2014-10-17 第187回国会 衆議院 経済産業委員会 第2号
土地は当時の李登輝総統が提供してくれる。では建物はどうするんだ。お金の出しようがなかったんですが、小渕総理が、外務省、文科省にいろいろ指示を出してくれて、その週のうちに、阪神・淡路大震災で経験のある臨床心理士を派遣してくれた。教材の補助もしていただきました。最終的には本校舎の建設費を四億円も出していただいた。
土地は当時の李登輝総統が提供してくれる。では建物はどうするんだ。お金の出しようがなかったんですが、小渕総理が、外務省、文科省にいろいろ指示を出してくれて、その週のうちに、阪神・淡路大震災で経験のある臨床心理士を派遣してくれた。教材の補助もしていただきました。最終的には本校舎の建設費を四億円も出していただいた。
もう一回お尋ねしますけれども、中台問題というのは、あのときはたしか、李登輝総統の総統選挙があったときに、中国が演習と称して近海でミサイルを撃った。そのときにアメリカは空母を派遣して、中に割って入ったことによって、ある意味では中国に、これ以上の挑発行為のエスカレートを力で封じ込めたところがございました。
○枝野議員 昔、台湾の李登輝総統とお目にかかったときに、政治というのは時間の関数であるという哲学的なお話を聞いて、そのときは何なのかなと思っていたんですけれども、最近、先ほどの話も含めて、なるほどなと思いました。 社会状況は、我々が国会で議論しているのを置いて、どんどんどんどん先に変化をしております。
私どもとしては、これは、何というの、台湾と日本との関係からいきますと、これは今、先ほども申し上げましたように、これは九九年でしたか、李登輝総統の話から、たしか発言以来なんだと思いますけれども、私どもとしては、一方的な現状変更というものを両国、両岸関係というのが正確な表現になっていると思いますが、両岸関係において私どもは変更というものを望まないのであって、是非この種の話はいかなる変更があろうとも平和的
しかし、それによっても不安は解消されなくて、結局、台湾の李登輝総統が台湾と大陸の関係は特殊な国と国との関係であるというようなことを言って、中国がこれにかっとなったということがございます。そのせいもありまして、クリントンはアメリカの中国、台湾に対する政策というのは柱が三つあると。一つの中国、それから両岸の対話の促進、それから平和的解決の主張ということだというふうにちょっと後退してまいります。
七〇年代の日中航空協定の問題から光華寮裁判の問題、あるいは李登輝総統の、前総統ですね、これは。前総統の訪日問題というような問題がありました。この李登輝前総統の訪日もつい最近またありましたけれども、ただ、まあこの辺も、どうしてこんなに大きく取り上げられたのかというのも何となくよく分からないんですけれども。辞められた方ですから、ほぼ特に問題はないと思いますけれども。
李登輝総統は、私が申すまでもなく、台湾に自由主義、民主主義というものを定着させまして、既に三回の、あちらでは大統領のことを総統というんですが、総統選挙が行われて、民主的な手続の中で李登輝さんが初代の総統になって、陳水扁さんが二代、三代の今総統になっている。経済も教育もすごく発展をして、ある部門では日本よりもはるかに超えているところもあるというところであります。
全く私人なんですよね、李登輝総統。我々日本側から台湾に行くのは百万人弱、台湾から私どもへ入国していただく方々は八十万を超えている。その中のお一人としてどうしてとらえることができないのか、非常に私は不思議に思う。 どういうことをお話しに、あるいはどういう目的でということで我々いろいろ話をしたんですが、原稿を全部読んでいただきました。学生たちから二年前から要請があった。
時間が限られておりますので早速お伺いをしたいと思うのですが、まず最初に、今各党の委員からも御質問があっておりますが、今回の件は、要約的に言いますと、いわゆる台湾の国家安全局が、李登輝総統時代から、台湾の安全保障を強化するための、日米の主要な政治家や官僚に対して工作を展開した。
それから、私が四月に参りましたときは、李登輝、当時まだ総統でございましたけれども、李登輝総統。それから直後に行政院長になられた唐飛国防部長。それからあと、主要な幹部でございますけれども、外交部ですとかあるいは総統府、それから大陸委員会。それからもちろん国防部、それから安全保障関係の機関。さらには、ちょっと欲張りまして、日本でいうところの海上保安庁あるいは水産庁に相当するところ。
