2014-02-14 第186回国会 衆議院 予算委員会 第8号
その後、昭和六十年にいわゆる辛光洙事件があって、それで原敕晁さんを北朝鮮に拉致をした上で本人に成り済ましていたという事件があり、その後は、今外務大臣からもありましたように、いわゆる李恩恵事件ですよね、大韓航空の。
その後、昭和六十年にいわゆる辛光洙事件があって、それで原敕晁さんを北朝鮮に拉致をした上で本人に成り済ましていたという事件があり、その後は、今外務大臣からもありましたように、いわゆる李恩恵事件ですよね、大韓航空の。
政府は、一九九一年の第三回日朝国交正常化交渉において、北朝鮮に対し、北朝鮮による拉致の疑いが強い失踪事件である李恩恵問題を提起し、以来、繰り返し北朝鮮に拉致問題を提起してまいりました。その結果、二〇〇二年九月の第一回日朝首脳会談において、北朝鮮側が初めて拉致を認めるに至った次第です。
さらに、一九八七年の大韓航空機爆破事件の際に明らかになった李恩恵問題を契機といたしまして、北朝鮮による日本人拉致について、他に同様の事案がないかも含めまして、重大な関心を持って取り組んできたところでございます。
○有田芳生君 李恩恵の事件についてはもう、これまた国際的、国内的にも非常に一般的にも知られているわけでありますけれども、念のため、昭和五十二年、一九七七年に起きた石川県における宇出津事件について、どういうものだったのか、少しお話しいただけますでしょうか。
これまた、もう既に御承知のように、二回目の金正日政治軍事大学での日本語の教師は、後に分かりますように李恩恵、すなわち田口八重子さんということが明らかになっております。 じゃ、一番初め平壌外国語大学で習った人はだれなのか。そのことを金元工作員は崔順という日本人女性だという証言をしております。チェ・スン、崔順と書くんですよね、崔順さん。この方に日本語を教わったということを証言しております。
あえて言わせてもらえると、金賢姫氏は、これはもちろん李恩恵というふうに彼女たちは言っていますが、日本人の拉致被害者によって日本語教育を受けている。しかも、同時に、これは伝聞によりますと、中国語教育も孔さんという中国人、孔さんから受けている。 中国人と日本人が、向こうでは、これは向こうのいわゆるスパイ育成教育の基本かもしれませんが、マンツーマンで教える。
それは、要するに、李恩恵と言われていた田口八重子さんが金賢姫元工作員に日本語を教えていた、それから、もう一人の同僚の工作員金淑姫にも日本語を教えていたのが横田めぐみさんであるという証言がありましたから、今、現時点では、北朝鮮はこれに対して関与していないという立場をとっていて、韓国国内でもそれを支持する人たちがいるようなんですけれども、そうなると、もし田口さんが帰ってきたらそのことも全容が明らかになってしまう
李恩恵という方に日本語を教わったのだ。田口八重子さん。この李恩恵の、いつも日本の子供たちを思って窓の外を見ながら泣いていた姿が印象的であった、そして、テレビで見た息子さんの姿が、目が大きいところがそっくりだったというふうにあります。
さらに、この女性工作員だった真由美こと金賢姫は、彼女の日本語の教育係、李恩恵こと拉致被害者の田口八重子さんだった。つまり、日本の拉致問題とも極めて関係が深い問題なんだと。 ここでちょっと大臣にお聞きします。北朝鮮は、この大韓航空機爆破事件、認めたんですか。
その後、昭和六十二年の十一月に発生いたしました大韓航空機爆破事件の実行犯でございます金賢姫が、北朝鮮において日本から拉致された李恩恵と称する日本人女性から教育を受けた、そういう供述をいたしましたものですから、警察庁においても担当者を韓国に派遣して、この金賢姫から直接事情聴取を行ったものでございます。
しかし、これまでに、大韓航空機爆破事件の実行犯金賢姫元死刑囚の証言では、一九八一年七月からおよそ二十か月間、金元死刑囚に日本語を教えたとされる李恩恵、すなわち田口八重子さんと同居をしていたとしております。さらに、地村富貴恵さんの証言では、田口さんが金元受刑者の偽名である玉花に日本語を教えていたと証言をされています。
先方が、李恩恵に関する最近の報道でもございますように、この点について先方の説明というのは、これにつきましては全く我々としてはそのまま承服できないような内容もございましたが、これについては今鋭意、全体の我々の持っている情報も突き合わせて精査をしているところでございます。
今回のこの横田さんの履歴を捏造してまで田口さんの存在、すなわち李恩恵の存在を否定したというふうにもとらえられるわけです。この大韓航空機の爆破事件という国家的テロ行為を否定するための捏造であれば、そこには拉致問題を超えた金正日総書記の強い意図が働いていたとも見ることができると思いますが、町村外務大臣はどのようにお考えなのか、外交の責任者として大臣の御見解をお伺いをいたします。
それは、例えば、蜂谷真由美こと金賢姫が大韓航空機を爆破した、で、金賢姫の手記によれば、私には日本語の先生がいたと、李恩恵という人で故国に残した子供を思って泣いておったというのがあって、それは田口八重子さんであるということになるとするならば、それは、拉致は何のために行うかというと、単なる人さらいではなくて、大韓航空機爆破事件という、これは明らかな国家テロとも言うべきものであろうと、とするならば、その拉致
