1978-06-06 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第22号
これは非常に大事な答弁でございますが、これは防衛局長も心得ておられると思いますが、当時私からさらに念を押して、つまり非常に危機に瀕した日本人、朝鮮戦乱でまさに生命の危険にさらされておるのを迎えに海上から船で行くあるいは飛行機で行くという場合、これはぜひ実行していいじゃないか、第三国に委任するというのが普通やり方としてあるが、朝鮮半島は近くであって朝鮮半島の港まで日本の艦船で迎えに行く、こういうことは
これは非常に大事な答弁でございますが、これは防衛局長も心得ておられると思いますが、当時私からさらに念を押して、つまり非常に危機に瀕した日本人、朝鮮戦乱でまさに生命の危険にさらされておるのを迎えに海上から船で行くあるいは飛行機で行くという場合、これはぜひ実行していいじゃないか、第三国に委任するというのが普通やり方としてあるが、朝鮮半島は近くであって朝鮮半島の港まで日本の艦船で迎えに行く、こういうことは
○受田委員 ちょっとここで避難民のことに触れておきたいのですが、朝鮮戦乱が起こって避難民が海上から日本にどんどんやってくるという想定、これは決して仮定の問題ではなくして、ベトナムですでに学んでおるわけです。その避難民というのは一体どういう種類があるのか。
朝鮮戦乱で邦人が危機にさらされておる、戦闘の危険があるからというので見殺しにするのですか。これは明確に御答弁をいただきたい。
木村前外務大臣の言われましたことも、私のいま申し上げておりますことと別段違うわけではなく、ただ昭和二十五年当時、いわゆる朝鮮戦乱のような事態から考えれば確かに危険の度合いは小さくなっておる、ことに一九七二年に対話が開けましたあたりでは、かなり事態は好転するのではないかと思われた時代もあったわけで、そういう意味ではこのいわゆる佐藤・ニクソン会談が行われましたのはたしかプエブロ事件というような出来事の直後
そこで、請求権問題は、はっきりしておるように、有償・無償の形で一応の合意に達したということであれば、この賠償権問題、この船舶問題には、置籍船の問題と、置水船の問題と、朝鮮戦乱中の石炭輸送船の問題、それから拿捕の損害賠償の問題の四つが含まれておるわけでございますけれども、その四つのうちのこの損害賠償権問題は、これは請求権問題が合意に達しておるとするならば、またあなたの昨年の答弁通りとするならば、この問題
もうすでに大臣も御承知だと思いますけれども、今までも大体朝鮮戦乱が起こって参りました当時におきましては、全国で二十五万人の駐留軍労務者がおった。それがその後だんだん状況の変化により、ことにまた新安保体制のもとにおきまする米軍機構の整備、統合、こういうような大きな変動等も伴いまして、二十五万のたくさんな駐留軍労務者が、今日におきましては六万に減少しておる。
○田中(織)委員 朝鮮戦乱の当時、日本の外交官が参りましても、その身体、生命の保障ができないというような状況の中に、決死隊のような外交官を派遣するわけには参らないことは当然であります。
私は外務委員をいたしておる当時に、ちょうど朝鮮戦乱の当時であるから、日本の外交官の身体、生命等について保障ができないからということで、双務的な設置ができなかったように聞いておるのでありますが、その後朝鮮戦乱が落ちついておるのであります。今また重要な日韓会談が行われておる時期でございますので、私はやはり日本がそういうことでありますならば、双務的に日本の外交代表部を韓国側に設置すべきであります。
朝鮮戦乱のときに、確かに国連が中共非難決議を行なったことは、私どもも事実として認めるにやぶさかではございません。しかし当時、たしか非難決議に参加したのは、ちょうどことしの国連における中共の代表権の問題に反対をした数と同じ四十四カ国で、その非難決議に反対したのはソビエト初め七カ国で、棄権がたしか九カ国あったというふうに私は理解しておるのであります。
これは、私が申し上げるまでもなく、きわめて危険な考え方でありまして、現在世界に帝国主義を代表する国と一部にいわれておる米国ですらが、御承知のように、かつて、朝鮮戦乱の節、当時のマッカーサー司令官の企図する南鮮襲撃の基地たる満州爆撃を阻止して、そうして、第三次世界戦争誘発の危機を乗り切った事例に徴しましても、いかに船田防衛庁長官の考え方が時代離れのした危険きわまりのない意見であるかということをうかがい
ところが、その後、朝鮮戦乱の勃発を機会といたしまして、隣邦中国に対しまして、チンコムという奇妙なる名称の別表が登場いたしました。今や、木造船、汽船、トラック、薄板、電線、電纜、鉄板、自動車、ラジオ部品等に至るまで、ほとんど一切の平和物資の対中国輸出が禁止せられるに至ったのでございます。
これはあの妙義の場合でもそうでありますが、朝鮮戦乱の金剛山の山岳戦で負けたからといって、それを日本でもう一ぺん訓練をしなければならぬということについては、何といっても私は納得することができませんでした。どうして今のあの情勢の中で基地を拡大し、あるいは地下ガソリン・タンクや地下格納庫までも作らなければならぬか。
