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84件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1978-03-28 第84回国会 参議院 地方行政委員会 第4号

さらに、甘やかしているということについては、もうたくさんの証拠があるわけですけれども、一九六七年の十月には、当時の木村官房長官が、羽田事件対策には強硬な対策はとらないことにした、こうおっしゃっている。あるいは一九六七年の十一月には、保利茂氏が、三派全学連は泳がせておいた方がよい、こうもおっしゃっている。

安武洋子

1977-10-14 第82回国会 衆議院 予算委員会 第5号

これは当時の木村官房長官と私は何度も話をしたが、木村さんがいろいろコンフィデンシャルに教えてくれた情報というものは大体間違っておった。ぼくが違いますよと言ったら、そのとおりになった。  それからその次に考えてみるとニクソン・ショックがある。

竹本孫一

1975-06-03 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第21号

数の上で十四、五隻はどうしても算術計算でも入ることになってしまうということで、したがって当時の久保防衛局長答弁もございまして、アメリカに問い合わせをされて、当時、木村官房長官にもお出かけをいただいて、私に木村さんから直接文書で回答をお持ちになったいきさつなどもある。だからわかっているつもりでありますけれども。  つまり、ラロックの証言その他どこをながめましても、核搭載可能な潜水艦

大出俊

1969-03-19 第61回国会 衆議院 議院運営委員会 第16号

預けてやろうといえば、預かってもいいと言っているんだから、内閣の大番頭であるあなたが——木村官房長官からいま副長官であっても、官房長官のような気がしている。大体官房長官なんかに大がついて、保利さんがここへ来ないというのは無礼だと思う。ほんとうは長官が来るべきだが、前の長官だからしようがないと思って泣きの涙でこっちはいるんで、あなたは官房長官のつもりで考えてくださいよ。

安宅常彦

1969-02-25 第61回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

さんと友好を深めてまいりましたが、しかし午前中に議題になりましたこの帰国事業再開の問題は、当面の重要な問題として、私は向こうで副首相兼外相であります朴成哲氏とかなり長い時間にわたって話し合ったわけであります七私が行くに際しまして、こういう時期でありますから、一般的な親善友好的な交流のほかに、どうしてもこの問題はやはり話題になるであろう、そういうことを予想いたしましたので、行くにあたりまして、当時の木村官房長官

長谷川正三

1969-02-25 第61回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

そこで、さっき私がちょっと申し上げたとおり、木村官房長官も、現在副長官ですが、私が参りますときに、まあいろいろあってもこれはひとつ人道的立場でビザの問題は新潟で何とか渡せるようにしたいということをおっしゃっておったわけであります。おそらくこれは真意であって、その後政府部内で、副長官になられましてからもその方針でたいへん努力されたのじゃないかと私は思うのです。

長谷川正三

1969-02-25 第61回国会 衆議院 地方行政委員会 第5号

ただ、本日の木村官房長官の話は、閣議決定したけれども、これから党内調整をやるというようなことを言って議運で問題になり、官房長官はそれをお取り消しになりました。したがって、閣議決定をされた以上、地方税については、まさに内閣の意思はきまったわけです。計数もきまっただろうと思うのです。したがって、そうでなくても地方財政計画は非常におくれておるわけです。

山口鶴男

1969-02-13 第61回国会 衆議院 決算委員会 第2号

この中の答弁がここにございますけれども、やはりはっきりとこの点について請求権はあるということを、国内法的にはこれは確かに電気通信法による請求権が生まれると思うと、このことについて木村官房長官答弁しておるじゃないですか。それがいまごろになって行政協定の解釈が違うから減額をしなければならない。あるいは財産権の問題が残っておるから、その辺で微妙な問題が出てきておる。

浅井美幸

1968-12-14 第60回国会 衆議院 予算委員会 第1号

○川崎(寛)委員 それでは総理お尋ねをいたしますが、二月、沖繩にB52が飛んでまいりましたときには、アメリカのほうから言ってまいりました理由は、そしてまた、当時の官房長官あるいは総理等が——木村官房長官もそういうことをたびたび、直接沖繩代表諸君と会ったときにも言っておりましたし、また総理もそういう答弁であったわけでありますが、ケサンとプエブロ、これが沖繩への移駐の理由だ、こういうふうに言われた。

川崎寛治

1968-11-19 第59回国会 参議院 地方行政委員会 閉会後第3号

原田立君 六月十一日の閣僚懇談会のときには、年内移転をやろうと、こういう方向に沿ってやろうと、こういうふうに言っておったわけでありますが、最近の十一月十五日ですか、福岡県の知事、副知事がこちらへ来て木村官房長官にお会いしたところ、年内移転は無理だというような回答があったと新聞報道で承知しているんですが、いろいろな内部の事情、それはわからないことはないんですけれども、私たちは何かぺてんに引っかけられたみたいな

原田立

1968-10-31 第59回国会 衆議院 法務委員会 第4号

あるいは木村官房長官羽田事件直後の十月八日の記者会見で、オフレコだということでありますけれども、「羽田事件対策には強硬な処置をとらないことにした。日共対策上そうしたほうがいいからだ。破防法は、反日共糸にはきき目がない。これを適用できるのは、むしろ日共だ。」同様趣旨発言は亀岡副長官もしているのです。

松本善明

1968-10-31 第59回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第6号

この前木村官房長官にわが党が抗議の申し入れをしたところが、隠れみのでなくてもう破れがさになっているという実態がはっきりしてきた。事務当局がやっておるということをはっきり認めましたよ、長官は。ですから、公の席でこういう話はしたくないけれども、要するに事実行為はそういう方向に行っている。しかも何ら展望もない。

多賀谷真稔

1968-09-26 第59回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第2号

十二日の内閣委員会で、木村官房長官がお見えになって、政府が八月三十日に閣議決定したことについての問題点を実はここで相当追及した。というのは、わが参議院内閣委員会では人事院総裁勧告説明も聞いておらないのに、政府は八月の三十日に閣議決定をした、これはもう事実です、明らかな。参議院では内閣委員会を開いておらない、勧告説明も実は聞いておらない。

山本伊三郎

1968-09-26 第59回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第2号

山本伊三郎君 だから、木村官房長官にきょう出てもらいたかったのですよ。そのとき言ったんですよ。あなたが今度出られない場合には田中総務長官が必ず出られるでしょう、今度はおそらく出ないということはないと思われる、総務長官にそうことづけてもらいたい、そこで閣議の模様を報告してもらいたい、こう言っているのです。どうも木村官房長官は実に約束を守らない。あなたもそうか知りません。そういうことでは困りますよ。

山本伊三郎

1968-09-17 第59回国会 参議院 地方行政委員会 閉会後第1号

そういうことはもうたびたび木村官房長官大蔵大臣も言っておるわけです。私の言っておるのは、人事院勧告は五月から実施しなさい、それが、あなたの言われるのだったら、要するに財政がないから、したがって、できないんだ、こういうことに私は通ずると思うんですよ。年度当初に勧告するということは、もうこれはいま言うまでもない。前からなんですよ。

山本伊三郎

1968-09-12 第59回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第1号

私はその前に、ぜひ政府に言っておかなくちゃならぬことがあるんですが、たまたま木村官房長官記者会見でおくれている。これは一応委員長にここは話しかけることになりますが、答弁は、木村長官来てからしてもらいたい。  大体今度の政府のとった態度といいますか、措置については、人事院勧告というものに対する認識がないんですね。全然ない。

山本伊三郎