1956-02-14 第24回国会 衆議院 外務委員会 第5号
鄭然は関西の自然科学者協会の会員であり、朴烱南は朝鮮学生同盟の副委員長であったのであります。この四人がすみやかに帰ることによって、私たちは教育事業によりそうの発展をもたらすものと確信して、特に要望する次であります。
鄭然は関西の自然科学者協会の会員であり、朴烱南は朝鮮学生同盟の副委員長であったのであります。この四人がすみやかに帰ることによって、私たちは教育事業によりそうの発展をもたらすものと確信して、特に要望する次であります。
一方朝鮮人の動きは、二月二十一日午後一時、朝鮮学生同盟京都本部において、各学校代表者が参集、二十三日の大会準備会を持ち、一、全朝鮮学生は当二十三日午後三時学同本部に集合一団となつて華頂会館に向う。二、全京都青年は梶棒を持つて大会に参加し、実力で闘いとる。三、動員方法は各地域ごとに行う。四、大会終了後は夜間デモを行い、警官と一もみする用意を持つ。
なお朝鮮人の方面の動きも、二月二十一日には朝鮮学生同盟といつたようなものの一部の動きも相当あつたような次第でございます。さような全般的な事前の動きがありまして、この大会は公安委員会において不許可にされたものと了承いたしております。
○渡部委員 請願者は、東京都新宿区在日本朝鮮学生同盟総本部執行委員会の孟東鎬君であります。本請願の要旨は、在日朝鮮学生は現在、高等学校以上の学生が一万六千を越え、学資金及び生活難のため、一割しか学校に出席できず、ことに朝鮮動乱のため送金のとだえた学生は、教育権を奪われ、朝鮮人であるがため育英資金も与えられず、官庁、会社のアルバイトもできない状態に置かれておる。
その後方団体の解散後におきまして、合法的な組織といたしまして、在日本朝鮮解放救援会、在日本朝鮮民主女性同盟、在日本朝鮮学生同盟、これらの三つの団体が、在日本大韓民国居留民団、在日建国促進青年同盟、この二つの比較的右翼的な組織を持つた団体と対抗いたしまして統一的に行動して参つたのであります。