まえて、我が国が過去の一時期、植民地支配と侵略によって国内外に被害を与えたという事実、とりわけアジアの諸外国の人々に対して多大な損害を、苦痛を与えた事実を受け止めて、これらに対する深い反省またおわびの気持ちに立って、世界平和と繁栄に向かって力を尽くしていきたいということを
村山内閣総理大臣談話の見解ですが、今回の法案は、教育をめぐる状況の変化に対応し、新しい時代の教育理念を明確にすることにより、教育改革を着実に進め、未来を切り開く教育の実現を目指すものであります。このような今回の法案によって、村山内閣総理大臣談話の認識が変わるものではありません。
まず最初に、いわゆる水俣病政治決着の際、平成七年十二月十五日、水俣病問題の解決に当たっての村山内閣総理大臣談話というものがあったわけでありますが、これは閣議決定であった、こういうふうに聞いております。ところで、今回の水俣病公式確認五十年に当たっての小泉内閣総理大臣の談話、これはどういう扱いであったのか、そのことについて、そしてまたその違いを承りたいというふうに思うわけであります。
私は、四月十九日の本委員会において、前回の検定時、森総理は、当時の森総理は、政府の考え方は村山内閣総理大臣談話を基本として、深い反省とおわびの気持ちに立って世界の平和と繁栄に向かって力を尽くす。政府としてはこの考え方に立って教科書があるべきものと答弁された。森総理答弁を尊重する覚悟はおありかというふうな質問をさせていただきました。
町村大臣の方からは、韓国国民の過去をめぐる心情を重く受け止めるということを述べるとともに、九五年の村山内閣総理大臣談話等に盛り込まれている考え方について言及をいたしました。 その上で、大臣の方からは、過去に起因する諸問題について人道的対応を更に継続して進めるという方針の下、在韓被爆者支援につきまして、健康管理手当の支給申請に当たり在外公館の活用を検討するという旨、説明をいたしました。
○那谷屋正義君 前回の検定時、教科書の検定時と重なる〇一年三月の本院予算委員会において、さらに森総理、当時森内閣でしたけれども、森総理は、政府の考え方は一九九五年八月の村山内閣総理大臣談話を基本として、我が国が過去の一時期に植民地支配と侵略により多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受け止め、これらに対する深い反省とおわびの気持ちに立って世界の平和と繁栄に向
○国務大臣(中山成彬君) 政府の考え方というのは、一九九五年八月十五日の村山内閣総理大臣談話を基本としておりまして、我が国が過去の一時期に植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた事実は、これは謙虚に受け止めて、これらに対する深い反省とおわびの気持ちを持って世界の平和と繁栄に向かって力を尽くしていくというものであるというふうに私は考えておりまして、
○国務大臣(中山成彬君) 政府の考え方というのは一九九五年の八月十五日の村山内閣総理大臣談話を基本としておりまして、我が国が過去の一時期に植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受け止め、これらに対する深い反省とおわびの気持ちに立って世界の平和と繁栄に向かって力を尽くしていくというものでございまして、政府の一員である私といたしましても、
○石井(郁)委員 これは十年前に「戦後五十周年の終戦記念日にあたって」という村山内閣総理大臣の談話もございまして、今大臣もお述べになられたような趣旨で、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えたということがあるわけでございますが、私は、やはり政府としては、この立場をきちっと堅持していただかなくてはいけないというふうに思うわけですね。
○銭谷政府参考人 先ほど来申し上げておりますように、これは当時の政府の認識を述べたわけでございますが、同時に、先ほど来大臣からもお話がございましたけれども、一九九五年の村山内閣総理大臣談話を基本として、我が国が植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受けとめ、これらに対する深い反省とおわびの気持ちに立って、世界の平和と繁栄に向かって力を
○中山国務大臣 いろいろな見方があることも承知しておりますけれども、政府の考え方は、一九九五年の八月十五日の村山内閣総理大臣談話を基本としておりまして、我が国が過去の一時期に、植民地支配と侵略により、多くの人々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受けとめ、これらに対する深い反省とおわびの気持ちに立って、世界の平和と繁栄に向かって力を尽くしていくというものでございます
○麻生国務大臣 早稲田だったか東京大学だか、東大だったと思いますが、東大の五月祭でしたかね、そのときだったと記憶をいたしますけれども、そのときの発言だと思いますが、これにつきましては、その後いろいろ話題を供しましたので、基本的にはかつての村山内閣総理大臣談話並びに橋本総理大臣の訪韓時の発言と同様の歴史認識を持っておるという点はきちんとそのときは申し上げております。
しかし、ということではありますけれども、政府としては、一九九五年の村山内閣総理大臣の談話とか、また二〇〇一年のサンフランシスコ平和条約署名五十周年記念式典における外務大臣のステートメントにございますとおり、さきの大戦で多くの国の人々に多大な損害と苦痛を与えたことについて、痛切な反省と心からのおわびの気持ち、これを繰り返し表明しておるところでございまして、そのことを我々は忘れてはいけないことだと思っております
○国務大臣(川口順子君) 先日申し上げましたように、さきの大戦に対する我が国の政府の考え方は、戦後五十周年に発表された村山内閣総理大臣の談話にございますように、我が国が、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことに対しまして、痛切な反省の意と心からのおわびの気持ちを表明