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20件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1966-03-31 第51回国会 参議院 文教委員会 第11号

河原春作氏、田中義男氏、全国教育委員長の代表であった木下一雄氏、この人たちなんかも文部省の役人であるから入っているのだと思う。文化財の保護委員会委員長であるから入れたとおっしゃるかもしれないけれども、これは文部省の次官であったこと間違いない。田中さんもそうだ。文部大臣森戸さん、天野さんと入っている。まあ森戸さんなんというのはあらゆる役職、文部省の中のあれは全部やっている。

小林武

1966-03-31 第51回国会 参議院 文教委員会 第11号

会長木下一雄氏、委員として、敬称を省略いたしますが、天野、大河内、大浜河原、久留島、高坂、小林、高橋、高村、田中、朝永、成田、平塚、藤井、細川、前田、村山、諸井、出光、坂西、野尻、波多野、松下、これらの諸氏でございます。名前を省略いたしましたけれども、もし御希望ならば詳細にお答えいたします。

杉江清

1963-03-25 第43回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第1号

で、会長木下一雄先生でございまして、各省の関係方々、たとえば農林省のような関係の役所の方、それから学識経験者——学識経験者の中には、従来とも学校給食に御関係のあった学者、それから栄養の関係学者、そういう方々が二十人でございます。先ほど申し上げましたように、三十六年の八月三十一日に御答申があったのでございます。

前田充明

1962-03-29 第40回国会 参議院 文教委員会 第11号

参考人木下一雄君) 私も初め意見を述べましたときに、教育に恵まれません子供たちにつきましての教育施策は、これは別途に充実していかなければいけないということも申し上げておるのでありまして、それと同じように、理科施設等につきましては各都道府県も骨を折っておりますけれども、現状におきましては十分でないということは私どもよく承知しておりますので、年々、教育長協議会等におきまして、文部省に、国のほうに対しましてこの

木下一雄

1962-03-29 第40回国会 参議院 文教委員会 第11号

なお、ただいま御出席参考人は、東京教育委員会委員長木下一雄君、全国教科書供給協議会会長今井兼文君、東京学芸大学学長高坂正顕君、以上三名の方々であります。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は、御多用中のところわざわざ本委員会のため御出席を賜わり、まことにありがとうございました。

大矢正

1962-03-29 第40回国会 参議院 文教委員会 第11号

参考人木下一雄君) 国定になるとかというようないろいろ御懸念をお持ちになられる方もおありかもわかりませんが、私どもは直ちにこのことに連絡するのは少し無理じゃないかと、こういうふうに考えております。結びつければ幾らでも何でも結びつきますけれども、私は教科書無償というとこだけについて、ぜひこれを成り立たせたい、こういうことだけ考えております。  

木下一雄

1961-05-16 第38回国会 衆議院 文教委員会 第24号

にこの問題については、先ほど申し上げましたように、三回の御答申をいただいておりますけれども、このたびは短期専科大学ではないものですから、大学制度の目的、性格を審議しております第十五特別委員会にお諮りをしたわけでございますが、その十五特別委員会委員は、委員長として、独協の校長の天野貞祐氏、それから早稲田の大浜信泉氏、慶応の奥井復太郎氏、東大の茅誠司氏、大妻女子大の河原春作氏、東京都の教育委員長木下一雄

天城勲

1961-05-13 第38回国会 衆議院 文教委員会 第22号

この際、前回の委員会において委員長に御一任の参考人は、安達禎君、幡野憲正君、木下一雄君及び原正敏君に指名いたしましたので御了承願います。  これより両案について参考人より意見を聴取いたします。  参考人各位にごあいさつを申し上げます。参考人各位には、御多用中のところ、わざわざ御出席下さいましてまことにありがとう存じました。

濱野清吾

1961-05-13 第38回国会 衆議院 文教委員会 第22号

文部事務官         (大学学術局技         術教育課長)  犬丸  直君         参  考  人         (元山梨大学学         長)      安達  禎君         参  考  人         (都立向島工業         高等学校教諭) 幡野 憲正君         参  考  人         (東京教育委         員会委員長)  木下 一雄

会議録情報

1959-10-10 第32回国会 参議院 文教委員会 閉会後第5号

先日来、懸案となっておりました教職員組合専従者制限に関し、参考人出席を求める件について協議を行いました結果、全国都道府県教育委員長協議会会長木下一雄君、都教育長協議会幹事長本島寛君の両君に、十五日に御出席願うことに意見の一致を見ました。なお、当日は出席者の都合により、開会時刻を繰り上げ、若干御迷惑とは存じまするが、午前九時開会といたします。

