1959-12-08 第33回国会 参議院 内閣委員会 第8号
この限られた滑走路は、有事の際直ちにたたかれる。たたかれた滑走路は、これは木から落ちたサルと同様に飛行機を何百機持っておっても役に立たない、これが特徴なんです。われわれは苦い経験を持っている。そこで滑走距離の小さいもの、そうして至るところに秘密に作れる飛行場というものは、劣性軍にとっては大事なんです。アメリカのように、いわゆる優勢な戦力を持っている国は別問題です。
この限られた滑走路は、有事の際直ちにたたかれる。たたかれた滑走路は、これは木から落ちたサルと同様に飛行機を何百機持っておっても役に立たない、これが特徴なんです。われわれは苦い経験を持っている。そこで滑走距離の小さいもの、そうして至るところに秘密に作れる飛行場というものは、劣性軍にとっては大事なんです。アメリカのように、いわゆる優勢な戦力を持っている国は別問題です。
○説明員(源田実君) 滑走路が有事の際に攻撃を受けやすくて、これが参れば飛行機は使えなくなるということは、われわれも十分体験しております。ただこの場合、われわれは104につきましても、これを将来短い滑走路、ないしはほとんど走らないでどうして飛べるかというような問題については、現在研究中であります。そうして全然見込みのないことではございません。
従いまして、私どもも、無電による現地との連絡、これを緊密な連絡がとれるような措置を何とかしてこの三十五年度から講じて、一朝有事の際に万遺憾なきを期したい、かように思っておる次第であります。
こういうことでは一朝有事の場合に用をなさないのであります。これはしかるべく人間をふやす必要があると思うのだが、これはどう考えるか。 それからもう一つは、船長を初め高級士官は定着地から約三・八キロの距離にある官舎に居住しております。これは船長以下四名の士官です。無線長とか機関長とか、航海士とか、そういう方であります。
有事の際はもちろんのこと、平時におきましても、このような行動を未然に防止し、また必要の場合には、相手の飛行機を領空外に退去せしめるというような使命から戦闘機の負う役割は私は相当重大と思います。また、その戦闘機は優秀なものでなければ効果はないと思うのであります。
そういふうに撤退が行なわれ、そして少なくとも常時ソ連の軍隊を他国に駐在させるということはもはや必要がなくなったから、そういう方向で処置をするんだと、さらに軍事基地は有事進駐の問題として非常に重要な問題ではあるけれども、しかしこれは、これすらもはや必要でなくなる、傾向としては、方向としてはそういう方向なんだ。
その上で十分、一朝有事に備えていくことができれば非常に幸いだと思っております。十分努力いたします。
実は今度この原子炉が入ってくるということになりますと、有事の場合は、いろいろな問題がありますから、できるならばヨーロツパあたりでもある国ではもうすでにちょうどキリスト教の人たちが十字架をかけているように、首に放射能防止の何か標式をつけておるのですね。そして放射能が、原爆が爆裂したような場合には安全だというようなそういう措置をしている国もあるわけです。
それを日米合同委員会を通じてとおっしゃるなら、日米合同委員会の中に、作戦をきちっと打ち合わせる、いざ有事の際には行動を統一するための小委員会をこれから作ろ、そういうことをはっきり明言されるのですか。そしてまた最高司令部のようなものは絶対作らぬ、こういうふうに断言していただけるのですか。
○飛鳥田委員 事前協議をする委員会と有事の際に作戦を練る、そして意見を統合する委員会と同じ委員会にするというのは、大変なことじゃないでしょうか。米軍が極東の平和と安全を守るために出動をするという、そういうことについてこちらが同意をするか、考え直してもらうか――拒否する権利があるとあなた方はおっしゃるが、拒否するか、これは政治的な判断ですよ。軍事的な判断ではないはずです。
従って第一期工事は最も被害予想の大きな地区、ここを重点的にやって、そして一朝有事の場合の被害を少なくさせていくという考え方で進められるのがいいと思うのでありますが、計画によりますと、一期工事並びに二期工事、それはどういう工合になっておりますか。
今国論がこの安保問題に大きく分かれているときに、こういう経緯はあったけれども、またあとに申し上げるような国際情勢の変化もあったのでございますし、国論も、いつまでもこの駐留を望んでいないことは明白なんでございますから、あえて国論の帰一を求めるという見地から、もう一ぺんお考えになって、駐留の期限を、これを限定する、そうして少なくとも、近き将来において有事駐留に切りかえる、もしそれができない場合においては
