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24件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1966-06-29 第51回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

ただ、この西日本短大の場合、設立いたしましてから若干の年数もたっておることでございますから、その間の経緯考えまして、杉江局長等からも、将来性についてやや暗い見通し気持ちを先般お答え申し上げたかと思いますけれども、去年、ことし等急増期間後、また最近一年一年短大あるいは大学等への進学率がかなり地方においても高まってきておる動きもございます。

木田宏

1966-06-29 第51回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

説明員説田三郎君) 短大につきましては、先般の委員会杉江局長から申し上げましたとおり、最低基準という意味で三千七百五十坪でございますが、それから高等学校につきましては四千三百二十坪ということになっておりまして、合計で八千七十坪ということでございます。いずれも最低という意味でございます。

説田三郎

1966-06-02 第51回国会 参議院 文教委員会 第18号

こういうことは文部省として限界があるわけですが、限界の中で、たとえば杉江局長が言っているように、学校とももう少し話し合って、そうして反省を求めるとか、いろいろなやり方はあると思います。そういういろいろなやり方の、可能な範囲内でのやり方でも学校の行き方等については相当のサゼスチョンを与え、あるいはいま申し上げましたいろいろな問題についてはやはり調査もしていただきたいと思います。

鈴木力

1966-03-25 第51回国会 衆議院 文教委員会 第13号

杉江局長のほうから御答弁を申し上げたわけでございますが、私自身ただ一言で申し上げますならば、この質疑応答の間で示されました先生の御意図、お考え等につきまして、まだまだ文部省の態度につきまして、将来をかけて御心配の趣も多多あったように存じます。御意見十分参考にさせていただきまして、先生の御心配のないように私どもつとめてまいりたい、かように存じますので、御了承賜わりたいと思います。

中野文門

1966-03-25 第51回国会 衆議院 文教委員会 第13号

川崎(寛)委員 それでは杉江局長はうそを答弁していることになるわけです。同じく三月十六日の本委員会において、高橋委員質問に対して杉江局長はこういうふうに答弁しているわけです。つまり昨年宮城教育大学のその問題が本委員会でたいへん議論になったときの答弁に関連をしまして、それを高橋委員質問されましたことについて、局長はこういうふうに言っている。

川崎寛治

1966-03-23 第51回国会 衆議院 文教委員会 第12号

しかし、それをただ待っておるわけにはまいりませんから、先ほど杉江局長からも申し上げましたように、できるだけそういう高度の研究をする能力があり、また希望のある者に対しては育英制度活用等をいたしまして、そうして研究の助成といいますか、助けをしていく道を一面構じていく必要があると思いますので、そういう方向でわれわれとしては今後とも高度の科学者養成のために努力をしてまいるべきものである、かように考えております

中村梅吉

1966-03-16 第51回国会 衆議院 文教委員会 第10号

それから杉江局長も自分に都合のいいところだけを速記録を読むのではなくて、全部の速記録を一ぺん読んでみる。そうしなければこれはまた防衛問題と同じで、十三項目、食い違いをあげて、一ぺん答弁を求めなければならぬことになる。あれだけ時間をかけてもなおあれだけ意見食い違いがあるとすれば、もう少し詰めて真剣に審議をしなければならぬということをいままでのあなたの答弁を聞いておって私は感ずるのです。

二宮武夫

1966-03-09 第51回国会 衆議院 文教委員会 第8号

去年は杉江局長が五千二百ということで説明してきているのですよ。きょうはもう五千なんだ。いま約五千ということで課長は言おうとしている。あまりいいかげんな数字を言いなさんなよ。文部省数字というのはそういういいかげんな数字でいいのだということになれば、私たちは頭からそういうことで審議に臨みますよ。少し数字の扱いがいいかげんですよ。

川崎寛治

1966-03-09 第51回国会 衆議院 文教委員会 第8号

長谷川(正)委員 いまの安養寺さんの御答弁で、一番最初に杉江局長が言われたことが若干訂正されたかっこうで、ほぼそのことをいま概略の五年間の見込みとしての、その一年間の見通しという形で、千四百ないし千五百の養成、こういうふうにお答えがあったと思うのですが、私が、さらにそれではもう少し具体的にお伺いしますと言ったほうはいまのお答えにはなかったので、再度お尋ねしますが、そうしますと、三十九年度には具体的

長谷川正三

1966-02-28 第51回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第4号

いま大臣の前でその御答弁杉江局長さんからおっしゃっていただくならば、きょうからでもおそくない、もっと積極的にこれを実現するように具体的に進めていただく努力が願いたいと思いますが、やっていただけるかどうか。私は、こんな問題は、ただ愛知学芸大学の問題ではないと思うのですよ。何もかもぐあいよくいっておるところの日本の政治の上に、これだけがみにくい姿をもやもやとして残しておるじゃないか。

丹羽兵助

1966-02-28 第51回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第4号

○中村(梅)国務大臣 実際御指摘のとおり、訓練のかっこうではあったにしても、実態は非常にお気の毒な次第で、いままで研究したところでは、先ほど杉江局長お答え申し上げたようなことになっておるようでありますが、なおひとつ援護局その他関係方面と協議いたしまして、何とか拡大解釈なり準用なりの道が開けるかどうか、ひとつ研究をいたしたいと思っております。