しかし今日日本は、国際気象機関のメンバーになっておりますので、この国際的機関である気象機関を通じまして、朝鮮戦乱の敵対行為は事実上終止したのでありますから、また再び条約規定通りの通報交換を開始いたしたいということは、機関を通じて種々言っておる次第であります。
終戦とともにアメリカ占領軍により一方的に使用せられ、昭和二十五年六月朝鮮戦乱勃発に伴い一段と活発に使用せられ、再三再四飛行場は拡張を行うとともに対空砲火実弾演習場を新設するなど、地元住民の反対にもかかわらず逐次拡張し、九州地区屈指の空軍基地となったのであります。
朝鮮戦乱の勃発によりキヤムプ サカイは一千床の病院に変えられました。キヤムプ サカイの用途は最近病院から兵隊の宿舎に変更されました。 一九五四年六月三日合同委員会の第九十二回会議の席上キヤムプ サカイは少くとも一九五五年十月一日までは日本駐留米軍が必要とすること並びに同施設を日本政府に返還する問題は、その時に更に考慮しようということを日本政府に通告しました。
勿論それに加えまして、この銀行が始まりました当時は、なお、いわゆる朝鮮戦乱が続いておりまして、国内の市況が割合に活溌でありました関係上、輸出に対する余力も比較的少かつたのでありますが、すでにその戦乱も終了いたし、国内の市況も活溌でない状況に入りますと、自然この輸出のほうに重点が移つて参りました。
これに対していろいろ二十三年あたりから計画を立てまして、いわゆる不燃焼建物を各地に重点的に建てて行くという将来の計画を立ててやつておつた次第でありますが、それが最近になりましていろいろ朝鮮戦乱の勃発とか或いは予算の削減とかというような事情によつて、最初の計画を余儀なく変更せざるを得ないような状態に立至つたようなわけなんでありまして、そのために小倉の一例をとつてみましても、この辺は非常に狭い、そのために
現在の国際情勢を見まするに、朝鮮戦乱は幾多の紆余曲折を経て休戦が成立し、現に政治会議の渋滞にもかかわらず、戦火は収まつております。先般、ベルリンで開かれた四大国外相会議においては、何ら具体的解決を見なかつたとは言え、最終的決裂は避けられ、現在ジュネーヴにおいて主要国家の会議が開かれておることは、諸君御承知の通りであります。
それはいわゆるあの朝鮮戦乱なるものはどういう意味を持つているかと言えば、朝鮮民族のある意味における解放運動であつたと私は思う。すなわち朝鮮の北と南の相互間に起つた一つの動きであります。それを中共とアメリカとがお互にうしろだてをしてやつた戦争であつたと考えます。またインドシナの問題は、植民地であります。
しかし明らかに朝鮮戦乱当時において敵前上陸に参加して犠牲になつているということが問題である。犠牲になつた場所が問題だ。もしこれがそういう掃海に従事して、そうして犠牲をしたのであるならば、今日までなぜ堂々と発表しない。堂々と発表して、全国民の名においてこれを葬つてもいいじやないか。ところが遺族の口を封じて、絶対に言つてはならないと箝口令をしく。
朝鮮戦乱におけるアメリカ軍の敵前上陸を容易ならしめるための掃海作業を、これを単なる掃海作業のごとく心得て、そうして違憲ではないという考え方でおるあなたの御所見をお伺いしたい。
そうなつて来ると、この産業経済の記事、あるいはまたニユーヨーク・タイムス等々のそううマッカーサーの言を推してみると、明らかにこれは朝鮮戦乱に対して、日本の掃海艇が出動しておる。これをどのようにお考えでしようか。つまりあなたのお考えは、単に北海道とか青森とかいう掃海作業に従事したように言つておられるが、これは朝鮮戦乱に日本の掃海艇が明らかに出動しておる。
すなわち、昭和二十五年十月、マツカーサー元帥の要請に基いて、日本の海上保安隊の掃海艇が、朝鮮戦乱のさ中に、アメリカ軍の元山敵前上陸作戦に参加していることであります。これによつて、数隻の掃海艇は機雷に触れて沈没し、死傷者十数名を出しております。これは、その犠牲者の一人の碑が殉職者顕彰碑として、吉田総理の揮毫により、四国の金比羅神社境内に現在建設されております。
併し朝鮮戦乱も休戦となり、国連軍の滞留も先が見えているということもあり、且つ又、国連協力にはできるだけ誠意を示すべきであるので、財政負担が過大でなければ米軍と同一待遇にしてもよいではないかとの意見もあり、要は財政問題であつて、目下研究中」とのことであります。 次に「朝鮮に派兵している国連軍構成国でこの議定書に未署名の国があるが、それらに対してはNATO方式は適用されないのか。
それから旧来の設備は、もうすでに朝鮮戦乱始りまして約三年になりまして、相当な設備の充実もできておりまして、それが特需、いわゆる戦争の特需がなくなつて遊休設備になりはせんかというようなことになつております。
従いまして先ほど大臣から申上げましたように、朝鮮戦乱に関連した特需という問題は逐次減少しておるわけでございますが、ただいわゆる特需の中にも一種の域外調達のような意味合いにおきまして、日本の保安隊に支給されるべき弾丸というふうなものにつきましては、従来同様に注文がついておるというふうな関係になつております。
それから南鮮は百万石以上の米を日本へ出していて、そうしてその収入が朝鮮の経済の大きなまかないの一つであつたけれども、朝鮮戦乱と同時に非常な荒廃を来していて、漁業第一としての経済を立てなければならない段階である、かようなことを申したそうであります。