○国務大臣(岸信介君) 駐留の問題につきましては、私が先ほどお答え申し上げた通りでありますが、あるいは情勢が進んで、有事駐留の方法で、日本の内外の情勢が適当であるという場合においては、そういうふうに切りかえることも頭に置かなきゃならぬと思いますけれども、しかし現在においては、私はそう思っておらないのであります。
私はこの点をあまり深く追及することもどうかと思いますし、局長はあまり御存じないようでありますから、その点は私は深く追及いたさないことにいたしますけれども、今後そういうような一朝有事の場合においては、せっかく政府の予算で訓練をしております青年隊を—これは農林省の方も同じでありますが、どんどんとそういう血へ使って、国家社会のために奉仕するというふうにするべきだと私は考えます。
おうちにおられて、この重大な自衛隊の任務を果たすことができないということであるならば、自衛隊の任務の一つ、つまり有事の意味を、単に急迫不正の侵略を外敵と考えるだけでなくて、敵にはやはり災害という敵もあるのですから、具体的な敵でなく、この天変地異を克服する意味からも長官は陣頭指揮をやってもらいたいのです。いかがでしょうか。
また政府は、なぜこれを有事駐留とせずに常時駐留とされたかという点であります。外電は、これでもってアメリカはまた十年間日本に駐留することができる、アメリカ外交の勝利であると伝えています。講和、安保、両条約締結当時、国務省は、当初、有事駐留で日本が防衛できるという立場をとりました。国防省の主張で現在の状態になったことは御案内の通りであります。
なお、有事駐留の問題でございますが、この点は、われわれとして当然日本を守ってくれることでありますから、いてもらうことが必要であることもちろんでございます。しかし、現在における実情を申しますれば、現在陸上兵力はすでに撤退をいたしておるのでありまして、条約上におきましてこういう問題が扱われておりましても、実際は必ずしも常時相当に兵力がいるというような場合がないことはむろんであります。
そうしてまた、私立学校も、こういう有事の際におきましては非常に公共的な役目を果たしたわけでございますし、特に都市におきましては、私立学校に依存する教育の程度もずいぶん多いのでございますから、ぜひとも一つ大幅に増額をしていただきたいと思うのであります。
それらの団体が本来の放送目的を超越いたしまして、一朝有事のそういった災害の際には、災害対策関係の放送と申しますか、通信をしてもよろしいということになっておりますので、電波の数あるいはその割当については別に今のところは心配がないわけでございます。
になるのじゃないかということをちょっとおそれておったのでありまして、はっきりした御答弁を申し上げることができなかったのですが、ただいまの久野委員の御意見のように、これが災害対策等について各省ばらばらの対策を講ずるようなことがあっては、統一がとれないので、非常に被害者に対しても被害地に対しても不便を来たすことがあるじゃないか、この際総合的な保全基本法といろものを作って、そしてその施策の上にも、そういう一朝有事
第一点の東京、大阪等を初めとする、たくさん朝鮮人のおります地域における朝総連及び民団の動きにつきましては、かねてからどういう動きがあるかということを十分注意をして、そして有事即応の対策を立てなければならぬという注意を鋭意いたして、現在見守っておるというのが現状であります。
なお、建造物、山内に散在している国宝、至要文化財の防災についてでありますが、当山には水道、消火栓の設備こそありまするが、水量が少く、住民、参拝者の飲料にも事欠く場合がしばしばあるとのことでありまして、一朝有事の場合には間に合いかねると考えられます。
これは有事の場合だけに、政府自民党の立場からいっても、限定されたらどうですか。沖縄あるいはハワイ、あるいはグアムの線、これはもう今のスピードからいって、近代兵器の現状からいって、決して不可能ではない。むしろ日本にアメリカ軍が駐屯することによって、問題が起る。しかも日本の安全の度合いよりも、安全をそこなわれる度合いの方がはるかに多い。これはもう万人の常識であります。
だから、今、外務大臣が言われたように、一朝有事の場合には軍事的には中立の立場をとるというなら、それでいいのです。それ以上のことを私たちは望まないのです。だが、それならば条約のすべての面に対してそれを貫き通せばいい。条約のこういう問題が起ったときにそういうことを貫き得るならば、もう本質的に条約の最初からそういう考え方を貫いたらどうです。
しかしながら、それじゃどうしてそういう場合に状況の視察を命じたかということになりまするが、これは会社と組合との間のそういう争いの中に入るというのではなしに、そういう争いを原因といたしまして事案が起る可能性があるといいまするか、起るプロバビリティがあると考えました際におきましては、有事の備えとしてどういう状況であるかということをわきから見るということは、やはり最小限度の必要であろうかと思うのです。