○秋山参考人 二〇〇〇年四月に台湾を訪問いたしましたときに、李登輝総統への面会は彭栄次氏の紹介で、彭栄次氏に連れていってもらったわけでございます。私は、彭さんにごちそうになったかどうかというのは必ずしも明確に記憶がございませんけれども、一回、二回、食事はしたことはございますが、それは彭栄次さんが私にごちそうしてくれたかどうかは、ちょっとそこは正直言ってよくわかりません。
二〇〇〇年四月に参りましたときは、李登輝、当時まだ総統でございましたけれども、李登輝総統。それから唐飛、当時は国防部長ですが、その後行政院長になられた方であります。あと、大陸委員会の幹部ですとか、あるいは外交部の幹部ですとか総統府の幹部。あるいは国防部、安全保障関係の幹部。
フランスとドイツ、ヨーロッパ勢が優先的に交渉権を与えられていたのが急にひっくり返りまして、そこで日本連合がとることになるんですけれども、このときは、これは日経ビジネスによればですけれども、直前に台湾の地震があって、耐震構造を持った日本の新幹線の方がいいとか、あるいはヨーロッパで、ドイツで鉄道事故があったりしてちょっとこれはまずいよという話もあったんですが、この日経ビジネスの見る見方の一番の決定打は、李登輝総統
李登輝総統の非常に強い信念というものもそのとき印象的だったわけですけれども、委員の御発言ですと、アメリカの政策変更というものが李登輝発言の背景にあったんじゃないかという御指摘ですけれども、私の印象では、どちらかというと、李登輝前総統の本省人としての今までの経験とか広い学識、深い学識というものに裏打ちされての発言だったのじゃないかなと思うわけです。
しかしながら、李登輝総統が直接選挙によって選ばれ、そして陳水扁総統が直接選挙によって選ばれ、そして議会が構成をされ、きちんとした手続によって政権交代というものが行われた。そういうような台湾というものを考えたときに、どちらが正統な政府ですかということはもうなくなったんだろうと思っている。これは、国際法的に一種の変質を果たしたんだろうというふうに考えています。
○国務大臣(中谷元君) 前回、九六年に、ちょうど李登輝総統が台湾の総統に就任の選挙中だったと思いますけれども、同種の訓練がございました。このときはミサイルの発射訓練、また海空軍の実弾演習、また陸海空統合上陸演習というかなり大規模なものでございまして、この点につきましては我が国の領域近海にミサイルが発射されたということもございまして、強く抗議をしたわけでございます。
しかし、一九九九年七月、台湾の李登輝総統が、中国と台湾との関係は特殊な国と国との関係であるという発言をしまして、これが中国の激しい反発を呼んだわけであります。遅浩田国防相はこの発言を分離主義の危険を冒すものであると、そしてそのような危険に対しては人民解放軍はいつでも対応する用意ができているという非常に恐ろしい発言をして世界の懸念を高めたということがございました。
これについて、従前、河野外務大臣は、李登輝総統時代の日本訪日に対して余り肯定的ではありませんでしたが、今それに対してどう思われるか。それとも、もし同じだとおっしゃるなら、どういう条件があったときに李登輝訪日を認められるのか。その辺についてお聞かせ願いたいと思います。
李登輝総統ともお会いしたんですが、李登輝総統は、退任後はNGOをやりたい、しかも国際的なNGOをやりたいというふうな発言をされておりました。
○森内閣総理大臣 李登輝総統がそういうお気持ちがあるということは新聞等で伝えられておりますが、私どもとしても、政府としても、まだそのことを具体的に、正式なお話があるというふうに承知をいたしておりません。
台北では、与党、野党、そして李登輝総統など、それぞれの立場の違う方々にお会いしました。その中で、共通してありました皆さんの言葉の中に、例えば台湾の要人がフランスに行けば大統領にも会える、しかし、同じ自由主義国の日本に行くと、日本の政府高官にはだれにも会えない、なぜなんだろう、私たちはこんなに日本と近い関係にあるのにと。
それで、向こうでいろいろ話をしておりましたけれども、やはり課題は、李登輝総統が五月の二十日で終わりになられて、政府の要人としても党の要人としても終わって、十月の二十九日から三十一日まで行われる長野のアジア・オープン・フォーラムに参加ができるのかどうなのかということを、いろいろなところで聞かせていただきました。