2011-10-27 第179回国会 参議院 法務委員会 第2号
予算委員会などでも聞かれましたけれども、まず、なぜ行ったのかという点については、その場でもお答えいたしましたけれども、私の高校の大先輩である民法学者の末川博先生がこの朝鮮大学校に対していろいろな支援をされ、協力もされてこられたという御縁を私も知っておりましたので、案内があったときに参加をさせていただいたということでございます。
予算委員会などでも聞かれましたけれども、まず、なぜ行ったのかという点については、その場でもお答えいたしましたけれども、私の高校の大先輩である民法学者の末川博先生がこの朝鮮大学校に対していろいろな支援をされ、協力もされてこられたという御縁を私も知っておりましたので、案内があったときに参加をさせていただいたということでございます。
○国務大臣(平岡秀夫君) 私の記憶には、末川先生と朝鮮大学校との関係について皆様に御披露したことは覚えているんでありますけれども、それ以外にどのような言葉を使ったのかということについては記憶はございません。
○国務大臣(平岡秀夫君) 朝鮮大学校の五十周年の式典に参加した理由は、先ほど桜内議員の方にも御答弁申し上げましたけれども、私の高校の大先輩である民法学者の末川博先生がこれまでも支援されてきたというような関係がありましたので、私も末川先生のことを敬愛している立場でそのお祝いの場所に行ったということでございます。
○平岡国務大臣 祝辞といいますか、あいさつの中で具体的にどういう言葉を使ったかというのはもう覚えておりませんけれども、私自身は、朝鮮大学校と私の母校の大先輩である末川博先生との成り合い、かかわり合いについてお話をさせていただいたというふうに記憶をしております。
○平岡国務大臣 招かれたというか、案内があって、先ほど申し上げたような末川博先生との関係もあったので出席をさせていただいた。出席をしたところで、いろいろな方々がごあいさつをされた際に私も促されてあいさつをしたという事実はございます。
○平岡国務大臣 予算委員会でもお答え申し上げましたけれども、朝鮮大学校について言えば、私の母校である岩国高校の大先輩である民法学者の末川博先生が朝鮮大学校に対していろいろな御支援、協力もされてきたというような経緯もありましたので、私も出席をさせていただいたということでございます。
朝鮮大学校については、私の母校、岩国高校でございますけれども、それの大先輩であります末川博先生が長年にわたって支援されてきた学校であると承知しております。
それから、大学の自治ということについても、これはもう文部大臣はよくよく御存じの方たちばかりだと思いますが、田中耕太郎、末川博、我妻栄、大内兵衛、宮沢俊義、こういう各先生方の大学の自治についてという座談会の中で我妻先生が述べられていることですけれども、学長はその大学について、学部長はその学部の運営について、評議会なり教授会なりの決定した大方針にのっとって運営しなければならない、また、学長、学部長と評議会
末川先生なんかも腹を立てて同情退学というか、同情して大学をやめたことがあります。あのときは二、三十人やめたんでしょう。つまり、そういうような刑事社会政策という意味で私は言ったのです。そんなことが法務大臣、あなたの念頭にあって、そして今そういう意味のことも言われた、社会の問題。
あのときに京都大学の優秀な先生が、末川博先生とか恒藤先生とかいうのが皆同情で退官されたのです。つまり、刑事罰を加えるということも大事だけれども、そういう刑事罰に至らないような国民の生活というものをちゃんとつくり出さなければならぬ、こういう意味のことを言われたのでありますが、心理的差別に至らないまでの状況というものをつくり出さなければいかぬのであります。
昭和四十八年十一月、三里塚闘争の戸村一作氏に連帯する会を結成いたしまして、羽仁五郎、荒畑寒村、小田実、水戸厳、それから松岡洋子、末川博、こういう方々、大阪にも府会議員になっておられる方でこの末川さんのまな弟子でベ平連の事務局長をされておられた方がおられます。昭和四十九年参議院全国区に立候補されました。この戸村一作でございますが、二十三万票で落選。その後パレスチナを訪問。
