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4件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1965-02-12 第48回国会 衆議院 法務委員会 第3号

赤松委員 さらに、昭和二十三年の八月二十一日平澤逮捕されまして、二十三日に東京に着き、直ちに駒込警察署面通しの上、警視庁に来てまた面通しをされまして、さらに三十七号調べ室で居木井警部補を初め三人の刑事に取り調べられ、拷問を受けたと平澤は言っておるのであります。この二十三日と翌日の動静は報告されておりません。

赤松勇

1964-06-05 第46回国会 衆議院 法務委員会 第41号

私は逮捕の時懐中しておりましたから、もし押収品中になければ居木井に横領窃取されたのです。ほかに窃取された事実が有りますから。   居木井の不正が出ましたから刑事の実態のその不正を立証しますと「逮捕の時、逮捕状は見せましたです」と裁判長の「逮捕状見せたか」の問に対し次のような不正を重ねました。

赤松勇

1962-12-07 第41回国会 衆議院 法務委員会 第8号

同年八月二十三日、居木井警部補の一行は遠く北海道小樽市に出張して、一応詐欺被疑事実で平沢貞通毒殺犯人として逮捕し、意気揚々と帰京した。平沢は九月二十七日になって犯行を自供したが、拷問、自白の強要、誘導尋問等は全くなかったので、その供述の真実件は高く評価された。私にとっては正に晴天の霹靂であった。

赤松勇

1948-09-13 第2回国会 参議院 司法委員会 閉会後第1号

その結果本年六月上旬この搜査に当つておりました主任の居木井警部補その他係員が、小樽平澤画伯に会いましたところ、同画伯の人相が帝銀犯人そつくりなので、同主任以下も非常に驚いたのであります。本人は名刺はすられたという事実を言つておるのでありますが、この点は頗る疑惑があるのでありますが、本人帝銀事件後間もなく東京を去りまして、小樽行つて歸つて來ないのであります。

田中榮一

1948-09-13 第2回国会 参議院 司法委員会 閉会後第1号

それから次は、居木井警部補疲労の問題につきまして、休ましたらどうかというお話でありますが、誠に当時參りましたときには、何と申しましても、事前の搜査書類作製等に非常に連日の仕事で疲労しておりましたが、併し搜査というものは、途中でなかなか變え難い微妙なところがございますので、連行までは居木井主任とその部屋の刑事が当りました。

堀崎繁喜

1948-09-13 第2回国会 参議院 司法委員会 閉会後第1号

木井警部補の言動でございますが、先程私の申上げましたように、居木井警部補北海道へ參りまして、連日不眠不休で、平澤画伯連行責任者として活動いたしました。而も船の世話から、汽車の世話から、一切のことを居木井一人でやつているのであります。恐らく平澤画伯以上に居木井疲労困憊その極に達しておつたろうと思います。

田中榮一

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