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5件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2019-02-27 第198回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第2号

実はローマがなるだろうというのが有力であったんですけれども、それを差しおいて東京に決まったわけですけど、幻のオリンピックですけれども、このとき大活躍というかサポートした外交官杉村陽太郎という人がいらっしゃいます。フランス大使をやりまして、それから国際連盟事務次長新渡戸稲造の後を継いだ方でございます。彼がムッソリーニに引き合わせた当時イタリア大使でした。

渡邊啓貴

1992-05-12 第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第7号

かつて国際連盟次長として新渡戸稲造さんと杉村陽太郎さんが勤められた。これは杉村さんは外務省の大先輩であります。この方たちだって非常に短い期間しか次長としてお勤めにならなかった。  ただ、おもしろいのは、あのお二人とも岩手県の御出身なんです。そして、次長は秋田の御出身である。

國弘正雄

1980-02-13 第91回国会 参議院 予算委員会 第2号

私は、これは昭和の初年に上海事変の後を受けて、軍部がマニラで開かれた極東オリンピックに不参加の強い圧力をかけましたときに、これはイタリー大使だったですかね、杉村陽太郎さんが非常に勇気のある態度で、行くべきだということでこの極東オリンピックに行かしたですね。ああいう毅然とした人が一人でもやはり閣内におる、あるいはスポーツ団体におるということを望みたいわけですよ。

寺田熊雄

1952-06-12 第13回国会 衆議院 文部委員会 第31号

ところが、当時のイタリアはムソリー二時代でして、当時は日本イタリアは政治的に非常にいい関係にあつたので、そのときの大使杉村陽太郎さん——これは柔道と水泳の人で、有名な運動家でありまして、私どもの大先輩でありますけれども、この方が、ローマさえひつ込めば必ず日本に来るのだというふうに追い詰められた結果、ムソリーニに会つて、イタリヤの立候補をひつ込めさしたのです。

田畑政治

1952-06-12 第13回国会 衆議院 文部委員会 第31号

もう一つは、この前杉村陽太郎さんの努力で、日本のために讓つたローマが残つているわけです。ですから、ヨーロツパでやるということが案外有力で、六〇年に日本でやるということは、結局無理ではないだろうか。しかし六四年にやるということは、今出しておけば間に合わないことはない。米州も、三箇所ばかり有力に申し込んでいるわけです。

田畑政治

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