1954-04-16 第19回国会 参議院 地方行政委員会 第23号
それにつきましては、朝夕二食付で宿泊料金をきめておりまする場合は、慣例によりまして、一の部分が朝食代、三の部分が夕食代、六の部分が宿泊代に当つておるというようなことを明確にする必要があるだろうと考えております。
それにつきましては、朝夕二食付で宿泊料金をきめておりまする場合は、慣例によりまして、一の部分が朝食代、三の部分が夕食代、六の部分が宿泊代に当つておるというようなことを明確にする必要があるだろうと考えております。
○政府委員(奧野誠亮君) 只今小林さんのおつしやいましたように我々も理解しておるわけでありますが、なお宿泊料金のきめ方の問題でありますが、朝夕二食付でありますとか、或いは夕食付でありますとか、そういうことで宿泊料金をきめております場合には一、三、六のような割合で何をするのだ、併し朝食代が幾らで、夕食代が幾らで、宿泊料が幾らというふうにきめて行きます場合は、その宿泊料をとるということになつて来るわけであります
それから、食事は、朝八時から九時に朝食、十二時から一時が昼食、五時から六町が夕食であります。この食糧の状態はどうかと申しますと、この二月までは食糧が非常に悪いと申しますか、少いと申しますか、非常にわれわれ腹を減らしたものであります。私の隣におりましたドイツの海軍少将で七十歳の人でございましたが、どうもおれは腹が減つてしようがないのだ、七十のじいさんがそう申します程度の食事であつたのであります。
只今刑務所に関することになりましたか、今度は一夜が明けて朝食であります。その日は夕食はくれませんでした。食事のことにつきましては、我々も先ほど申しましたように、刑務所の食事のことはどんなものであるかということも知りませんでしたが、朝持つ来た我々の食事を見ますと、五等めしでありました。
そうして早く帰つてもらうという努力をしながら、一方朝食の問題であろうが、昼食の問題であろうが、そういうものを逐次解決してやるように努力をするよりほかないじやないですか。それをあつちにもおつたり、こつちにもおつたり、国会の門を閉めなくちや阻止できないというような状態に放置しておくというのは、これは何と言つても厚生大臣の責任だと言わざるを得ない。
午前八時ごろ朝食にあたりまして配食のことから、かねて対立的感情のあつた第三工場の受刑者と第四工場の受刑者との間に口論を始めました。これが事の発端であります。どうしてそういうことになつたかということをさらに詳しく問い合せてみましたところが、第四工場に配つたみそしるおけのふたに第三工場とあるのをチヨークで消して第四工場というふうにしたわけであります。
それが一晩の豪雨で、朝家族が朝食をとつておつた、大きな音がしたので外へ出てみたらもう水が来ておつた。それで家のおやじが何とかならぬかと思つて飛び出して、振り返つてみたらもう自分の家がなかつた。その部落は一ぺんに押し流されてしまつた。われわれが参りましたときに、そこのおやじはおれの妻を返してくれ、子供を返してくれと言つて気違いのようになつている。
○政府委員(中西泰男君) 宿泊料は、これは通常の観念に従いまして、狭い意味の宿泊料と夕食、朝食が含まれておる、こういう意味であります。
○中西政府委員 日当額は中身を申しますと、書食料とその他の諸雑費ということになつておりまして、従来旅館の宿泊料と申しますものは、宿泊料と夜食、朝食というものが大体中身になつておりまして、そういつた金額について従来の調査資料によりまして、おおむね二割ということで、従来より二割という金額でもつてはじき出して参つたわけでございます。
ハルピン医大の生活状態としては、朝五時に起床して点呼があり、点呼が終つたらすぐ朝食までの学習がございます。その学習は共産学習なんです。学習が終り朝食になり、そして勤務交代で夜勤の人と交代するわけです。そうして夕食まで勤務いたしまして、夕食後三十分自由時間が與えられて、そのあと消燈までまた共産教育なんです。その共産教育に参加しなければ、思想が悪いといつてまた検討会、闘争会にかけられるのであります。
