1980-11-05 第93回国会 衆議院 農林水産委員会 第4号
ということで、ことしの十月、「有志各位殿」です。 ところが、発起人の名前を読ましていただくと、何と、現在の次長さんでしょう、小島さん。前の次長さんでしょう、これは角道さんとおっしゃる方。前の林政部長佐竹さん。あるいは林野庁の林政課長さんや現在の林政部長さん、管理課長さん、前の林政課長さん、次々とりっぱなお方のお名前がずらっと発起人に並んでいます。
ということで、ことしの十月、「有志各位殿」です。 ところが、発起人の名前を読ましていただくと、何と、現在の次長さんでしょう、小島さん。前の次長さんでしょう、これは角道さんとおっしゃる方。前の林政部長佐竹さん。あるいは林野庁の林政課長さんや現在の林政部長さん、管理課長さん、前の林政課長さん、次々とりっぱなお方のお名前がずらっと発起人に並んでいます。
この光栄は永年にわたる、先輩、同僚議員諸賢の御鞭撻と、わが選挙区内の有権者有志各位の終始変らない温い御支援のたまものにはかなりません。これらの御厚意に対し、ここに、心からなる謝意を表するものでございます。 顧みまするに、私がはじめて、本院に議席を許されましたのは、敗戦後、最初に行われました第二十二回総選挙の結果召集されました第九十回帝国議会でありました。
先ほど質疑の段階において相馬委員から、前国会において我々有志のものが、この法案の準備をいたしたことに言及いたされましたが、残念ながらその機を得なかつたのでありますが、今回衆議院の有志各位におかれて本法案を立案いたされ、この運びにまでお持ち頂きましたことに対して、厚く敬意の念を表する次第でございます。
従いまして私の有志各位は内灘村に行けば必ずもう袋叩きに会うだろうというような懸念さえもあつたのでありますが、私は自分の良心に誉めるところがありませんので、トラックに乗つて内灘に入つたのであります。決してさような空気はなかつたのであります。内灘の老婆の三、四人は私がトラックに乗つておるのを、手を合せて私を仏を拝まんばかりにして感謝の意を表しておられました。