2016-04-05 第190回国会 参議院 厚生労働委員会 第13号
私も、議員連盟の学習会や全国空襲被害者連絡協議会の集会などで被害者の方々から直接お話をお聞きして、このままにするわけにはいかないという思いでいっぱいなんですけれども、例えば先ほど、百歳を迎えられたという杉山千佐子さん、名古屋空襲で二十九歳で顔の一部を熱風で剥ぎ取られ、左目を失ったと。顔面やけど及び片目失明では福祉手帳の交付もなく、障害福祉年金の対象にもならなかったと。
私も、議員連盟の学習会や全国空襲被害者連絡協議会の集会などで被害者の方々から直接お話をお聞きして、このままにするわけにはいかないという思いでいっぱいなんですけれども、例えば先ほど、百歳を迎えられたという杉山千佐子さん、名古屋空襲で二十九歳で顔の一部を熱風で剥ぎ取られ、左目を失ったと。顔面やけど及び片目失明では福祉手帳の交付もなく、障害福祉年金の対象にもならなかったと。
運動の先頭に立ち続けた杉山千佐子さんは百歳を超えられました。議員立法で一日も早く道を開きたいと私も焦燥感を抑えることができません。そこで、その議員立法を進めることを後押ししていただきたいという思いで質問いたします。 まず確認をしたいのは、戦傷病者及び戦没者遺族への援護は、軍人あるいは軍や国によって徴用された方だけではありません。国との雇用関係がない場合にも準軍属として援護の対象となっています。
裁判にもなりましたが、杉山千佐子さん、名古屋大空襲に遭われて、一九一五年生まれですから今九十九歳、一九四五年三月二十五日未明、名古屋空襲で左眼球が破裂し、顔面に大やけどを負った方ですが、この一九八一年四月二十一日の参議院の社労委員会においてやはりその切情を訴えています。「女が顔をなくしたとき、人生をなくしたのと同様です。」と言って、国による援護を切々と訴えています。
一九四五年三月二十五日、名古屋の大空襲で防空ごうがつぶれて生き埋めになり、爆風で顔面や鼻腔部の骨と目がつぶれてしまった杉山千佐子さんという方がおられまして、立法措置による国家補償を求めて三十年間運動を続けてこられています。 それに対しまして、これまで日本弁護士連合会は、昭和五十年の人権大会で民間被災者に対する援護法制定に関する決議というのをしております。
杉山千佐子さんの御本がありますが、それは「おみすてになるのですか」という題が付いております。彼女は、 ただ「お金をください」という運動ではない。将来、子や孫が戦争に脅かされずに平和に過ごせるためには、援護法をたてておかないことには、国民はいつも、ごみあくたのように踏み砕いていいという政府の考えを通すことになってしまうと思います。
今団体では、そういうことを援護していく団体として全国戦災傷害者連絡会という、杉山千佐子さんが会長で二十年近くずっと運動を続けているわけでございます。
一方、愛知県など一部自治体で若干の援護措置を受けている全国戦災傷害者連絡会、会長は杉山千佐子さんでありますが、これの会員の中にも戦災死亡者遺族があるにもかかわらず戦災遺族としての何らの措置を講じてもらったことはない。にもかかわらず、特別基金検討調査室から日本戦災遺族会に対して戦災当時の実態調査と意見を求め、遺族会は下部機関に調査をおろしたということであります。
ただ、第九十四回国会で高杉委員から杉山千佐子参考人に質問した事項で彼女が答えたことについて少し読んで、そのことについての大臣の所感を聞いて終わります。 私は、昭和二十年三月二十五日の未明、名古屋のあの大空襲で防空壕に生き埋めになりました。眼帯を外さしていただきます。 女性としてこんな悲しい姿になりました。
○片山甚市君 これらはすべて戦時災害援護法を提出している杉山千佐子さんなど団体の方々の努力によって当該の自治体の方々が動いてきた。下からの声でやったのでありまして、行政がお涙ちょうだいでしたのではないということについては、大臣にもお伝えしておきたい。非常な苦しい、体が悪いのにつえをつきながら、車いすに乗りながらやってきて、行政も人間の血が通っておるところは措置ができたと思っています。
○参考人(杉山千佐子君) 具体的な要望としましては、まず戦傷病者戦没者遺族等援護法に準じた援護でございます。同時に、当面少なくとも戦傷病者と同じような医療を公費によって完全な保障をしていただきたいのです。そして国鉄の利用、ただいまはまだ乗車半額だけでございますが、こうしたものが無料化する、この程度のことはぜひとも決めていただきとうございます。完全実施していただきたいと思います。
社会保障制度等に関する調査のため、本日の委員会に全国戦災傷害者連絡会会長杉山千佐子君を参考人として出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○参考人(杉山千佐子君) 実は言い忘れたんですが、ここに参考資料にいろいろと障害者の写真を持ってまいりました。もし回して皆様に見ていただきましたら幸いと存じますので、お願いいたします。
私どもの承知いたしている範囲では、全国戦災傷害者連絡会、各古屋に事務所がございまして、杉山千佐子さんという方が会長でございます。
○片山甚市君 それでは、大臣に本当のことを聞きたいのですが、私に質問をとりに来た人に渡しておきました、全国戦災傷害者連絡会の杉山千佐子がつくりました一九八〇年三月一日現在ということで一般戦災傷害者実態調査表というもの。
すでに戦災者の団体、杉山千佐子さんが会長になっておる会から詳しい調査の内容が進められておりますが、その実態をお知りでしょうか。
そこで、全国戦災傷害者連絡会の会長の杉山千佐子さんが、私が質問をすると言いましたら、短い文章ではありますけれども、ぜひ大臣に陳情してくれという文章をよこしましたので、御披露をいたしたいと思う。 昭和16年12月8日太平洋戦争がはじまり、ラジオ、新聞の報道を鵜のみに信じ、いや信じこまされて、あくまでも聖戦であり、必ず勝つと国家総動員法の下に軍官民ひとつになって、国を守りつづけてきました。
それから、もう一つ奇異に感じますことは、この全国戦災傷害者連絡会会長杉山千佐子さん、長年にわたってこの運動を続けておる、この人が一番よく知っているのです。全国的組織を持っているのです。それに連絡はあったのですか、なかったのですか。
先ほどの杉山千佐子さんの問題ですけれども、このようなひどい傷害を受けながら、国からの援助、補償というものは何もないというわけです。この方は片目がない、それから顔がひどい大きなやけどと大きな傷がついているわけです。そして、片目の視力が〇・〇四というひどい障害があるわけです。それからもう一人、やはり同じ年代の方ですけれども、少し若くて当時十八歳、前田秀子さんという方です。
○田中(美)委員 それでは、これはやはり名古屋で防空壕で生き埋めになって奇跡的に助かった方ですけれども、杉山千佐子さんという、当時二十九歳で現在五十六歳の御婦人がいられるわけです。この方は障害手帳二級を持っているわけです。顔全体をやけどしましたし、それから非常に大きな傷が顔についているわけですね。それから片目はえぐりとられているわけです。