つまりは、日本人教育をする、そしてそれは金賢姫さんもこれは答えているわけです、李恩恵が教師であったということは答えている。ということであれば、全部つながるんじゃないでしょうか。
それで、これについて、一九八八年の一月に、大韓航空機爆破事件が起こって、その実行犯の金賢姫が李恩恵という日本人女性の教育係の存在を明らかにいたしまして、それが田口八重子さんである、こういう判断がされました。 外務省は、その判断をされた時点で、直ちに、北朝鮮に対して、それについての真相究明とそれを帰せというふうな要求をいたしましたか。
それよりも前の段階に外務省が北朝鮮に李恩恵さんのことを提起することができたかどうかということですけれども、そういうことをもするチャネルがなかったということでございます。
それで、その後、第三回の本会談、これは九一年の五月の時点でございますけれども、この時点で、日本側から、この李恩恵さんの問題を提起いたしております。
その田口八重子さんが、李恩恵という名前で蜂谷真由美という日本人に成り済ました大韓航空機爆破犯人の日本人化教育係だ。 こういう流れから見れば、明らかにテロだ。そして、世界の常識は、テロリストとは闘う、交渉しない。ピョンヤンで交渉したから言いにくいんだろうと思いますが、プーチン大統領が百名の人質、犠牲者を物ともせずテロリストを制圧したことを国際社会は何ら非難しない。
しかしながら、その後、北朝鮮による日本人拉致容疑事実の重大性にかんがみまして、李恩恵の拉致容疑事案とか一連のアベック拉致容疑事案あるいは辛光洙事件それから宇出津事件につきまして、昭和六十三年に至りまして、国会の場において、それぞれ北朝鮮による拉致の疑いがあるという旨の答弁を行いまして、資料の少ない中でいろいろ証拠収集をいたしまして、そういう一応判断に至ったわけであります。
ここは実は非常に悩ましいところでございまして、なかなかこれは、先ほども申しましたが、手のうちをさらけ出しにくいという要請もございまして、我々としても苦慮するところでございますが、李恩恵拉致容疑事案については昭和六十三年の二月十七日の衆議院地方行政委員会で、また、福井、新潟、鹿児島の各県下で発生しました一連のアベック拉致容疑事案それから辛光洙事件、これにつきましては同じく六十三年の三月二十六日の参議院予算委員会
北朝鮮はこれまで、日本側が提起してきた大韓航空機爆破事件にかかわる李恩恵問題等に強く反発をした。ここで反発をしているわけだ。反発をして、以後長く交渉が途絶える結果になったということの経過があるわけですね。 次の訪朝団、九五年三月、いわゆる渡辺訪朝団、これは渡辺美智雄元副総理ですね。その直後の六月と十月に、政府は第一回と第二回の米支援を行っているわけです。今まで全部で六回、米の支援を行っている。
一つは、先ほど先生も御指摘になりました李恩恵それから拉致の問題、それを出した途端に席を立っていくというような状況もございました。それからもう一つは、基本的な正常化の形の問題で、先方は補償ということに非常に強いこだわりがあるわけで、日本は補償ということはできないという形での対立というのは一切埋まらなかったということでございます。
○西村委員 李恩恵を公表された警察に私は敬意を表するわけであります。しかしながら、やはり久米さんの件は大体そのころ認知だと。地をはうような努力をされておった、しかし、我々の政治の世界を含む国民世論の知るところではなかったと。
その後、八年ほどたちまして、昭和六十三年の二月十七日、衆議院地方行政委員会、ここでは李恩恵拉致容疑事案についての御質疑があり、それから引き続きその年の三月二十六日の参議院予算委員会では、福井、新潟、鹿児島の各県下のアベック拉致容疑事案とそれから辛光洙事件ですね、これについて御質疑がありまして、それに対して、警察庁としてこれが北朝鮮による拉致の疑いがあるという答弁、そういう答弁ができたのはこのときが最初
例えば、田口八重子さん、これは李恩恵と言われている。それから横田めぐみさん、これは工作機関で教授をやったりしているわけですから、この人たちが生きて帰ってくるということになれば非常に北朝鮮のスパイも日本における大打撃を受けると。
大韓航空機を爆破した、それは金賢姫であり、その先生が李恩恵であって、だとすればテロと拉致というのは表裏一体のもの、一心同体のものだから、これは国際社会としてそういうことをやっていこうという話もしておるのであります。 西岡先生に承りたいのですが、拉致された方々の命というものと、私どもが北朝鮮に対して強い姿勢で臨むということを、これをどのように両立をさせていったらいいものだろうか。
○政府参考人(田中均君) 私は十分熱意を持ってお答えしているつもりですし、実は一九八八年に拉致の問題が明らかになってきたわけですけれども、実は私はそのときの担当課長であった、金賢姫という女性と面会をして、この李恩恵という人の存在というのも聞きましたし、有本さんの御家族からは手紙も拝見をさせていただきました、当時。