朝ちようどその前の平でとまりましたときに、朝連の方からぜひ朝連の諸君なり近所の人に講演をしてもらいたいというので、翌る日の朝食は宿で食べないで朝連の事務所のたしか委員長さんの金さんとかいう方の家で朝食をよばれまして、そして私の母親も聞いておりました。近所のおかみさんも聞いておりました。朝連の諸君が四十名ほどおつたと思いますが、狭い三階の室で國会報告をいたしました。そして母親の方ももう終つただろう。
ぜひ來てやつてくれというお話がありまして、朝食はこちらでとつてもらいたいという話がありまして、始めたのは十時ごろだと記憶しておりますが、あるいは十一時ごろから始つたかもしれません。とにかく朝食をおそく食べました。そこには私の母も來ておりました。近所のおかみさんも來ておりました。近所の主人らしい方も來ておりました。こちらに朝連の方、こちらに市民が來られまして、約一時間半くらい國会報告をした。
○土橋證人 私が朝食をよばれましたのはうしろの應接間のようになつている部屋です。朝食の終つたときに御主人さんがお帰りになつた。私は初対面のあいさつとして朴重根さんに非常におせわになつたということを感謝の意を表しまして、奥さんは日本の方のようですが、いろいろもてなしがありまして、そうして会場に上がつた。
そうして朝になつて帰つて來て、主婦は朝食をかしぐ、夫は入坑するような状態でありまして、われわれがこれを聞いた場合に人道問題としてあるいは社会問題として許すべからざる行為であるということで、その後夜間私たち有志の者が矢郷の山へ行つております。
その後事件は別に何らのことも起らずに、翌日の朝食になつてから後にこの問題が起きたことは、双方とも認めている事実であつたと思うのであります。こういうようなときに、先ほど前田君からもお話がありましたように、何ら該当すべき檢挙なり、あるいはひつぱられて行くという事件が起つてないときに、むりにああいうふうに警官が出たということは、われわれどうしても納得できない。
尚附加えておきますが、先程阿部証人から言われましたように、朝晝晩ナホトカではアジプロがあつたのでありますが、朝食後必ず政治情報という時間がありまして、これを聞くことを強要されております。
○天田勝正君 先ず池田証人に伺いますが、作業はそのときと、場所によつて又割当てられた隊と申しますか、そうしたものによつて違うであろうと思いますが、一証人が申されるには、先ず材木運びに自分は当つたけれども、三時半頃起される、そうして七時頃まで材木運びをやらされて、七時にサイレンが鳴つて、そこで粥食の朝食を取る、その後羊毛工場に行つて午後の五時まで働かされて、更にそれから帰つて参つて休む間もなしに朝やつた
それから大体大学の收容所は春部隊を主力とした約八百名くらいと思いましたが、そこへ轉入して行つたのでありますが、そのときに我々は朝食を食べて轉出して行つたのでありますが、その春部隊を主力とする部隊では朝食も食べずにおつたのであります。それを吉村氏は、何だ、あなたの所では朝食も食べてないのか、我々は晝食も食べる。そのときは携行して行きません。晝食は後で取りに來いと言われてそのまま行きました。
一番初めに二千メートル離れた山から電信柱程の材木を二本づつ運ばなければ朝食にありつけない。ここで漸く朝食にありつきまして、次は八時間の煉瓦燒きをやらせられる。羊も紡ぎ、石切り等の仕事をやらせられる。その終りが四時ごろになつて、それから更に息つく間もなく川の筏から木材を解く作業をやらせられる。このようにいたしまして九時半頃になる。
それから朝食の前に、起床のときに日直士官が全部連れてきまして、そうしてそこで解きまして散除いたしました。
それからもう一つ、福岡縣の朝食郡の三輪村ですが、これは多分當局の方にも陳情があつたのではないかと思うのですが、部落民に對する差別的な強權發動がなされようとしておる。それに對して政府は實情を御存じなんだろうかどうだろうかということです。