1951-03-31 第10回国会 参議院 本会議 第35号
特に私はここで申上げて置きたいと思いますことは、日発側から社外重役をたくさん入れろという一番中心的なものは、本院におきましても証人として意見を述べられておつたところの例えば関東の新井章治氏であるとか、或いは関西の池尾芳藏氏であるとか、或いは九州の村上巧兒氏であるとか、或いは同じく関東の名取和作氏であるとか、こういう、こちらから推薦したところの、日発側から推薦したところの人は一顧だに加えずに、全部これはそのまま
特に私はここで申上げて置きたいと思いますことは、日発側から社外重役をたくさん入れろという一番中心的なものは、本院におきましても証人として意見を述べられておつたところの例えば関東の新井章治氏であるとか、或いは関西の池尾芳藏氏であるとか、或いは九州の村上巧兒氏であるとか、或いは同じく関東の名取和作氏であるとか、こういう、こちらから推薦したところの、日発側から推薦したところの人は一顧だに加えずに、全部これはそのまま
そのほかに九州の村上巧兒氏を出したのであります。ところがその後松本委員長は森君あたりに、こういうことを君は書いておるが、何も受けるか、受けないかわからんじやないか、名取君は現に息子さんが来て、どうも困る、こういうお話である。村上君は松永君に断わりに行つたという話がある。だからこういうものを書いて出して、後は推して知るべしだから、一顧の価値もないということで以て棒を引かれたということである。
然るに今松永委員の御意見を伺いますというと、重役陣がもうきまつてしまつて、勿論日数の関係もあつただろうとは考えますが、村上巧兒氏が会長になつても、九州のほうの重役陣は変更が今できないのだ、これは永久にとは松永さんおつしやつていませんが、できないのだという前提に基いて会長になつて頂くということを言われたように私は承わつております。
○委員長(西田隆男君) 只今の松木委員長の御答弁を承わつておりますと、松永委員が村上巧兒氏に対してそういうことを言われたか言われないかという答弁は取つておりませんが、あのお手紙の内容から行くと、松本委員長のお考えかたと松永委員の考えかたには非常な差があつたということを私は考えられるのであります。で松永委員に御答弁を頂きたいと思います。
午前中に聞きました村上巧兒氏と同じやり方がここに出て来ておるわけであります。舞台裏の問題と表舞台の問題が食い違つております。従つて私の想像では、新井氏については何とか本人が断つた形をとつて、今日発表されておる人事に持つて行こうという意図が非常に強かつたと思われるのであります。
そうして松本委員長は、新商法の精神に則つて会長ができれば、当然に会長が人事その他のことを実際に決定する会社の首長であるというふうな考え方でおられるように解するわけですが、当時まだ公益委員会の人選が、こういう会長とか社長とかというものを中心に行われておつた際に、九州の村上巧兒氏に対して公益委員会から交渉をされたと承わつております。