2002-02-26 第154回国会 衆議院 予算委員会 第18号
しかし、有閑階級の研究家としておなじみのソースタイン・ヴェブレンが、ヴェブレン効果という言葉が観光学の中にはございまして、金と暇のある人間が観光する時代があって、得意になって、おれはあそこへ行ってきたぞ、こういう時代もあったわけであります。
しかし、有閑階級の研究家としておなじみのソースタイン・ヴェブレンが、ヴェブレン効果という言葉が観光学の中にはございまして、金と暇のある人間が観光する時代があって、得意になって、おれはあそこへ行ってきたぞ、こういう時代もあったわけであります。
私たちもイタリアの観光というものはアメリカのドル目当てかと思いましたが、必ずしもそうでないので、もう中央ヨーロッパ、北欧等から、夏になるとなだれを打ってやはり南欧の光を求めて、一年稼いでそして夏はからだを鍛えていこうというので、家族連れの自動車が陸続として参るというのですが、そういうふうに、日本の国内においても観光というものがもう金持の有閑階級というのじゃなくて、よく働きよく楽しむという形で大衆の手
何か農村における有閑階級の、ヨタモノの世界旅行というような感じをほうふつさせるような情景を見たときに、ほんとうに涙が出ました。一体だれが選んでアメリカに送ったのか、だれが教育し、だれが訓練してアメリカに送ったのか、そこの責任の所在を僕らははっきりしなければいけない。 しかも、外地のことは、移民の問題は外務省のことだ、農林省はあまり出てもらわないように。
中には同じ米でももち米の方がいいんだというようなやり方をやっているところもあるのでありまして、そういうふうなやり方は、高価な有閑階級の人が食べるような肉を作る和牛なのでありますけれども、今後の食べものは、ああいうふうなぜいたくなものでなくても、もっといわゆる良質の、そして低廉なものを供給しなくちゃならない。そうしますると、生産費を下げなくちゃならない。
何かこれだと金持ちとか有閑階級の人だけが法にひっかからずに貧しい階級だけが犠牲になるような気がするのですが、これが逆ならいいのですが、やってみてよくなるなら私は大賛成ですが、そこに疑念を持つのです。
そういう点から考えますと、教育というものは、これはどうも現在消費というふうな、或いは余裕があればやるというような有閑階級の戯れのように考えられておりますけれども、実は一国の政治から考えますと、はつきりした生産である、次の時代を建設する最も時代的な人材を養成するところの生産である。
ましになりますけれども、しかしやはり主たる仕事は、地方において農業なり商業なり、その他の仕事にお携わりになつて、その余暇をもつて、名誉だから引受ける、多少自分の本業にはさしつかえるけれども、犠牲になつて、あえて府県民のために仕事をするのだという意気込みでおやりになるものと思うのでありまして、われわれは決して日雇い人に落す—もつとも日雇いというものが低いものかどうか、民主時代には問題でありまして、遊んでおる有閑階級
先ほど以來、河野謙三君その他の方々から御指摘になりましたように、終戰前とは違いまして、今やスポーツはひとりの学生層あるいは有閑階級の対象物ではないのでありまするが、労働組合運動が伸長いたしまして以來、漸次このスポーツの氣風があらゆる組合に浸潤いたしておりますることは喜ぶべき現象でありまするが、先ほど以來御指摘のように、施設あるいはその他の面におきまして非常な難関がありますので、これについては政府は特
これは四項にも規定してあるし、又その不義不倫の行爲の行われるのは、上流階級、有閑階級の者もあつたんでありますが、多くは下流階級の道義のすたつた面に多いのでありますから、これは大いに堕胎の容疑が減つて來るのでないかと思います。
請願第二百二十五号、スポーツ税新設に関する請願、スポーツの興隆は國民大衆教化上極めて必要であり、殊に野球は大衆的であり、入場料金に対する高率課税のために、有閑階級のみを対象とすることとなる虞れがあるので、大衆特に青少年学徒の負担力に應じて、入場税よりも税率軽微なスポーツ税を新設されたいとの趣旨でありまして、この種のものにつきましては、入場税を軽減することは適当であると思われますので、議院の会議に付する
これでは健全娯樂としての相撲の大衆性が沒却せられまして、いたずらに一部の特殊、有閑階級の観賞物に堕するおそれがありますので、相撲の特殊性を御考慮くださいまして、入場税の軽減、でき得ますならばこれが免除方をお取計らい願いたいというのが、請願の趣旨でございます。
それにただ家が燒けなかつたというだけによつて、農民に非戰災者關係の税を課するということは、むちやな話でありまして、大邸宅を構えた農村の有閑階級への課税は當然でありますけれども、勤勞農民に課税することには、絶對に反對したいのであります。もしそれがために財源がないというなら、なぜ政府は公債利子の支拂停止、あるいは大やみ課税とか、思い切つた處置を講じないかと申し上げたいのであります。