2021-03-17 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第4号
ちょうど皆さんにお配りをした木曽川の、木曽三川の絵の右側のところ、緑の線がちょうど切れている辺りに、国道一号線、それからJRの関西線、それから近畿日本鉄道の線路が走っています。 この中でも、国道一号線のところだけ堤防が低いんですね。ここのところを土のうで補強する、いざというときには、愛知県側、三重県側、土のうで補強するということになっています。
ちょうど皆さんにお配りをした木曽川の、木曽三川の絵の右側のところ、緑の線がちょうど切れている辺りに、国道一号線、それからJRの関西線、それから近畿日本鉄道の線路が走っています。 この中でも、国道一号線のところだけ堤防が低いんですね。ここのところを土のうで補強する、いざというときには、愛知県側、三重県側、土のうで補強するということになっています。
河川整備につきましては、皆様のお手元に資料をお配りをしているかと思いますけれども、そこに、カラーでお配りをしておりますのが、一つ目が、木曽三川と言われる木曽川、長良川、揖斐川のいわゆる堤防の整備計画であります。
木曽三川につきましては、約三十一キロの区間において、堤防が地震動による液状化等によって沈下するおそれがあることから、そのような状況でも高潮による浸水を防ぐことができるよう、河口部から順次、堤防の天端にあらかじめ約五十センチの盛土をする工事を実施していく予定です。
大臣や副大臣、政務官もいらっしゃいますので少し御説明を申し上げますが、私どもの地元濃尾平野は、木曽三川で形成をされてきた扇状地でございます。木曽川は、母なる川、我々、飲み水、良質な水をもらう川でありますのでなるべく排水はしたくない。
もう時間が余りありませんので、最後の一問にさせていただきますが、私の地元は、木曽三川に育まれた濃尾平野のただ中であります。六十年前には伊勢湾台風に襲われまして、海岸から二十キロ上流まで水没をし、三カ月間水が引かなかった、日本で最大の海抜ゼロメーター以下の地域でございます。
長良川河口部、木曽三川の三重県側になりますけれども、長良川河口部では、高さ八メートル程度の堤防が、液状化が起こると、ずぶずぶと沈んでいって、一メートル以下になるところがあるのではないか、こういう推計が出されたことも事実だと思います。 こういった推計を出したこと、ありますよね、国交省でしたかね。ちょっとその点、正確な数字とは言いませんが、沈んでいくという推計を出していることは事実ですね。
国営都市公園の中で最大の公園が、愛知、岐阜、三重にまたがる木曽三川公園でございます。この木曽三川公園は六千百七ヘクタールと巨大な公園です。
もともと濃尾平野の真っただ中でありまして、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川が運びます土砂の堆積でだんだん海岸線が南の方へ進んできたという肥沃な濃尾平野でありますけれども、なかなか川の流れが定まらなくて、私たち地元の教科書なんかですと、鎌倉時代から、集落の周りを堤防で囲って輪中というような、そんなことで水との闘いをそんな時代から進めてきた。
○山本(有)国務大臣 長坂委員には、海部内閣の総理秘書官としての御活躍以来、お世話になってきておるわけでございますが、先ほどは、歴史的に、木曽三川の尾張藩地域、ここにおけるさまざまな出来事、あるいは災害についてのお話を承り、改めてこの地域の重要性と困難性を教えていただいた次第でございます。
私の地元岐阜県も古くから飛山濃水の地と呼ばれており、北部の飛騨地方は標高三千メートルを超える山々が連なる一方、南部の美濃地方は濃尾平野を潤す木曽三川が流れ、薩摩義士など先人の水との長い闘いの歴史を礎に、今日の伊勢湾、三河湾の豊かな環境づくりに貢献しております。
西出 則武君 環境大臣官房審 議官 小川 晃範君 防衛大臣官房審 議官 笠原 俊彦君 ───────────── 本日の会議に付した案件 ○政府参考人の出席要求に関する件 ○災害対策樹立に関する調査 (日本列島における主な火山の活動状況等に関 する件) (日米共同統合防災訓練に関する件) (木曽三川下流域
南海トラフ巨大地震等への備えといたしまして、木曽三川下流域等のゼロメートル地帯における堤防の耐震対策は大変重要であると考えております。 これまで、堤防の耐震対策につきましては、全国防災事業や防災・安全交付金等により実施してきたところでございます。
木曽三川下流域の海抜ゼロメートル地帯、先ほど申し上げましたように、一たび浸水すれば非常に長期間、また広範囲にわたる甚大な被害が想定をされております。公表されている南海トラフ巨大地震の被害想定におきましては、木曽三川下流域に広がる濃尾平野、こちらは地盤が軟弱であり、地震による液状化などにより堤防が沈下、そして津波発生前に浸水をしてしまうというふうに予測がされております。
残り二分で海抜ゼロメートル地帯をお聞かせ願いたいと思いますが、この海抜ゼロメートル地帯の河川堤防の耐震対策、具体的には、私の地元であります木曽三川の河川堤防の耐震対策、これについてお伺いをしたいというふうに思っております。