相馬助治

1959-09-21 第32回国会 参議院 文教委員会 閉会後第4号

なかったのですか、たとえばつい最近でも三十三年六月二十四日に教職員勤務評定について参考人木下一雄全国都道府県教育長協議会会長本島寛都道府県教育長協議会幹事長を呼んでおります。これはどうなんですか、これは間違いですか。だから、そういう吉江さんは、いつから文部委員になられたか知らんです。私はもう六年ぶりの文部委員ですから、この間知りません。

岩間正男

1958-06-24 第29回国会 参議院 文教委員会 第3号

参考人木下一雄君) 初めの点についてお答えいたします。これは二つの場合がございまして、教え子から裏切られたということ、木下が裏切ったということと、二つの思想があると思います。教え子から私が裏切られたということは教え子の心理でありましてこれに対しては私は何らの追及をする必要はないと思います。

木下一雄

1958-06-24 第29回国会 参議院 文教委員会 第3号

本日は、本件に関する参考人として、全国都道府県教育委員長協議会会長木下一雄君及び都道府県教育長協議会幹事長本島寛君が出席されており、教職員勤務評定試案を作成された当事者から、その立案の趣旨並びにその内容実施方法などについて御説明を願い、それに対する質疑を通して、本件問題点を明らかにすることになっております。参考人方々には御多忙中、本委員会の調査のため御出席いただきありがとうございました。

竹中勝男

1958-06-19 第29回国会 参議院 文教委員会 第2号

次に、前国会から懸案になっております教職員勤務評定について参考人出席を求める件は、各会派とも異議なく二十四日または二十六日に全国都道府県教育委員長協議会会長木下一雄君、同教育長協議会会長本島寛君の出席を求めることに決定いたしました。以上、報告の通り決定することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

竹中勝男

1956-04-27 第24回国会 参議院 文教委員会 第20号

昭和三十一年三月十九日」「そして「安倍能成上原専禄内田俊一大内兵衛大浜信泉木下一雄、南原繁務台理作矢内原忠雄蝋山政道」、こう書いてあります。で、この文面から見ましても、今度の教育法案がどのように日本の国を危うくするかということが心配されるとこう皆さんが言っておられるのですよ。それだからかつて前例のないこの声明を、こういう重大な職責にある方が警告をしておられるのですよ。

安部キミ子

1956-04-27 第24回国会 参議院 文教委員会 第20号

ということは、一人か二人の風変りな学者が所見を述べられたなら別ですよ、特にこの十人の中の木下一雄先生、この人は学者グループの一部では、言葉をここで言うのは穏当かどうかわかりませんが、言わなければわかりませんから言いますが、学者グループの一部では木下一雄先生は非常に文部省御用学徒だというようなことを言う人もあった。これは当っているか当っていないかは別です。

矢嶋三義

1952-02-28 第13回国会 参議院 文部委員会 第11号

参考人木下一雄君) 東京学芸大学附属豊島小学校校地は、元東京第二師範学校校地でございまして、総面積、当時におきましては一万四千坪あつたのでありますが、戦後におきましてそのうち約六割、約七千七百坪をすでに東京都のほうにお譲りしたわけでありまして、現在の附属豊島小学校として持つております地面は六千三百坪でございます。

木下一雄

1952-02-28 第13回国会 参議院 文部委員会 第11号

           中川 以良君            相馬 助治君   政府委員    文部大臣官房会    計課長     小林 行雄君   事務局側    常任委員会專門    員       石丸 敬次君    常任委員会專門    員       竹内 敏夫君   説明員    法務府民事訟務    局第二課長   岡本 元夫君   参考人    東京学芸大学学    長       木下 一雄

会議録情報

1950-10-07 第8回国会 参議院 文部委員会 閉会後第8号

参考人木下一雄君) 私は主として精神的な問題だと思います。これは教育者といたしましてはビジネスマンとしてではならないと思うのであります。只今やりたくない者はどうにもならないというようなお話がありましたが、併しながら少くとも自分が教育者として立つておるものが新しい制度の下に、新しい修業を積まうというときにはやるべきことはやるというのがこれは当り前の通念じやないかと思います。

木下一雄

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