1985-06-25 第102回国会 衆議院 農林水産委員会 第27号
第二は、林業という範囲を明確にすることにより、いわゆる川上から川下までを対象とし、造林から製材、木工業、そして保健、休養事業まで、林業に関連する事業を網羅して総合的施策の裏づけとしたことであります。
第二は、林業という範囲を明確にすることにより、いわゆる川上から川下までを対象とし、造林から製材、木工業、そして保健、休養事業まで、林業に関連する事業を網羅して総合的施策の裏づけとしたことであります。
一つの団地形成がなされているところにつきまして、製材業、木工業、家具業、チップその他、いろいろと関連産業がある地域に集合しますと、流通コストダウンという面で非常に大きな役割を果たすと思いますし、またさらに今度はそれが林業構造改善事業と結びつけ得るような地域については、それと連携を持たせるとか、いろいろ方法がございますが、流通コストをダウンさせるというような形でその地域の流通の実態に即して、より近代的
そこで、この乾燥施設、幸い弘前には、岩木山東北山ろくの熱源開発として木材工芸施設をやるか、ここで出た熱で木工業をやる、それにエネルギーとして提供するということになって、ここには乾燥施設もつくると書いてある。ちょうどいい機会なんです。
御案内のとおりの木材の不況が長引いておりまして、秋田の中心の秋木工業が倒産するような事態であります。しかも、また数回に及ぶ火災によりまして、市街地にあります木材工場というものを臨海部に業者が自発的に移転をして大変設備投資に金を使った直後であります。
○政府委員(森岡敞君) 私どもで特定不況地域として府県と協議をいたしまして指定しましたものは、造船等の不況業種のほか、北洋漁業関係あるいは非鉄金属鉱山、窯業、鉱業、木工業等がございますが、その中で地域数が一番多いのは北海道でございまして、十一地域でございます。
煙突建設業という指定がないわけでありまして、とび職とか土木木工業あるいは高構造物工事業というふうに片づけられているわけであります。ここで抜本的に煙突の保守義務について考え直す必要があるのではないか。その点についての見解をお示しいただきたいと思います。
製材あるいは木工業などの林業関係の中小企業に対しましては、これが協同組合化を推進して、地域の森林組合との連携のもとに企業の安定的発展を図るため、木材の需給安定助成対策、こういうような方法を強化することが非常に必要ではないか、かように考えます。こういうことに対して、何か政府としての考えがあるならば承りたい。ないならば、こういうこともひとつ将来考えてもらいたい、かように考えます。
たとえば、いま私が申し上げました製造業二千二百五十八軒について見ますと、その中には織物、精密機械、木工業、皮革製造、紙など、きわめて多様でございます。こうした業界の方々の深刻な悩みを公明党の八王子市の中心者である白井常信君から聞きました。
○政府委員(松形祐堯君) 北見地方のカラマツは、私、手元の資料で見ますと、大体民有林、国有林を合わせまして十三万ヘクタール程度の大面積造林地ができ上がっているわけでございまして、したがって、これから間伐時期に入ってまいります関係から、ただいま御指摘のような北見地方のカラマツセンターというものを森林組合、林産協同組合、木工業協同組合、これは留辺蘂町でございますけれども、ここでこの三者を構成員といたしまして
○福田政府委員 御指摘のように、木曽谷の十万の住民のことを考えて、またあそこに、木工業を中心としてきわめて零細な人たちが百数十軒あるわけでございます。また、営林署がそれに対応して十一営林署あるわけでございます。
○吉田参考人 もう、言われるとおりでございまして、私どもとしても、農村に工業を導入するといっても、いろいろ工業の種類があって、やはりわれわれとしては、できるだけ人手の要る、たとえば木工業みたいなものが望ましいと思います、公害のない。そういうものになりますと、いま言われますように必ずしも大規模なものでなくて、中小企業と申しますか、零細なものが多いと思います。
なお、農林省の方に、今度の加茂川について、家具業を主体とする木工業が盛んなところであったわけですが、上流においては製材所が非常に多くて、その流木によるところの被害も甚大であったわけです。この流木に対する今後の対策についてはどのようにお考えになっておるか、その点について……。
徳島県では、県庁及び労働基準局の関係幹部から説明を聞き、懇談するとともに、精神薄弱者施設の草の実学園、老人福祉センター、身体障害児施設のひのみね学園、徳島総合職業訓練所、渭東地区における木工業、阿南地区におけるじゅうたん織り業、鳴戸、日和佐地区の国立公園、国定公園を視察するとともに、国民宿舎日和佐海亀荘を利用いたしました。
飛騨産業、飛騨測器両社は、ともに高山市の木工業を代表するものであり、前者はいす、テーブル等の家具、後者は製図板等の測量器を生産し、特に飛騨産業はその製品の九割近くが輸出向けとのことでありました。これらの木工業は、わが国特有の郷土産業として、また輸出産業として、今後大いに育成さるべきものと思われます。
また、地方によりましては、そこに必要な国有林業務のための労務の供給源もそこから得て参ったというような歴史的な経過をたどっておるのでありますが、こういうような関係からいたしまして、こういう依存関係というものに急激な転回を与えますことによって、中小企業でありまする地元の製材工場、あるいはまた地元の零細な木工業というものの資材関係に動揺を来たし、その企業というものはもちろん、その地域の経済にも大きい変化を
さらに、土木建築業に志し、次いで林業、製材木工業、製薬業に順次その事業を拡大せられ、しかも、その間、終始、一身の利益よりも地方産業の開発と郷土の発展とを主眼として活動せられたのでありまして、各種組合の役員あるいは顧問に推されるなど、県下産業界の指導的役割を果しておられたのでありました。(拍手) 君が地方政界に第一歩を踏み出されたのは、大正十四年大淀町会議員に当選されたときであります。
という言葉、観念でございますが、たとえば製材あるいは木工場というようなものになりまするというと、設備その他の規模も比較的小そうございますので、工場数も勢い多くなっておるというふうなこと等からいたしまして、これらのものの地域がその国有林の所在する地域というような考え方に国有林の所在地域というものを限って、そのへんの限度までで実は売り払いをいたしておるということでございまして、ただ木材量にいたしましても、木工業
それから、木材が統制になりまして以後、株式会社三平興業という名目におきまして、木工業の会社を設立いたしまして、その方では横須賀の海軍工廠の方に納入しておりました。それで終戦に至つたわけであります。
先ず和歌山県でありますが、本県の産業構成は、農林漁業等の第一次産業が主であつて、工業の比重は低いのでありますが、繊維工業を第一位とし機械工業、木工業、化学工業等がこれに次いでおります。