南海トラフ巨大地震等への備えとして、木曽三川など、ゼロメートル地帯における河川堤防の耐震対策は大変重要であると認識をいたしております。 木曽三川につきましては、これまで全国防災事業等により堤防の耐震対策を進めてまいりました。
木曽川、長良川、揖斐川のいわゆる木曽三川と呼ばれる大河を始めとして中小様々な河川が豊かな山から清冽な水を生み出して、まさに山紫水明という言葉がふさわしい風光明媚なふるさとだというふうに自負をしております。
木曽三川を中心にいわゆる海抜ゼロメートル地帯を抱える岐阜県内の堤防というのは非常に高く、洪水時の水位は住民が住んでいる地盤よりはるかに高いところを流下をしていきます。また、本川と支川の合流点には逆流防止のための水門や、水門が閉鎖したときに内水を排水する排水機場などの施設が数多くあります。
御指摘の根尾川でございますけれども、木曽三川の揖斐川の最大の支川でございまして、土砂の流出が非常に大きな川でございます。
○高橋千秋君 先ほどのオランダの工師の話がありましたが、私の地元の三重県に木曽三川というのがあって、そこの治水を島津藩の平田翁が二百五十八年前にやったのを、いまだに私の地元では毎年二百五十七回忌、二百五十八回忌と、毎年それに対して尊敬の念を込めてやっているところを見ると、やはりこの治水ということの協力というのは本当に大きな、今後にも、孫子の代にまで残る事業になると思いますので、その辺も是非考えていただけるようお
前段、木曽三川の分離、これちょっと触れられたんで、どうしても私の血が騒ぎまして、たまたまここに大塚副大臣もおられまして、この木曽三川の分離、江戸時代は土木のことを普請と言いまして、建築を作事と言っていたんですが、幕府はとにかく力をそぐために各藩に普請をいっぱい命じて、利根川のあの東遷とか、利根川というのは元々江戸湾に注いでいたやつを銚子まで引っ張っていくんですが、ああいった東遷、あれも各藩にやらせましたし
木曽川については、木曽三川。あるいは、淀川については、琵琶湖、これは非常に大きな貯留能力を持っておりますし、それと下流の大阪を迂回する新淀川という放水路という決め手があるんですけれども、利根川は、低平地の長い堤防を強化、整備すると同時に、それだけではもたないので、中下流部の遊水地、さらに上流のダム群調節という、決め手がない中で三つを適切に組み合わせた治水が必要だということでございます。
木曽川導水路計画というのは何かというと、木曽三川というものがあります。木曽川それから長良川、揖斐川、木曽三川。その一番西側にある揖斐川の上流に徳山ダムというのがつくられたんです。計画当初は二千二百億円でスタートしたのが、実際にかかった費用は四千六百億円と、二倍以上のお金がかかったダムであります。ダムをつくって終わりじゃないんです。
木曽三川から送り出されてくる貯木を名古屋港に集積をしていた。その岸壁が弱かったために、その貯木がみな流れ出してしまった。それによって多くの命が、本来の台風以上の命が奪われてしまった。また、その貯木につかまったために命を救われた方もおる。 そんなことも今、大臣の阪神・淡路がボランティア元年、したがって私は、伊勢湾台風がそういう意味では岸壁の耐震強化の元年ではなかったのかなと。
今、私の地元鹿児島、「篤姫」で全国のお茶の間をにぎわせておるところでありますが、この篤姫が活躍したよりもちょうど百年前の宝暦年間、江戸時代ですね、そのときに、薩摩藩が、御案内のように、木曽、揖斐、そして長良の木曽三川、そこの治水工事のために幕命を受けて、そして平田靫負家老以下総勢一千人に及ぶ人員が薩摩藩から派遣された。
二階の屋根より上を川が流れているという状況でありまして、堤防が一たん決壊をすることがありましたら、大きな団地が丸ごと水の中に沈むという地域でありまして、東京の荒川の河口、そして大阪の淀川の河口流域も国の重点地域となっているようでありますが、木曽三川、そして日光川流域、そして庄内川流域という、我が地域、我が選挙区のいわゆる水害対策というのは、国としても喫緊の課題としていただいているところであります。
そしてこれからは、木曽三川を対象にする、あるいは淀川も検討するというふうに、少し時間をかしていただき、より充実した防災計画等をつくらせていただきたい、このように思います。
具体的な対応策はまだ未確定な部分が多くあるわけでありますが、この事例を一つの踏み台にいたしまして、また、今後淀川とか木曽三川も含めまして対象を広げ検討して、対応策を政府一体となってつくっていきたいと考えておるところでございます。
これだけの広大な地域があり、なおかつ、木曽三川の想定はんらん域内の資産は我が国有数だと木曽川水系識者から勉強する会の資料にも載っております。約三十二兆円。そしてさらに、ゼロメートル地帯の現状、三大都市圏で最も大きな浸水リスクを抱えている。
また、木曽三川の河川改修というものを、幕命を受けましたけれども、これも、黒砂糖を担保にして資金調達をして、薩摩藩がやり遂げたという歴史を考えますときに、やはりサトウキビをつくっている人たちは、自分の先祖がつくってきたサトウキビが明治維新というものを裏で支えてきたんだという誇りをやはり持っておられるなということに実は気づきます。