中村梅吉

1965-08-11 第49回国会 衆議院 文教委員会 第2号

なお当時の杉江局長はこういうふうに言っております。「大学入試方法改善に関する会議においては、四十一年度の試験方法について近く成案を得ることになろうと思いますが、四十一年度において能研の結果を一般的に利用するというような方針はおそらく出てまいらないであろう、」こういうふうに答弁をしておるわけです。

川崎寛治

1965-08-11 第49回国会 衆議院 文教委員会 第2号

川崎(寛)委員 それから杉江局長は四十一年度はされないだろう、こういうふうにも言っておりますし、さらには入試方法改善に関する会議では、大学入試能研を活用するという、そこまで言っておりません、これはこの研究結果は十分尊重していきたいという気持ちですが、現実にそれを何か試験の一部にするとか、そういうところまで至っておりません、こういうふうに言っておるのですよ。

川崎寛治

1965-05-13 第48回国会 参議院 文教委員会 第18号

小林武君 一、二点だけ大臣にちょっと質問いたしたいのですが、ちょうど大臣がこの間退席された後に問題になりましたので、若干その経緯説明いたしますというと、学徒援渡会の新しい会館ができてこれに入る者の選考をやっておる、こういうことでありますが、何かこの間の杉江局長お話を承りますというと、現在あそこへ入っておるのは四百何名かおられるそうでございますけれども、大体今度新しくできました寮にそれらのものを

小林武

1965-05-11 第48回国会 参議院 文教委員会 第17号

次に、同じ学徒援護会の問題ですけれども、これは杉江局長にお尋ねいたしますが、現在あそこの古いほうの学生会館には六百名くらいの人間が入っておるように聞いております。新しく下落合にできたところは六百十五名の収容人員、ところが下落合に入れる六百十五名について、収容人員があるのだが、その募集人員は、新たに一体どのくらい募集をしているのか。

小林武

1965-05-11 第48回国会 参議院 文教委員会 第17号

小林武君 それは杉江局長そういう話は乱暴ですよ。これは役所ですよ、役所を相手にする仕事なんです。そうでしょう。その場合、労働者との間に賃金の問題でやりとりをしてから金を見つけてくるというようなことは、われわれの仕事ではできないですよ。そうでしょう。昭和三十六年から問題が起こっておる。私はその以前のことは知らないが、これは参議院でも問題になっておるし、衆議院の社会労働でも問題になっている。

小林武

1965-05-11 第48回国会 参議院 文教委員会 第17号

小林武君 そうすると、杉江局長にお尋ねいたしますが、現在四百名入っておりますね、あそこは。ぼくらもこれから学生諸君と、学生諸君もきっと来ますから、来たら、そのときには私の判断で、あなたたちはやはりどうするのがほんとうじゃないかということを率直に言いたいつもりなんです、これは。教育をするという立場から率直な意見を私は言いたいと思う。

小林武

1963-03-13 第43回国会 衆議院 文教委員会 第10号

それからもう一つは、杉江局長は、はっきり言って私学経営実体はわからない、調べようがないではないか、私学自主性もあることだし、このように言って、三十五年の数字だけがたよりになる、このように新聞には書いておるわけなんです。私学問題をここで前向きにお互いに検討しなければならないという実態の中では、私学からも来てもらって説明を聞くことが必要なのではないか。

三木喜夫

1962-12-07 第41回国会 参議院 文教委員会 閉会後第3号

一貫してこの問題に対しては杉江局長答弁のとおり、裁判になっておるから、どちらかの結論が出ないと、いい悪いは簡単に申し上げられません。この文部当局名城大学紛争の原因に対する明確な把握と方針欠除がこの問題を、調停委員会が成立しても今日までなお四回の会合ぐらいしか開けないし、開いても少しも事態は進捗していないということにあると思う。

豊瀬禎一

1962-12-07 第41回国会 参議院 文教委員会 閉会後第3号

何も原本を出しなさいと言っているのではない、というのは、杉江局長答弁が、二十数件の行政訴訟を起こしておる、あるいはその他の訴訟を起こしておる、そのことが調停の困難さにあると、こういう見方も若干成り立っているような気がする。たとえば今指摘したように、文部大臣を相手取って東京地裁に関して訴訟を起こしていますね、このことに対する文部省考え方はどうなんですか。

豊瀬禎一

1962-10-01 第41回国会 参議院 文教委員会 閉会後第1号

しかし、通勤できないという事情にある教員全国——私は数は持ちませんけれども、杉江局長はお持ちのようですので、あとで出してもらいますが、非常に多いわけです。バスがあるけれども、始業時間には間に合わない。九時半ごろ第一時限を始めると間に合うけれども、しかし、それでは六年生等は非常におそくなる。そうすると、山の中を帰っていく際に不祥事件が起こったりする可能性がある。

豊瀬禎一

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