京都大学の先生方は、文科の系統はみんなしょんぼりしてしまったけれども、さすがにやはり反逆精神の旺盛な京都大学は、末川教授を初め、大学の自治に関する干渉だ、学問に対する不当な行政の干渉だと言って、ぱっとみんな辞表を出したりしてやめていかれて、大きな大学騒動を起こした。 私はそのとき学生でした。本郷の仏教会館で全国の学生集会を持ちました。七月一日です。
代表には国際基督教大学名誉総長の湯浅八郎先生、立命館大学名誉総長の末川博先生、同志社大学前総長の住谷悦治先生、この三氏がなっております。政府は、こういう要請にこたえなければいけないと思うのであります。この人たちだけのこれは行為ではない、広範な国民のこれは要望でもあるわけでありますから、こういう要請にこたえる必要があると思うのでありますが、その点についての外務大臣の御意見をお聞きしたいんです。
五月もずっとありますが、略して、比較的近いところを二、三申し上げますと、六月二十二日には日本民主法律家協会、ここの代表理事は末川博立命館大学名誉教授でありますが、見解を発表いたしております。六月二十四日には、婦人有権者同盟、全国地婦連、主婦連、日青協など三十団体が、市民の自由な活動を阻害し、有権者不在の政治資金規正法、公職選挙法の改悪に反対する市民集会の抗議の決議を採択いたしております。
要するに長官のお年ごろであれば末川博さんの「権利侵害論」なんかはずいぶん御勉強になったと思うのでありますけれども、いまなお、補償金請求権というものとそのうらはらをなすところの実体権は一体何か、この点について解明されていないような状態で補償金請求権というものを強引に押しつけようとされたって、これは承知できない。
また、末川さんあたりの説をとりますれば、すべて国と国との約束ごとはやはり国会にかけるべきだというような説をなしておるようであります。それで、その限界というものがなければならぬ。
坂本義和、上代たの、住谷悦治、辻清明、名和統一、日高六郎、小野義彦、末川博、恒藤恭、中川善之助、大西芳雄、清宮四郎、佐伯千仭、(「一人一人肩書きをつけてくださらんとわからんです。」と呼ぶ者あり)佐藤功、――佐藤さんは成蹊大学の憲法講座を担任されておられる方であります。
南原繁さん、海野晋吉さん、末川博さん、それから社会党の議員では黒田壽男さん、坂本泰良さん、細迫兼光さん、むろん共産党から野坂参三議長、それから私も入っております。
会議は、午前十時五分より大阪府会議事堂において行なわれ、私より班員及び意見陳述者を紹介し、さらに、会議開催の遡行及び議事について説明した後、京都大学名誉教授田岡良一君、大阪大学教授大渕仁右衛門君、立命館大学総長末川博君、京都大学教授田畑茂二郎君、以上、四名の意見を聴取し、質疑を行なったのであります。以下、各陳述の順にその要旨を御報告申し上げます。
かようなことにつきまして、さらにもう一つ本日の新聞に、末川立命館大学総長が、去る二十七年の愛知大学事件の出張公判が、名古屋地裁上田判事らが京都に出張いたしまして、京都の法廷で開かれておりますが、その際に弁護側の証人として出頭した末川博立命館大学総長は、大学の自治と警察権の限界につきまして、かようなことを証言されました。
さらに、関西の十三大学長の声明、これは京都大学長滝川先生、立命館大学長末川先生、同志社大学長大塚先生、大阪市立大学長恒藤先生、関西大学長岩崎先生、大阪学芸大学長北川先生、神戸大学長古林先生、大阪大学長正田先生、西京大学長園先生、関西学院大学長堀先生、大阪府立大学長堀場先生、龍谷大学長森川先生、大谷大学長山口先生、こういうふうに関西でも十三の大学長の声明が発せられました。
○公述人(末川博君) 一向構いません。
○加賀山之雄君 本日は牧野、末川両先生から、牧野先生からは特に法律的、刑法の見地から、末川先生は主として実際問題としての立場から御指摘頂いて大変有難いと存じております。で私は、特に末川先生に実際問題として教師の不安というようなことからお述べになりましたのでお伺い申上げたいと思いますが、先生のお膝許である京都に旭丘という中学校がございます。
○剱木亨弘君 私は牧野先生、末川先生両先生に昔から御指導を頂いておりますが、実に古くからでございますが、末川先生にちよつとお教えを願いたいと思いますが、非常にこういう席でございますので、失礼なことに……。